「大地震を止めることはできないと思う。世界的な大地震が起きる、それをどんなに祈ったってそれを押し止めるっていうことは出来ないですよ、これは。それは物理的なカルマなんだから。しかし、自分がそういう災いに遭わないというカルマに変えることはできるわけです。」
↓このビデオで開祖はそう仰っています。
熊野大柴燈護摩供の名称に関する宗務局のグダグダぶりは、この開祖のお考えを彼らがシッカリとは理解してないことも大いに関係ありそうです。
「巨大地震鎮護」という言い方には“巨大地震そのモノを押し止める”というニュアンスが有ります。というか、ほとんどそういう意味です。宗務局は、たぶん何となくフンワリとでしょうが、そういう方向で考えているので「開祖霊諭」とやらでも熊野大柴燈護摩供の仮名称でも「巨大地震鎮護」と言ってしまったわけです。
「大地震を止めることはできないと思う。世界的な大地震が起きる、それをどんなに祈ったってそれを押し止めるっていうことは出来ないですよ、これは。それは物理的なカルマなんだから。」「軽くすることは出来るだろうが…」こう指導された開祖が不用意に「巨大地震鎮護」なんて仰るはずが有りません。初めから「巨大地震除災」でしょう。
こういうところからも「開祖霊諭」なるモノは開祖の仏界からの御指導などではなく、宗務局の作文に過ぎないことがよく判りますね。
念の為に付け加えますが、私は熊野大柴燈護摩供の開催自体には賛成です。出来る限りの護摩木や基金はさせて頂いています。誤解の無いように。