一瞬の気の緩みで逆転に至る神経戦である。
部分のヨミと全体とのバランスを
一手一手で先の先の絵柄を評価してゆく。
碁の強い人は、ぼんやりしてはいない。
危機管理のアンテナの敏感さを競うのだから
万年ン級にはワケがあるのだ。
ただし楽しく打てるのも
それはそれでよく
アマの特権であるのだが……。
◇
ドイツの詩人レッシング(1729~81)の
「かまわずや」ぶりは有名だった。
あるとき、
家の中でたびたびカネが無くなった。
「これは召使の仕業に違いない。
よし、ひとつ試してやろう」
一計を案じ、思い切りたくさんの金貨を
テーブルのうえにバラマキ、外出した。
街では友人と出会ったので、
この話をしたところ、
その友人は
「カネの数はもちろん
知っているだろうね」
と念を押した。
するとレッシングは頭をかいて
「いや、どうも、
ついうっかりして
そこまでは気が付かなかった」
◇
頓着(とんちゃく)とは
仏教語の貪著(どんちゃく)が
訛ったものだが、それが転じて
「案ずる」「心配する」
の意味になった。
つまり無頓着ということは
深く物事にこだわることなく
しかもクヨクヨと思うこともなく
いつも平気にふるまう「かまわずや」
を指すようになったのである。
「かまわずや」は結構だが
だいたいがポカが多く
行儀も悪いことが多い。
勝ち星稼ぎには都合がいいが
勝ってもさほどうれしくない。
張り合いがない。
ポン友によろしいが
碁敵には不向きである。
▼ユル~イのも、時と場合によりけり、か?