【文壇本因坊の著書を孫引きとして その6 の巻】
毛利元就は用心深い人物で、
ことが起きれば必ず高い所に陣をとり、
敵の様子をよく見てからでないと
戦を始めなかった。
世の人、これを毛利の高陣といった。
それが、子の元春や隆景の頃になると鉄砲が発達し、
高陣に拠って敵の様子を見定めてからという
のんきなことを言っていられなくなってしまう。
戦の必勝法たる高陣はやめになった。
誰かが孔子に、三度思いて後に行うといったら
孔子は「もう一度考えたら さらによかろう」
といった。
事をなす時は、幾度も繰り返して考えよ、
万事慎重であれ との教えである。
孔子は聖人などではない、善き人だ、
といったのは花田清輝と記憶している。
その孔子様に逆らうつもりはないが、
慎重にもほどがあるし、必ずしもうまくいくとは限らない。
直感でやったことが良い結果を生むこともままある。
もうり・もとなり(1497~1571年) 毛利氏第12代当主。用意周到で合理的策略、大胆な駆け引きを駆使する策略家として知られた。小規模な国人領主から、一代で中国地方一帯を領有する戦国大名の雄になった。
先般、高段者同士の対局を観戦していたら
もう勝ちが動かないとみられていた優勢の五段が
突然に「私が負けました」という。
長考癖の六段は、あっけにとられている。
優勢なのに敗北を認めた五段さんがいうには
「(このままでは)バスの時間に間に合わなくなります」
アマの長考は、迷っているだけのことが多い。
迷える六段さん、一手一手をいい加減に決断しましょう。
少しは空気を読まないと、お誘いが来なくなりますよ。