【文壇本因坊の著書を孫引きとして その11 の巻】
「無」の概念は、思想史にはさまざまにある。
日本では一般的に「何も存在しない事」を指すが、
古代インドでは紀元前5世紀のヴェーダに、
「存在しない事」を「無が存在する」とある。
囲碁には、対局者の頭のなかで構想されたものの
しかし盤面には表現されなかった図がいくつもある。
棋力が上がれば、捨てられた図が5倍10倍とできる。
それは局後の検討で披露され、研究されることにより
棋界が刺激を受け、高みへと導くのである。
前田陳爾九段は「囲碁日記」に
岩本薫九段の言葉を引いている。
「先手先手と、そんなに先手をとりたければ、
何も打たなければ 先手じゃないか」
盤面に石を置かなければ
先手を自分の掌に握っているようなもの、
ということだろうか。
そうして前田九段は一つの結論を記す。
「碁に負けない秘訣は、碁を打たないことである」
プロは後手に回ることを恐れる。
岩本の皮肉は、そこにある。
前田の結論は、さらに歩を進めて
勝敗にこだわり過ぎることへの痛烈な皮肉なのだ。
どちらも単純な「無」ではない。
「先手と後手」「勝つか負けるか」に拘泥し
本来目的の楽しみを忘れかけている棋界に
一撃を与えようとした問題提起なのである。
岩本薫(いわもと・かおる、1902~99年) 第3期、第4期本因坊で本因坊薫和と号する。中盤の戦いに強く、序盤はあちこちに石を散在させ、それが徐々に関連して相手に圧力をかけてくるところから「豆まき碁」と呼ばれた。1945年の第3期本因坊戦挑戦手合(対橋本昭宇本因坊)の第2局、広島市郊外の「原爆下の対局」は有名。のちに日本棋院理事長を務め、海外普及に尽力し、また私財の岩本基金でサンパウロ、アムステルダム、ニューヨーク、シアトルの囲碁会館を設立した。
前田陳爾(まえだ・のぶあき、1907~75年) 本因坊秀哉門下。詰碁創作の大家として知られ「詰碁の神様」といわれる。接近戦を得意とする力戦型で「攻めの前田」とも。随筆での“毒舌”でも知られた。
負けることを恐れ、苦手の相手と打たない人がいる。
降段を恐れ、点数制のリーグ戦に躊躇する人がいる。
負けを悟った瞬間に碁石を崩して立ち去る人がいる。
新型コロナ自粛と称して引きこもりが増え
碁会から足が遠のく風潮が広がっている。
では、あなたは一体いつ打つのだろうか。
「私は何もしなかったという理由で、全ての企てに成功した」
ストリントベルクは「ダマスクスへ」で、物乞いに言わせている。
これもまた世間に対する強烈なる皮肉である。
何もしないことは、それほど何かに意味のあることか。
立派なことか、何かした以上のことか。
きょうという二度とこない一日を
あなたはどう過ごしたいのか。
あす、新型コロナ元年で最後の分割・時短の変則碁会。
さて、何人とお逢いできますやら。
書を捨てよ、町へ出よう 寺山修司(1935~83年)
現実は、そして人生の実相は、
書物の中にあるのではなく、
人々が生きている町の中にある
夢や理想も、町の中でしか実現することができないのだ
さあ、いい加減、もう書物から離れて、
現実の世界に飛び出そうではないか――