【ちょっと寄り道、コーヒータイム の巻】
徳川四代将軍家綱の時
権左衛門という夜盗がいた。
諸国で乱暴を働いたが
ついに捕縛され
拷問を受けた。
しかし
罪状を白状しなかったので
老中の阿部豊後守忠秋が
自邸に呼んで座敷で料理を与えたあと
直接、尋問に当たった。
忠秋は
「そのほうの諸国での乱暴狼藉は
隠れのないことだ。
しかし、
そのほうは一党の頭(かしら)であり
卑しき尋問はしない。
わしが直接に問うことになった」
と丁重に尋問した。
権左衛門も謹んで
「まことに、天下の御老職の御前に罷り出て
直接のお尋ね、有り難き幸せに存じます。
私のような下郎に、
このような丁寧なお問いをなさる以上
隠さずに申し上げます。
なるほど、私は盗みに入りました。
しかし、同類の者はございません。
小頭(こがしら)の喜左衛門と私の両人だけ
の処罰を願います」
と答えた。
忠秋は、その態度に感心し、
幕府に願い出て、権左衛門をもらい受け、
家人として使うことにした。
権左衛門の子孫は今に続いている。
会田恕助が、それである。
また、
小頭の喜左衛門は法体(僧侶)となり
忠秋の死後、その菩提に勤めたという。
(原典:名将言行録)
* * *
ここまでくると、もはや
肝心なことを判断できない現代の
腰掛け気分の閣僚たちの心根では
全くもって理解不能に違いない。
「国民の安全安心」などの常套句で
キレイゴトを並べたとしても
子供の命への判断を学校現場任せにするような
無責任極まる権力者たちのことである。
危機管理の手腕なきことに加え
評論家的な他人事体質を露呈する。
かなしいかな
「国難」のほんとうの意味は?
もちろんお分かりであろう。
▲責任放棄か、事なかれ主義か、本業精励など遠く遠く
夏休み国会を貫いた果て、関心事は権力闘争(総裁選)とは情けなし
向き合うべきこととは何かを全くわかちゃいない