囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

明治維新と大相撲㊤

2021年07月11日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

【土俵の周辺 むかしばなし あれこれ の巻】

 


大相撲名古屋場(七月場所)も折り返しを過ぎ

わたしの関心は急にしぼんできた

「荒れる名古屋」「熱帯場所」「南国場所」

の期待は裏切られ、強い者や番付最上位が勝つ

ということは、観戦者としてはよろしくない

芸能・スポーツの世界で「○○過ぎる」のは

「及ばずが如し」であって、

端的に言えば、鼻につくのである

みなさんは、いかがだろうか

 

 

   *  *  *

 


明治の初めごろ

相撲人気は地に落ちていた

江戸相撲組が封建的因習をそのままに

名前だけは東京相撲組となったものの

年寄連中が威張り腐って

若い力士もさっぱり育たない

 


人気も下降線の一途で

明治7年ごろには

相撲廃止論まで飛び出した

裸はいかん、

ちょんまげはいかん、

野蛮の風習じゃなかろうか、

などと散々な言われようだった

 


こんな見世物は廃止せよ、となり

新しい力士に鑑札は出さず

数年の猶予をもって

「正業」に転向させたらよい

とまで言われる始末

 


気骨のある前頭、高砂浦五郎が

相撲改革案を発表する

上総の国の出で

生きのいい相撲取りだった

 


当然、年寄連中は耳を貸さぬ

高砂は怒って相撲組を脱退した

その後に同志とともに起こしたのが

「改正相撲組」である

 


世論は、もう日本の相撲も終わりとみた

誰もがサジを投げた

ただでさえ弱い勢力が二分されたのだから

ムリもなかった

 


ところが、薬が効いたのか

びびった年寄連中もやむなく妥協して

4年後に合併話がまとまる

それが東京大相撲協会

近代相撲のはじまりである

 


見物しやすい、分かりやすい

施策施設が導入され

風向きが変わってきた

人気が徐々に戻ってくる

いい力士も集まってくる

ついには明治天皇の天覧の栄を

賜るようになった

明治17年のことである

 


守旧派が頑固・意固地を手放せば

瀕死の体を脱して復興するという

好例といえようか

今日、新型コロナ影響で

苦しい興行が続くが

最低最悪の時代を振り返ると

ここは踏ん張りどころという

気がするではないか

 

 



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