仏勅とか御霊示とか御神示とかの特徴の一つを端的に言うと、仏様神様は自己の発言に「保険」を掛けないということです。私達人間がするように自分の推測や予想が外れた時の為に逃げ道を用意したりしないのです。
今、私が思いつく開祖が公開された仏勅や御霊示や御神示を挙げてみましょう。
「すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることができる聖地をわたくしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサヘトマヘトの地をそのまま日本の国にうつさねばならぬ。それがわたくしの使命だったんですね。それをかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。
そうですか。もう一度わたくしはこの地に来なければならないのですね。」
そうですか。もう一度わたくしはこの地に来なければならないのですね。」
「大本堂完成半年を待たず、満山、人で埋まるぞ。」
「金胎二壇の護摩を焚け。」
↓柏原聖地大柴燈護供直前のご神示
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/ea/314bae85e8904117249d093c3ed6d05d.jpg)
「仏像が動くぞ。」
これだけ並べれば、はっきり判るでしょう。
仏様神様は”断言”するのです。時にその断言した事を根拠に命令をするのです。ただそれだけなのです。
仏様や神様は「・・・と思われる」とか「・・・だろう」とか「・・・かも知れない」とか「・・・と危惧している」などという予測や推量を絶対に仰りません。それらは俗世間の我々人間の、自分の発言内容がハズれたときのための逃げ道に過ぎません。
仏様や神様は絶対に自己の発言に「保険」を掛けないのです。逃げ道を用意したりしません。そんなことをするのは私達と同じ人間だけです。
いま手元に『開祖霊諭』とやらをお持ちの方は改めて読んでみてください。「・・・と思われる」とか「・・・だろう」とか「・・・かも知れない」とか「・・・と危惧している」 といった表現が有りませんか?もし、それが有るとしたら、その発言の主は、私たちと同じ人間です。
嗚呼、やっぱりありますか(笑)。
ご愁傷さまです。それ、宗務局の凡夫が書いた作文ですよ。