囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

謎と宝物の伝説

2021年01月05日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 


文壇本因坊の著書を孫引きとして その17 の巻】

 


織田信長は思い付きを喜び、

新しいモノ、珍しいモノをこよなく愛した。

本因坊家に伝わる「浮木の盤」の話がその一つ。

 

碁の指南役だった初代本因坊算砂が

お供をしていると、沼に大木が浮いていた。

信長が例によって、きまぐれに

「あれを碁盤にしたら面白かろう」と言った。

算砂が賛意を示したのは、ゴマだったからであろう。

家来に材木を運ばせ、盤に仕立て、算砂に与えた。

本因坊家は宝物として扱い、直弟子にも触らせなかった。

 

明治14年、十六世本因坊秀元の時、神田松枝町の火事が

本所深川から品川まで延焼する大火になった。

碁盤を持ち出したが運びきれず、川に放り込んだ。

翌日、川を探したが、ついに出てこなかった。

その後、誰かが見つけ出し、本因坊家に戻ったらしい。

 

碁盤は、質草になったり、売買されたり、

行方はいつも謎に包まれ、真贋論争もあった。

金玉均、頭山満らも本因坊家に頻繁に出入りし

この盤とかかわったとされる。

金は、朝鮮独立党の指導者で、

日本亡命の後に帰国し暗殺された。

頭山は、金を秀栄(十七世・十九世本因坊)に紹介した右翼の大物。

日本滞在中の金は、秀栄と深い交流があり、

北海道や小笠原諸島には慰問に訪れる秀栄の姿があった。

 

暗殺された後、犬養毅、頭山らの支援で

東京・青山霊園の外人墓地に墓が建てられた。

墓碑には、こう刻まれている。

 嗚呼、抱非常之才、遇非常之時、無非常之功、有非常之死

 (ああ、大変な時期に、たぐいまれなる才を抱き、大きな功績を残せず、無情の死)

半島の文明開化による自立を支援してきた福沢諭吉は

悲報を聞き朝鮮の体制を激しく非難し、開化派の死を悼んだ。

一方、秀栄の墓を建てたのも犬養と頭山というから

政治と囲碁の関係は、いつの時代も濃密だったことが分かる。

 



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