【筋書きのないドラマ、しかし序章 の巻】
戦国時代末期、中国8カ国120万石を支配した尼子晴久。
驍勇をもって世に知られた尼子十勇士筆頭の
山中鹿之助幸盛の決め台詞がある。
国民教育の題材として戦前の教科書に採用され、
「山陰の麒麟児」の異名をとったヒーローである。
常に、三日月を拝んでは
「願わくば七難八苦のわが身に降りかかりますように」
と祈っていた。
これを聞いた人たちが
誰もが忌み嫌う七難八苦を
好んで自分にくるように祈る鹿之助の心を不思議に思い
「なぜ、そんなことを希望するのでしょうか」
とワケを尋ねた。
答えていわく
「七難八苦に出おうて
わが身を試さなければ
自分の力量のほどが分かりません。
進んで厄災に遭い
我が心を試したいのであります」
✕ ✕ ✕
わたしは当時、何を思ったか
中学2年で生徒会長に立候補し当選した。
克己とか努力とかいった文言が
書道の題材となった時代のことである。
若い心に純粋さが似合うとしたものだ。
そうこうするうち、大人になり、
少しエラクなると今度は天狗になり下がるもの。
油断すると、多くは楽をしてイバリちらす俗物となる。
当然のことだが、独善的になり、モノが見えなっていく。
どうして人間という生き物は
大事なものをどこかに置き忘れ
権力欲なる不純な方向にいくものか。
人生を半分降りたいま、
その六十余年を振り返っている。