1.教育は、自分を超えてもらうための行為と思います。
(その人の能力が発揮されれば、その範疇において、私はかなわない)
2.人へのサポートは、自分を頼らなくなってもらう行為と思います。
(その人が自分で気づき、考え、体験する。常に一緒に居られる訳じゃないから)
若い頃から「人材登用」を実践したい。と考えてきました。
その考えが根っこにあるため、1つめの言葉があります。
そして、すべての人には、その人に与えられた素晴らしい能力があり、それぞれに異なります。ですから、人は集団を成し、助け合い、喜びを得て、幸せになるのだと思います。
「その人に与えられた役割と力」は、眠っている(ご自身が気づかれていない)場合があります。そのため、社会などの鋳型にはまり、苦しむかもしれません。
お互いがお互いのことを考え、その与えられた役割を見つけ合う長所発見・進展が重要になると思います。
これが、「その人は、そのままで素晴らしい」とスピリチュアルな世界で表現されるゆえんです。
2つめは、「ヘルプ」をつい行ってしまうことに対する教訓です。
へるぷは、依存を生む危険性があります。
答えを与えてしまうことは、相手の思考を妨害します。相手の思考を生かしつつ導く必要があると思います。それがサポートです。
サポートに徹して、相手に気づきをもたらせ、自分への依存を断ち切る必要があります。
相手の中に答えがない(スキルがない)場合も、糸口やヒントを見せ、気づきをもたらすようにすれば、よいわけです。
これらの具体的アプローチは、心理学から学ぶことができると思います。
人が育ったとき、育てた人の影が消えている(育ててもらったという感覚を持たない)という状態であれば、この2点は達成されたと言えるでしょう。
これら全てが教育で、上から下では、ありません。下から上、横から横もまったく同じだと思います。
みんなで、お互いがお互いを教育しあえたら、素晴らしい世の中になるのではないでしょうか。
そして
>人が育ったとき、育てた人の影が消えている(育ててもらったという感覚を持たない)という状態であれば、この2点は達成されたと言えるでしょう。
これが大事ですね。恩を着せたり、自分の方が上だと思ってしまうことになりがちですものね。
心に留めておきます。ありがとうございます。
いらっしゃいませ。
教えるということには、相手を支配しない。というポイントがあると思います。
間違えると、教える側が優位性を感じるようになりますよね。
利他の心を持たないと、難しいのかもしれません。学校教育でもしっかりと意識すれば、子供たちの苦しみも減るのだと思います。
ありがとうございました。