都市対抗野球の地区大会も終わり、出場チームが決まりましたが、北海道地区2次予選では航空自衛隊千歳(空自千歳)が、大会2日目に昨年本大会出場のJR北海道硬式野球クラブ(札幌市代表)に8-6で競り勝ち、3日目にはウイン北広島(北広島市代表)に延長13回タイブレークの末4-1で勝ち、2勝1敗となって初の本大会出場へとなりましたが、望みをつなぎました。
しかし、3日目第二試合で、日本製鉄室蘭シャークス(室蘭市代表)がJR北海道硬式野球クラブに5-4で勝ち、日本製鉄室蘭シャークスが3勝全勝となり、空自千歳は残念ながら本大会出場は来年以降となりました。
空自千歳は1926年(大正15年)に、小樽新聞社(現在の北海道新聞社)の社機である「北海1号」(三菱R22型)をぜひ近くで見たいとの千歳村民の強い希望により、飛行機を着陸させるため、千歳村民の手により、開墾し離着陸場を造成したのが始まりです。その後、1939年(昭和14年)から海軍航空隊基地として使用され、1945年(昭和20年)に終戦を迎え、米軍が進駐してきました。1954年(昭和29年)以降から米軍が他基地へ移駐し、1957年(昭和32年)に航空自衛隊千歳基地が開設された以降、1960年(昭和35年)には基地施設の大部分が返還されたものの、1976年(昭和51年)に全面返還されるまで、米軍の管理下に置かれていました。
なお、現在駐留している第2航空団は、1956年(昭和31年)に静岡県浜松市で国内初の実戦部隊として新編され、翌年、千歳基地に移駐しました。1958年(昭和33年)から、対領空侵犯措置(スクランブル)の任務が開始され、主に北海道地域の領空に接近・侵入してくる国籍不明機に対しての対領空侵犯措置を担当しています。時代と共に戦闘機も更新され、1957年(昭和32年)にF-86、1961年(昭和36年)にF-86D、1962年(昭和37年)からF-104J/DJ、1974年(昭和49年)からF-4EJ、1983年(昭和58年)からF-15J/DJと更新され現在に至ってます。
さて、空自千歳硬式野球部は、この千歳基地内に置かれており、日本野球連盟に所属し、企業登録されている社会人野球チームです。1981年(昭和56年)に創部されました。
当初は北海道5強(1960年代から1990年代半ばにかけて覇を競った、北海道に本拠地を置いた、大昭和製紙北海道(白老町)、新日本製鐵室蘭(室蘭市)、王子製紙苫小牧(苫小牧市)、たくぎん(旧:北海道拓殖銀行/札幌市)、NTT北海道(旧:電電北海道/札幌市))の壁に各種大会の出場を阻まれていましたが、これらのチームが休廃部していく中で、近年は地区連盟主催大会への出場を続けています。
そして、2012年(平成24年)に第38回社会人野球日本選手権大会の地区最終予選でJR北海道、室蘭シャークスと相星となり、得失点差で進んだ代表決定戦で室蘭シャークスを破り初の全国大会出場を決めています。
なお、自衛隊の野球チームとしてはほかに青森、富士、岩国、防府があり(岩国、防府はクラブチーム登録。富士は休部中)、その中で都市対抗、日本選手権の本大会に出場したのは初めてのことです。
空自千歳の今季のチームコンセプトは「チャンスをつくって伊賀につなぐ」というものだそうです。伊賀選手はチームの四番で主将の伊賀俊輔選手。昨年の都市対抗2次予選最終戦のTRANSYS戦で、延長10回に自分のエラーでサヨナラ負け。チームの足を引っ張ってしまったという責任感から、冬場は居残りで守備練習を徹底。攻撃だけでなく守備でも軸としての自覚をより強く持ち、今季に臨んだそうです。工藤康洋監督は「責任感が強く、攻守ともに、チームの中心としてけん引してくれている」と信頼を置いています。
そして、今年の4月中旬には、読売ジャイアンツ三軍とのオープン戦で6-1で勝利、5月のJABA東北大会では19連敗していた明治安田生命との最終戦に勝利し、この1勝がチームの自信となったとのことです。
千歳基地では通常時、主に後方支援のための物資管理などの業務についているとのこと。非常時になれば深夜でも出動命令が出るとのことで、昨年9月の北海道胆振東部地震の際は、厚真町での人命救助活動に加わったとのことです。
「いつ何が起きるか分からない。常に心の準備をしておくことは、日々の業務も野球も同じ」
そして、人生も同じことです。