「雑草魂」とは、雑草のような魂のこと(そのままです)。
一般的には、踏まれても丈夫な雑草のように、どんな不遇の状態でもめげることも諦める事もない頑強な心のことです。
苦労人であった元;読売ジャイアンツの上原浩治さんの座右の銘であり、プロ入りし新人王を獲得した1999年には流行語となっています。
さて、新型コロナウイルスの影響で、コロナ前とは違う「新しい生活様式」を求められています。また、社会状況も毎日のように変化する中でやはり、私たちは変化に対応していかなければならないでしょう。その変化への対応方として、2つの考えがあります。
1つは「変化に惑わされず、1つのことに専念して継続することが大事だ」という考え方です。2つめは、「同じことを続けていてはいけない」という考え方もあります。
植物は動物と違って、自らの意思では動くことができません。そのため、種子が落ちた場所がどんな場所であろうと、そこから生えて、そこで一生を終えるしかありません。
植物にとって、変えられないものとは、それは自らが生える環境になります。環境条件は植物自身では変える力を持ちません。周りに生えている植物でも変えることはできません。つまり、変えられないものは、受け入れるしかないのですよね。
でも、植物にもできることがあります。「変えられるものを変える」というものです。これが、植物の基本的な生き方です。
変えられるものとは、自分自身のことになります。自分の身体や成長方法は変えることができます。そうやって、植物は自分自身を変化させて、生き延びてきたのです。動くことのできない植物は、動物に比べて変化する能力に優れています。動物では身体の大きさを比べてみても、同じ種であればほとんど同じですが、植物では同じ種であっても、倍くらいの大きさことは当たり前に起こるそうです。
特に、一般的に雑草と呼ばれる種は、変化できる力が大きとのことです。たまに見かけますよね。同じ種なのに、大きく成長している場所と、小さなままの場合。また、雑草は種によっては、茎を横に伸ばしてテリトリーを広げていくものと、上に伸びて自分のテリトリーでの競争力を高めていくものの2つがあるともいわれています。
ライバルのいない環境では、横へ横へと茎を伸ばしてテリトリーを広げ、ライバルのいる環境では、自己主張するがごとく、上へ上へと伸びていくのです。大きさは自由自在、伸び方も自由自在に環境に対応して、変化していくのです。
人間はいろいろなものを理解するために、勝手に分類しています。雑草もそうです。雑草自身にしてみれば、勝手に名前を付けられて、図鑑などのように生き方まで決められてしまっており、人間の考えるとおりでなければいけないという義理はありませんから。
また、「雑草は踏まれても踏まれても立ち上がる」というのも、人間が勝手に持っているイメージかも知れません。1度や2度踏まれたくらいでも、立ち上がってくるかも知れませんが、何度も踏まれると雑草は立ち上がらなくなります。そもそも、どうして立ち上がらなければならないのでしょう。立ち上がらなければいけないというのは、これも人間が勝手にイメージしたことかも知れません。ですから、踏まれながらどうやって花を咲かせ、種子を残すかに対応し、ムダに雑草は立ち上がるようなことはしなくなります。
雑草魂というと、踏まれても踏まれても立ち上がる不屈の魂であるかも知れません。でも、よほど強い心を持った人間でなければ、何度も繰り返されると枯れてしまうと思います。踏まれたら立ち上がらなければいけないというのは、誰が決めたのでしょうね。
その昔、赤塚不二夫さんのマンガ「天才バカボン」のバカボンのパパは、知らないルールがあると「国会で青島幸男が決めたのか?」と問い、自分で勝手にルールを作ったときには「国会で青島幸男が決めたのだ!」と言うのが決まり文句でしたが、まさか、青島幸雄さんが決めたわけでもないでしょう。
変化に対応することも、「雑草魂」といってもいいと考えます。
新型コロナウイルスによってお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、罹患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、日々新型コロナウイルスと戦っている医療関係など、私たちの命と生活を守るために働いてくださっている関係者の方々に、心からの敬意と感謝いたします。
どうか、みなさまとご家族、関係者の方がご健康であっていただければと思っております。1日でも早く流行が終息の方向に向かうことを願っております。
私のブログにお越しいただいてありがとうございます。また、明日、ここで、お会いしましょう。