京都 de パステル画

やりたい放題は無理でも、言いたい放題は言わせてんか。なんせタダなんやから。(しかし決して弱い者いじめはしません。)

9月のアトリエ・パステル画

2011-09-06 13:06:14 | パステル画

 

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newこちらの風景を沢山載せています.  2011年9月6日

 

9月のアトリエ ・パステル画  2011年9月2日

 「上ノアトリエニ居リマス」からの続き。妻は「貧宅を公開せんといて」と言うが、京長屋を直して住み続ける方が、偽サイディングやプリント合板のプラモデルの様な家よりずっと良いと思うのだが。資産価値よりも断然住み心地優先である。そして気の置けない町内も「お気に入り」。露路を出ると「鯖街道」が通る。 

              

                        我が屋自慢 

ここに住んでもう30年。我が家は最初は借家として借りた家であった。あまりのボロさに妻はヘナヘナとへたり込んでしまったが、僕はそれまでのアパートと違い「地べたから立っている家」に住める事が嬉しかった。当時、家を借りるのはマンションよりも遥かに難しい。

後に購入して、勝手気ままに直した。もちろん大工さんに頼んでだが。旧材はマッチ棒一つ表に出ない様にハリボテをして、しかし露出木部は全て無垢材、懐かしい真鍮のドアノブ、アルミサッシは極力使わない、妻の手作りステンドグラスがアッチコッチにはまっている。

後に3階建てにして、ロフトも入れれば床面積は130平米はある筈。南と東にマンションが建って「谷間の我が家」となったが、毎夏の猛暑でも一階は30°までしか上がらない。太陽光発電も付けて二重にエコ住宅である。

子供達が巣立って、一人で何室でも使えるが、結局同じ十畳間が我がアトリエ。

 *「花園にこの絵を載せたのは、僕を大先生と思って訪ねて来られて、ガッカリされるので、 あらかじめ「断り」をいれる為。もう一つ「露地を出ると焼き芋屋がいた」も同じ目的で描いたもの。 我が町内は「鐘紡」の城下町だったところ。鯖街道を挟む様に櫛形に露地が伸び、長屋群が建ち並んでいた。我家も平社員用社宅だったらしいが、戦後の土地改革で住民に払い下げになり、 ずっと後に我がものとなった。こういった露地は今は殆どがマンションとなり、町内でも2,3カ所を残すばかりとなってしまった。 

                  (頂相パステル画西村俊廣西村俊

                 「手作りステンドグラスの風景」へ続く


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