この前にライブという熱狂を味わったのはいつか覚えていますか。先日、新型コロナウィルスという人災が、黙食という形でライフスタイルや文化に影響を及ぼしていることを記しましたが、もう一年以上、私たちはライブという文化を失っています。
緊急事態宣言の都府県では、床面積1000平方メートルを超える百貨店やショッピングセンター、ゲームセンターなどに引き続き休業を求めています。小規模の商業施設についても、酒類やカラオケ設備を提供する飲食店への休業要請を継続しています。
卓越したアーティストの演奏やスポーツ選手の技を自分の目と耳と体で感じられないだけでなく、わたしたちがお互いに面と向かって話すことさえできません。このような日常は、文化的生活とは言えないのではないでしょうか。
オリンピックは無観客でテレビで見ればいいし、音楽・エンターテーメントもネット、テレビあるいはDVDレンタルがあるし、ゲームやショッピングはもう既にネットで十分楽しめるので構わないという人たちもいるとは思います。しかし、ライブでしか伝わらない極致は歴然と存在していて、それを追い求める人たちがいたから、私たちの文化・文明は発展してきたのではないでしょうか。
ステイホーム向けにドラマ、スポーツ、音楽番組などのエンターテーメントがネットで流行っていますので、まだ、ライブの臨場感や熱狂の記憶が残っている間に、私たちが何を失おうとしているのか、よく体感してみてはいかがでしょうか。
上で最後にリンクした「ひとかど。」というインタビュー番組をネットで見ていてふと気付いたことを一言加えておきます。「ひとかど:一廉 または 一角」とは、ひときわ優れていることです。日常英語でも「grow up to be something」という表現が使われます。一人前になることであり、それは一芸に秀でることになるでしょう。大人になって社会の役に立って、その見返りとして報酬を得て生活する、家族を養っていく、ぐらいに広い意味を持ちます。
「ひとかど」の人間はどのように育成されるかを考えていて心配になりました。清廉に物事の角を押さえることで自然と到達するかのように表現されていますが、それは本人が渾身の力を傾け、かつ先達の指導者が全身全霊で育むことではじめて到達される境地ではないでしょうか。そしてその過程には必ず、本物にライブで感動し、対面で体得するプロセスがあるのではないでしょうか。
スポーツにも芸術にも伝統的な型として「道」「家」ようなマニュアルはありますが、実際の才能・技能は徒弟のような人と人とが深く接する方法でしか引き継がれないのではないでしょうか。ネットを見てモノ真似して、安易に到達できる性格のものではないように感じます。
私たちがライブという文化との接点を失うことは、私たちが成長して生きていく、「ひとかど」を成す基盤、すなわち存立の基盤を根底から失っていると言えるかもしれません。
文責:福井宏