【筋書きのないドラマ、しかし序章 の巻】
天下の大大名となった徳川家康が
いざ、関ケ原へ出陣しようとしたときのこと。
ある家臣がこれを諫めて
「当年は西が塞がっておりますので
その方角を避けて
ご出陣はおやめになった方がよい
と存じます」と申し上げた。
家康は
「西が塞がっておれば
わしがこれを開いてやる」
と言って出発した。
それから、ついに大勝利を博して
徳川三百年の基礎をつくるにいたった。
死後、日光東照宮に祀られ、
薬師如来を本地とする東照大権現として神格化され、
「神君」「東照宮」「権現様」とも呼ばれる。
江戸幕府の祖として「神祖」「烈祖」とも称された。
あの時代のことである。
家康のフトコロの大きさは並ぶ者なく
二代秀忠はその半分、
三代家光はまたその半分といわれ
権現様の威光は百年単位のストックがあったとされる。
それらの礎の痕跡がいまだこの国には残っている。
極東の神秘性を放っては、訪日外国人の波が
押し寄せていたのは記憶に新しいところである。
鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥
粘り強い忍耐の人、徳川家康
方違え(かたたがえ、かたちがえ) 陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていた風習のひとつ。外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪いといったん別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにした。古来、囲碁は陰陽道の手段として始まったとの説もある。
風通し悪い部屋でコソコソと一本化
会長の首をすげかえることはあっても
秘密主義だけは絶対にゆずれない、か