永い勤め人生活もいよいよ最終章となり
かつて説教を垂れた後輩たちが管理職に就き
こちらも素直に使われている
移り行く時の速さが加速度的に増し
キャリアが通用しなくなる分野も多い。
昭和は昭和、いまはいまである。
だが、どうしても言っておかねば
ということも、ないワケでもなく、
横丁の隠居よろしく
ちくり「説法」を垂れることも
時にはある。
相手が耳を傾けるか、
無視するか、反論するか
それは、人ぞれぞれであり、
一言いって、あとは黙っておく。
◇
江戸時代のすえのこと。
筑前聖福寺の仙厓和尚が
あるとき、夕立に遭った。
信者の太田老人の家に走り込み
「おい、ご隠居。
カサとゲタを貸してくれ」
と言ったので
早速それらを出してやった。
すると和尚は何も言わず
スタスタと帰っていった。
やがて小僧がカサとゲタを返しにきたが
やはり一言の礼も言わないで行ってしまう。
そこで隠居は心中大いに不平でならなかった。
それから数日が過ぎて
和尚が遊びにやってきたので
いろいろの話のついでに
「先日は、さぞや雨でお困りだったでしょう」
と口火を切ると
和尚は涼しい顔をして
「やあ、困ったわい、
あの際のカサとゲタを小僧に届けさせたが
着いたかな」
「はい、確かに届きました、
ごていねいに、へい」
と言ってから
ハッと気が付くと
自分の方が お礼を言っていた。
隠居はハメようと思ったツボに
自分がハマっていたのに
堪らなくなり
「和尚、あなたも強情ですね。
一言ぐらい お礼をいっても
よいではありませんか」
と なじった。
ところが和尚は
「礼を言うと 帳面が消える。
わしは口では言わぬかわり
心では常に思っている。
人に親切を尽くして
礼を予期しておるなどは
本当の親切ではない」と。
陰徳の説法を聞かされては
さすがの隠居も これには
グウの音も出なかった という。
仙厓義梵(せんがい・ぎぼん、1750~1837年) 臨済宗古月派の禅僧、画家。禅味溢れる絵画で知られる。奔放な生き方で知られ、狂歌も多く詠んだ。福岡の名刹「聖福寺」の住職を務め、文人の間に当寺の知名度を上げた。
隠匿 人に知られないように施す恩徳。「—―を積む」 ⇔陽徳(世間によく知られるようになる徳行)【広辞苑】
飄逸な絵を描くお坊さんですね。 茉那