みやぞん(本名:宮園大耕(みやぞの だいこう))さんは浅井企画所属のANZEN漫才(あんぜんまんざい)という日本の男性お笑いコンビの左側です。
テレビ出演番組数が2016年の31本から236本と205本増加(1位は5本から235本の230本増のカミナリ)した2017年にブレイクしたお笑いコンビです。もともと、きっかけはみやぞんさんの独特なキャラクターが日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ!」などで注目を集め、今年に入ってからはコンビでの仕事が増加したことです。あらぽんさんも10月からは「PON!」にパネラーとしてレギュラー出演しており、お互いの活動の幅を広げています。
ANZEN漫才なのに主に歌ネタを得意とし、どぶろっくさんの唯一の弟子です。ちなみに、自主制作曲「足立区の歌」で足立CMグランプリに応募し2年連続足立区長より受賞しています。
8日のTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(金曜;20時57分)で、みやぞんさんの高校球児時代のエピソードが紹介され、観た方も多いと思います。
みやぞんさんは1985年東京都足立区出身で、5人目の末っ子として生まれました。ちなみに上4人は全員お姉さんです。小学五年生の時、忍び込んだ運送会社の倉庫に置いてあったサンドバックで遊んでいると、たまたま見ていた元チャンピオンの社長に強烈なパンチ力とセンスを見込まれキックボクシングに入門します。そのまま中学三年生までの5年間キックボクシングに励みました。当時、ゲームセンターのパンチングマシーンで 216kgfを記録し、中学生の時は一度もケンカしたことなどないのに地元周辺で「裏番長」と呼ばれていました。
みやぞんさんが中学生の頃というと、腰パン全盛期の頃です。しかし、ダボダボのパンツが嫌で、ピシッとしたかったため、ジャージをパンツにインしていました。すると周りが「あいつには隙がないって言い始めた」らしく、みやぞんさんが「裏番長」だという話が広まってしまったとのことです。
また、ある日、給食当番でかっぽう着を着ていたとき、みやぞんさんを倒しに、すごい人数の不良が中学校の門に押し寄せたそうです。そこでみやぞんさんはかっぽう着のまま門まで行き「どうしたの?」「僕のこと知ってるの? 言って言って、俺なんかしたなら謝るから。いつ会った? 僕、親戚?」と話しかけます。すると不良たちが「コイツやばい」と逃げていったそうです。
実は、ゲームセンターのパンチングマシーンの順位にみやぞんさんの名前が1位にいつも載っていて、それを倒すために(こいつは)誰だって探されたりしていたことが「裏番長」の実態だったようです。
その中学時代はテニス部に入部します。中学から始めたテニスですが、入部した初日に小学生の時からテニスをしていた人と試合をして勝ってしまったそうです。さらに足立区で準優勝の成績を収め、テニスの強豪校である日大系付属高校から推薦の誘いが来るほどだったそうです。ところがある日、テニス部の練習中に偶然野球部から転がってきたボールを80m投げ返したところ、たまたま野球部員の勧誘に来ていた都内の高校野球コーチの目に留まり、都立荒川商業高校へ進学し、野球部へ入部することになります。
当時の都立荒川商高野球部は東京では初の女性監督として野上和恵監督が就任していました。野上監督は保健体育科の先生として授業や部活動において「感謝の心」を大切にする指導に徹し、生徒、野球部員、保護者から厚い信頼を得ていました。
入部した野球部でも驚異的ともいえる運動能力の高さで、一年生からエースで四番に抜擢されます。130km/hを超えるストレートと変化球が武器で、当時の野球専門誌に注目の選手として紹介されたほどでした。
「一番」が最も良いと思っていたみやぞんさんは、打順で「四番」だったことに「いいなぁ、お前は一番で。俺なんか四番だぜ」と野球の常識からかけ離れたコメントをして、チームメートを呆れさせたという、現在のボケに通じる天然さを発揮しています。
そして三年生の夏、初戦の二回戦に本郷高相手に14-1でコールド勝ちし、夏の大会初さい配となった野上和恵監督にウイニングボールをプレゼントしました。続く三回戦も7回に逆転して千歳丘高6-5で勝利。四回戦は強豪・国士舘高に0-20の5回コールド負けとなり、みやぞんさんの高校野球が終わりました。
チームメートが最後の夏で敗れ涙を流す中、みやぞんは衝撃的な言葉をナインにかけたそうです。
「諦めるなって。頑張って、次は勝とう!」
チームメートから「次はない!」と言われて、初めて知ったという天然さです。
高校三年間の選手権大会の成績
2001年 第83回東東京大会 二回戦 荒川商高 1-11 雪谷高
2002年 第84回東東京大会 二回戦 荒川商高 10-11 淵江高
2003年 第85回東東京大会 二回戦 荒川商高 14-1 本郷高
三回戦 荒川商高 6-5 千歳丘高
四回戦 荒川商高 0-20 国士舘高
ちなみに、この2003年の四回戦進出は都立荒川商高の都大会最高位です。また、 週刊少年サンデーに2010年まで連載されていた「最強!都立あおい坂高校野球部」というマンガがあります。 女性監督が甲子園を目指すという物語なのですが、そのモデルにもなっている高校の野球部が都立荒川商高時代の野上和恵監督です。
そんな、みやぞんさんですが、家庭は幼少期から経済的に苦しかったにも関わらず、全力でサポートしてくれたのがお母さん春奈さんです。ユニホームが買えなかったとき、お母さんは野球を続けさせたいと思い、指輪を質に入れ、そのお金でユニホームを買いそろえたそうです。「母子家庭で生活するのもやっとでしたが、周囲の方たちから期待されているのも知っていましたし、大耕のためにも何とか野球を続けさせたいという思いで指輪を質に入れました」と当時を振り返り、「わが子がやりたいことを全力で応援するのは親の務め」「体の弱かった大耕がどんどん成長していく姿を見て自分の子どもながら、すごい才能を持った子だなあと思いました」と母としての想いを語っていました。みやぞんさんはお母さんに今でも感謝していて大好きだそうです。
実はみやぞんさんのお母さんは現在70歳を超えていて、「はなちゃん」という芸名で活躍していた元芸人なんだそうです。優しさだけではなく、厳しさもあり、過去にビシッと忠告をされたことがあるようです。みやぞんさんが吉本のNSCに入ろうと思い、お母さんにネタを見せたところ、こう言われたそうです。
「笑いって学ぶもんじゃなくて、その辺に落ちてるやんけ。それを見つけられへんのに養成所で笑いを訓練したって成長せえへん!」
そして、みやぞんさんは養成所に通うことなくプロの芸人としてデビューしたそうです。
なお、みやぞんさんは四回戦敗退だったものの、大学野球からスカウトが来ていました。しかし、せっかくの誘いを断って大学には進学しませんでした。その理由について、みやぞんさんはこのようにコメントをしています。
「厳しい上下関係が嫌だから」
いかにも、みやぞんさんらしいです。