【囲碁は「打つ」、将棋は「指す」の話
~ 所作の細部に美学あり の巻】
織豊時代から〝親戚筋〟の囲碁と将棋。
信長、秀吉、家康の三英傑が好んだことから
この時代の技術が、現代と地続きになっている。
戦国時代後期に「名物」という言葉があり
それを「名人」と言い換えたのが信長である。
指南役の本因坊算砂は囲碁だけでなく
将棋にも通じており、いわゆる兵法家として
三英傑から畏敬を持たれていたと伝えられる。
碁将棋の名人や高手たちが
京都から江戸への転居を
徳川幕府に命じられたのが
17世紀の終わりだった。
それから家元に対し
幕府は士分と禄を与え
あつく庇護してきた。
序列は常に囲碁、将棋の順であり、
それが逆転することはなかった。
いまは、市井の人気のうえでは
将棋が優勢になっている。
世界的に囲碁人口は増えているが
日本では将棋優位が続いている。
この国の風土にあっているのか
他国に類似の芸があるためかは
分からないが……。
◇
戦略戦術を意思表示することを
囲碁では「打つ」といい、
将棋では「指す」というのは
前者が何もない盤上に石を置いていくのに対し
後者があらかじめ配置した駒を動かしていく
というルール上の違いから来ている。
わたしが感心しているのは
将棋の「駒の並べ方」である。
「大橋流」「伊藤流」の二種類があるが
主流は前者であり、時折後者の愛好者がいる。
大橋流は初代将棋名人の大橋宗桂(1555~1634年)が
伊藤流は三代将棋名人の伊藤宗看(1618~94年)が
それぞれ編み出した。
わたしは後者を好む。
最初に「玉」を置き
左金、右金、左銀、右銀、
左桂、右桂と並べ
香車、角行、飛車を最後に残し
歩兵を左から並べていく――。
それはなぜか、といえば
「歩のない状態で
香車などを盤上に並べてしまうと
その瞬間、敵陣に直射してしまうから」
である。
それでは礼に反するということだ。
名人・宗看の着眼の鋭さ、思いの深さが
四百年の時を超えて追体験できる。
つまり
日本的な奥ゆかしさを
こうした所作のなかに
さりげなく表現している
というワケである。
脚付きの将棋盤に駒台を寄せ
座布団に膝をたたんで対局する。
和服姿が絵になっている。
こうしたタイトル戦の光景は
失われつつある日本文化そのものである。
近現代の風潮を比較すれば
懐古趣味を頑なに守っているのは
長く格下扱いされてきた
将棋の反攻といえようか。