囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

側用人が将軍を叱りつける

2021年08月20日 | ●○●○雑観の森

 

 

【まことの富とは何ぞや の巻】

 

青山大倉少輔幸成(しょうゆうよしなり)は

徳川三代家光の御側用人として

一万二千石を領していた。


ある時、将軍自ら美麗な印籠(いんろう)を求め

「どうじゃ、なかなか見事な物であろう」

と自慢げに幸成に見せた。


とたん、幸成は激怒した。

「上様には何となさる。

このような物、何の役にも立ち申さぬ!

御祖父(家康)様には一生のうち、

かような印籠を持たれたことはござりませぬ。

すべて長門の黒塗りでありましたぞ。

そもそも印籠と申す物は薬が入れば足りるもの。

上様のご治政後まだまもない折柄、

かような華美な物をご自身が好まれれば、

皆がこれに習いまする!」


と、手にした印籠を発止と庭石に投げつけ、

しかも足蹴にかけて踏み砕いてしまった。


この所業に激怒した家光、

即座に所領召し上げの処置をとったのだが、

幸成は「かようなことがあろうとは、かねての覚悟」

と子息幸俊を伴い、相模藤沢に蟄居した。


これに対し家光は

「罪したのは幸成であって子息には何ら罪はない。

従前通り出仕するよう」との内意を伝えたのだが、

幸俊も

「父が勘気を受けたのに

子供だけがどうして栄えられよう」

と出仕しなかった。


のちに家光は大いに後悔し

幸成に再三出仕するよう命じたのだが

彼は、ついに出仕せず、

蟄居のまま一生を終えた。

 

この幸成の、将軍の面目を丸潰しにしてまでの

諫言こそ、真の諫言というべきであろう。

         (原典:駿河雑説弁)

 

 

        ◇

 

 

徳川の世は、

家康、秀忠、家光の血統3代により

確立されたのだが、そのおおもとは

家康に古くから使えた三河武士を主とする

忠臣たちの下支えがあってこそであった。

 

権現様と神格化された家康の後は

小粒の将軍たちの浪費癖やら失政やらがあった。

それでも三百年の稀にみる天下泰平の世が

続いたのは、そのときどきに気骨のある

忠臣たちが我が身を軽く思い

世を重く思ったからにほかならない。


いまの世に置き換えてみると

はなはだ心もとないのである。

現代ニッポンの政治はいま

悪さ加減の背比べが続いている。

 

 

側用人(そばようにん)  幕府における御側御用人は、征夷大将軍の側近。将軍の命令を老中らに伝える役目を担った。譜代大名や、大身の旗本から選ばれた。

 

 

 

 

▼国民の生命を託せる人物とは誰なのか?

リーダーの言葉が胸に響くのはいつのことか?

いったい〝夏休み国会〟をいつまで続けるのか?

〝オミ・ソーリ〟がちらつかせる印籠が目に入らぬか……

 

 

 

 

まことの富は魂の内なる富ぞ、

そのほかは益少なくわざわい多し

 ルーキアーノス

 (紀元前のギリシャで活躍した風刺作家)

 

 



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