7月21日の第25回参院選の投開票から、第199回臨時国会の8月5日閉会の経過の中で、れいわ新選組のメディアの露出度に、選挙戦での山本太郎氏の街頭アピールを聞く機会がなかったものの、Facebookに「(・∀・)イイネ!!」をしてきた、私としての違和感を感じるところです。選挙後の政党要件を満たしたが故にメディアの対応は然るべきとは理解はするが、「当事者が決める政治」云々、「障碍者議員の介助費用の負担」云々には、とりわけ違和感を感じる。
一つは、慣習として「代議士」は衆院議員のみに使われていますが、参院議員も有権者を通じての国民の「代議員」であり、「当事者が決める政治」云々には、間接民主主義を否定し、直接民主主義を主張するがごときは、どうなのか。
二つに、自民党の党利党略の「特定枠」を逆手に取った選挙戦術の「正当性」を認めるとしても、開票結果からは、当選された二人の得票は零に国権の最高機関の構成員としての「正統性」を疑わないのでしょうか。
三つに、「障碍者議員の介助費用の負担」云々の疎外感です。当事者の政治活動も日常生活もサポーターやヘルパーで、フォローできるでしょが、国会議員故の疲労や心労は避けられるものではなく、寿命を損ねることの気遣いは必要ないのだろうか。
国会は2か月ほど夏休みで、10月の消費増税を控えて、国内外の課題山積の折、政策放置・政局先行のアベ自公政権のもと、〝令和の「変」〟となるのか、〝太郎の「乱」〟で終わるのか、・・・
一つは、慣習として「代議士」は衆院議員のみに使われていますが、参院議員も有権者を通じての国民の「代議員」であり、「当事者が決める政治」云々には、間接民主主義を否定し、直接民主主義を主張するがごときは、どうなのか。
二つに、自民党の党利党略の「特定枠」を逆手に取った選挙戦術の「正当性」を認めるとしても、開票結果からは、当選された二人の得票は零に国権の最高機関の構成員としての「正統性」を疑わないのでしょうか。
三つに、「障碍者議員の介助費用の負担」云々の疎外感です。当事者の政治活動も日常生活もサポーターやヘルパーで、フォローできるでしょが、国会議員故の疲労や心労は避けられるものではなく、寿命を損ねることの気遣いは必要ないのだろうか。
国会は2か月ほど夏休みで、10月の消費増税を控えて、国内外の課題山積の折、政策放置・政局先行のアベ自公政権のもと、〝令和の「変」〟となるのか、〝太郎の「乱」〟で終わるのか、・・・
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