囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

碁友と無頓着のはなし

2021年04月08日 | ●○●○雑観の森

 

一瞬の気の緩みで逆転に至る神経戦である。

部分のヨミと全体とのバランスを

一手一手で先の先の絵柄を評価してゆく。

 

碁の強い人は、ぼんやりしてはいない。

危機管理のアンテナの敏感さを競うのだから

万年ン級にはワケがあるのだ。

 

ただし楽しく打てるのも

それはそれでよく

アマの特権であるのだが……。

 


         ◇

 


ドイツの詩人レッシング(1729~81)の

「かまわずや」ぶりは有名だった。

 


あるとき、

家の中でたびたびカネが無くなった。

「これは召使の仕業に違いない。

よし、ひとつ試してやろう」

一計を案じ、思い切りたくさんの金貨を

テーブルのうえにバラマキ、外出した。

 


街では友人と出会ったので、

この話をしたところ、

その友人は

「カネの数はもちろん

知っているだろうね」

と念を押した。

 


するとレッシングは頭をかいて

「いや、どうも、

ついうっかりして

そこまでは気が付かなかった」

 


         ◇

 


頓着(とんちゃく)とは

仏教語の貪著(どんちゃく)が

訛ったものだが、それが転じて

「案ずる」「心配する」

の意味になった。

 


つまり無頓着ということは

深く物事にこだわることなく

しかもクヨクヨと思うこともなく

いつも平気にふるまう「かまわずや」

を指すようになったのである。

 


「かまわずや」は結構だが

だいたいがポカが多く

行儀も悪いことが多い。

勝ち星稼ぎには都合がいいが

勝ってもさほどうれしくない。

張り合いがない。

ポン友によろしいが

碁敵には不向きである

 

 

▼ユル~イのも、時と場合によりけり、か?

 



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