野球小僧

島唄 / THE BOOM

「島唄」はTHE BOOMの1992年1月22日にリリースされたアルバム「思春期」に収録された楽曲で、THE BOOMの通算9作目のシングル楽曲として「ウチナーグチ・ヴァージョン」を1992年12月12日、「オリジナル・ヴァージョン」を1993年6月21日に11作目のシングル楽曲でリリースしています。

(THE BOOM 島唄 PV 20周年記念 ver)

島唄が最初に発表されてから2022年で30年になります。また、今年5月15日で沖縄が日本に復帰して50年になります。

作詞・作曲した宮沢和史さんは山梨県甲府市の生まれ。1991年に三線(さんしん)の音色に魅せられ沖縄を訪れ、ひめゆり平和祈念資料館で、学徒だった語り部の方の話を聞き、「(沖縄)県民の4人に1人が犠牲になった歴史も知らずにいた自分が恥ずかしくて」と、自分への怒りが込み上げてきたそうです。そして、アンケート用紙に「歌をつくって、また来ます」と記入し、その答えが沖縄の本土復帰20年の1992年に発表した「島唄」でした。

最初のころ、主に沖縄民謡に関わっていた方たちに、「沖縄の人間でない人間が沖縄民謡の真似事をするなんてとんでもない」「本当に(沖縄音楽を)やりたいのなら沖縄に住め。そうすればあなたの子どもができるだろう」など批判されたりしたそうです。

宮沢さんは、「ヤマトンチュ(本土の人間)の自分が沖縄の歌を歌って良いのか悩んだ」そうです。そんなときに、「花」「ハイサイおじさん」などで沖縄の心を歌い続ける喜納昌吉さん会い、喜納さんから、「(『島唄』を単なる沖縄音楽の真似事、と批判する者もあるが)音楽において、魂まで自分のものにして歌に込めているなら、もうコピーじゃない」と言葉をもらいました。

宮沢さんは、喜納さんの言葉を受けて非常に感謝したと語っています。

また、BEGINの比嘉栄昇さんは、「BOOMさんの『島唄』は画期的だった。それまでは沖縄のミュージシャンは本土でどう歌えばよいか分からず、本土のミュージシャンも沖縄で歌うのは遠慮があった。その橋渡しをポンとしてくれたのがBOOMさんの『島唄』です。ありがたかった」と述べており、沖縄民謡協会でも20周年を受けて「最初はムカついたが、今は感謝している」とコメントしています。

「島唄」はドレミのレとラのない琉球音階でほぼ作曲されているそうですが、サビ前の「♬ウージの森で あなた と出会い ウージの下で 千代にさよなら」の部分は西洋音階となっているそうです。これについて宮沢さんは、「この部分は琉球音階で歌ってはいけない、(伴奏の)三線も弾けないと感じました」と語っています。

この部分の歌詞は、「幼いころウージ(サトウキビ)畑で出会った男女が、ウージ畑の下の洞窟で永遠の別れ、つまり自決をしなければならない」という意味が込められており、「死に追いやったのは『日本軍』であって、彼ら彼女らの無念を思うと琉球音階は使えなかったんです」と述べています。

島唄の歌詞は沖縄の情景と男女の別れを描いたラブソングですが、すべての歌詞にもう一つの意味が込められている「ダブルミーニング」という手法をとっています。

たとえば、「♬風を呼び 嵐が来た」の風や嵐は読谷村に来た米軍の艦船。そして「♬ウージの森で」は集団自決を描き、「♬このまま永遠(とわ)に夕凪を」では、「二度と戦争が起きることなく、この島に永遠の平和が来るように」と永遠の平和を願っています。

「より多くの人に聞いてもらい、歌ってももらえるようにダブルミーニングにしました。長く歌われるうちにもう一つの意味も分かってくれればいいと思ったし、音楽は音楽として鑑賞するものなので、しばらくは説明もしないできた」

「今の日本の平和はどこからか勝手に来たのではない。沖縄戦、戦後の占領時代、さまざまな犠牲があってもたらされた。決して忘れてはいけない。島唄をつくってから決めたのは、歌手として人として沖縄をとおりすぎるのではなく、根を生やすことでした」

島唄は海外でも多くのアーティスによってカバーされています。

ロシアでは人気ロックバンド「ナイト・スナイパーズ」のディアナ・アルベニナさんが2005年に歌って話題になりました。曲の前半はロシア語、後半からはアルベニナさん自身の日本語だそうです。

ディアナさんの歌う島唄はロシアのラジオ・チャート4位になり、ディアナさんは当時出演するラジオやライブで、宮沢さんのこと、日本のことを必ず語ったそうです。なお、ディアナさんは2014年、ロシアによるウクライナ・クリミア併合について、ウクライナに同情を表明したことがあるそうです。

この島唄が世界の国々で受け入れられてカバーされ、流行ったように、世界中が「永遠に夕凪を」と願ってやみません。

本日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。

今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。

その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。

それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。

また、明日、ここで、お会いしましょう。

コメント一覧

まっくろくろすけ
お寿司の人さん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

私も勉強になりました。また、宮沢和史さんのこの楽曲への想いについても、考えさせられました。
まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

ストレートに表現できないものなどに対して、作り手の方が、何を届けたいのかという想いでなのでしょうね。

それがわかったときには、私も、あらためてその曲の良さを知ることもあります(なかには、そうでないものも・・・)。

私もダブルミーニングでブログをいつか書いてみましょうか。
まっくろくろすけ
macaronteapartyさん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

私も島唄が流行ったころには、その意味までは知りませんでした。その後、意味を知った次第です。

私も「沖縄のこと、本当にわかっているの?」といわれれば、何も答えることできませんが、それでも少しでも沖縄のことをわかりたいなと思っています。

私個人として、人の願い、想いは、どんな形であれ、どんなに離れていてもきっと届くものだと信じています。
お寿司の人
大変勉強になりました
驚きました…
eco坊主
おはようございます。

言葉の裏とか行間の意味とか中々読み取れない私です。
ダブルミーニングも理解できるかどうか・・・

世界中が「永遠に夕凪を」の願いが世界中に広がりますよう。
macaronteaparty
野球小僧さん、今日は。
今日も素晴らしい記事をありがとうございます。

「島唄」に、こんな深い背景があるとは全く知りませんでした。
(実は作者が本土人であることも知りませんでした)

個人的には私も物語を書く身なので、
本土人であっても沖縄の心を歌う勇気と、それがやがて受け入れられていった
ということは、心の励みになります。

そしてこの歌が反戦の歌でもあったことは驚きでした。

芸術や芸能は、戦争や大きな災厄の前には無力に思えます。
だけどここまで真摯につむがれたものは、国を超えて届くのでしょうか。
それなら、やはり頑張る価値はあるのかもと思います。

もちろん宮沢さんの努力と、私ごときの微力とを比べるのは
おこがましいとは思いますが。

今日はたくさんのことをこの記事で知りました。
YouTubeでこの歌を改めて聴いてみたくなりました。

野球小僧さん、よくこんなにいろんな話題を思いつきますね。👏
またの記事を楽しみにしています。😊
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