【文壇本因坊の著書を孫引きとして その12 の巻】
妙手・鬼手を放って「カミソリ坂田」と呼ばれ、
「坂田は遠くなりにけり」とまで言わしめた昭和の巨星。
あの坂田栄男(1920~2010年)も後進の追撃に遭遇した。
名人2連覇後の1965年、当時23歳の林海峰の挑戦を受ける。
対局前に「20代の名人はありえない」と豪語したものの、
坂田有利の大方の予想の中で、名人位を奪われる。
続いて翌年、翌々年のリターンマッチにも敗れた。
その後に復活し「第二の黄金期」を迎えるものの、
時の流れは残酷であり、持久力・集中力は往年の冴えを欠いた。
昭和までは、名人とはいえ、大体はこんな具合だった。
今日、トッププロの主流は20代であり、
10代の追い上げも急である。
30代になった井山最強にも迫る。
AI出現による回天の時期にあって
まずは研究・勉強の質と量が求められる。
高性能GPU搭載マシンを買って家に置き、
勉強会にノートパソコンを持っていき、
対局後にリモートで囲碁AIを開いて検証する、
といった使い方まで現われた。
<上野愛咲美(19)のインタビュー記事より>
もう一つは体力。集中力の持続である。
二日掛かりの大きなタイトル戦ともなると
終盤の難所を迎えるのは2日目の深夜であり、
秒読みのなかで目まぐるしく局面が揺れ動く。
緊迫した状況で、ポカが出るか、出ないか。
勝負を左右するのはヨミの深さや正確さだが
このあたりが紙一重、それが若さなのである。
いずれにしても過去の経験よりも
最新の研究がモノを言う時代である。
◇
古い中国のことわざに、
終わりこそが難しいという教訓がある。
狐は川を渡る時、始めは尻尾をピンと立てる。
水に濡らさないように注意深いのだが、
だんだん疲れてきて、ついに水に落とし、
びしょ濡れになってしまった――。
キツネが大きな川を無事渡り切るためには
押し寄せる疲労に打ち克たねばならぬ。
一局の碁は長く、最後まで緊張を緩めていけない。
相撲の土俵際におけるダメ押しが必要なのである。
これはアマの碁にもあてはまる。
良く終わることは少なし、という言葉もある。
勢い込んで戦い始めたとしても、
最後は尻つぼみでウヤムヤに終わることが多い。
実力を出し切れるのも、せいぜい2局まで。
楽しめるのも同じくであるから、
わたしは同じ相手と2局以上打つのは好まない。
連勝しても連敗しても、具合がよろしくない。
3局目ともなると、どうしたって雑になる。
しかし、一方で「付き合い」「親睦」もある。
ここが趣味と商売の違いといえなくもない。
尻尾が濡れても、ご愛敬であるか。
これがよいかどうかはビミョーではあるが……。