野球小僧

遺言

「抜け、抜け! 俺はなんでも二番がお似合いなんだ。どうせその頃、俺は死んでるから、今のうちにコメント出しておこうか?」
「捕手は肩さえ大丈夫で、二塁までボールが届けば、後は何とでもなるから。肩のメンテナンスだけは、しっかりやっておけよ」

これは2009年2月25日に沖縄県・北谷で行われた中日ドラゴンズ対東北楽天ゴールデンイーグルスの練習試合前に、「遺言」と称して当時イーグルスの監督だった野村克也さんがかけた言葉です。

 「どうせその頃は死んでる」と言っていましたが、今年80歳を迎え、多少調子悪いところはあるようですが、まだまだ健在です。

さて、この言葉を交わしたのが、先日、プロ野球最多出場3018試合を記録した、当時まだ選手専任だった谷繁元信兼任監督です。
単純計算で年間100試合で30年。凄い記録であることは確かです。 

谷繁兼任監督は野村さんへの対抗心がここまでやって来た原動力の一つになっているそうです。
大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ時代の1990年代はヤクルトスワローズを黄金期。その時の監督が野村さんでした。そしてキャッチャーには古田敦也さんがいました。
ベイスターズ時代の監督は大矢明彦さん。そして谷繁兼任監督。嫌でも比較される対象です。でも、「古田は古田、谷繁は谷繁。彼の持っているものをどう伸ばすか。古田の真似だけはさせませんでした」と大矢さん。
キャッチャーの基本を覚えさせ、後は谷繁兼任監督自身の味付けを加えて、初めは大魔神と言われた佐々木主浩さんのフォークが捕れなかったものの、練習努力が実を結び1998年の優勝に繋げました。

試合中にスワローズベンチからダミ声のヤジが聞こえるたびに「うるせえな」と顔をしかめた。それだけに「向こうがエンドラン仕掛けてきたときに、こっちが外して走者をアウトにすれば『よっしゃー』みたいな」と、駆け引きに勝つことが何よりの快感だったそうです。

後にバッターがある球種、コースを嫌うと見るや、しつこく同じ球で攻めるリードを、野村氏に「続きの谷繁」と名づけられました。
キャッチャーとしても、選手としても「数字を見ると、僕よりはるかにすごい選手」と尊敬する野村さんに認められ、その思いが、数字で一つでも上回りたいと記録を意識するきっかけになったそうです。

3018試合といえばMLBでもなかなかの記録であり、8位になります。1位はピート・ローズさんの3562試合ですが、正直そこまでは難しい数字なのかも知れません。
それでも、試合数の多いMLBでも8人しかいないのですから、この記録の難しさは判るでしょう。

野村さんは「俺は50歳までやりたかった。谷繁も、すばらしい捕手が来ない間はできるよ」と。ただ、「長くやっていれば出来る記録。それほど価値はない」と出場試合数のみが注目されることに対して、独特の表現で祝福し、「バットで作った記録を追い抜けって言いたいよ」と更なる活躍を期待したそうです。

私は野村さんは野村さんの考えがあり、自分のチームの選手でなくても、一人でも多く優秀なキャッチャーを育てたかったのではないかと思います。

それはすべてプロ野球界の発展のためでもあり、自分の考えを後世へと受け継いでもらうためだと思います。

出場を重ねたところで何を残したか。何を残すのか。
これまでに得られた有形・無形の経験という財産は簡単に後世へ受け継げるものではないでしょう。


でも、野村さんの記録を抜いた谷繁兼任監督が次にやらなければならないことは、「谷繁の遺言」を渡すキャッチャー育成だと思います。

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
一つ、重要なことをお忘れです。
今週末の東京ドーム3連勝から始まる、昇竜ミラクルVがあるじゃないですか。

ま、谷繁兼任監督は、残りシーズンを専任監督ということで。

ただ、1つ気がかりなのは、先日一軍のコンディショニングトレーニングコーチがアキレス腱断裂で離脱。
大丈夫か、このチーム?
eco坊主
おはようございます。

3000試合越え・・凄い記録ですね。
それもキャッチャーでですから!
毎試合130球平均 そして投球練習を加えると
200回くらいスクワットしているんですから~

キャッチャーの記録をキャッチャーが抜く!
これも遺言かけられた因縁ですかね!?

谷繁兼任監督 おめでとうございます。
あと竜に残っているのは昌の50歳勝利だけですね^^v
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