出羽庄内の藩主だった酒井忠篤は犬塚盛巍と長沢惟和を鹿児島に派遣。1870年だ。同年に酒井は旧藩士など78名を引き連れ、西郷隆盛の元、軍事訓練を受けるために鹿児島入りする。大日本帝国憲法が発布され、西郷の名誉が回復されると上野公園に銅像が立つが、酒井忠篤は発起人のひとりでもあった。つまり、西郷どんにドハマりしていた。
この滞在期間中、庄内藩士が西郷どんの語る言葉を書き記して世に残した。「南洲翁遺訓」だ。日本の政治家なら目を通すくらいはしていると思うが、これを座右の書とする経営者なども多いのではないか、と思う。たしかに良いこと書いてる。
おそらく、西郷どんは「中身のない薄っぺらな人間」とは正反対に属する人物だった。メガネに他意はないが、偶然、メガネもかけていない。「南洲翁遺訓」はぜんぶで41条と追加の2条からなるが、いまなら、その中でも四条とか、自民党の政治家は読み直したほうがいい。政党交付金で買ってもいいが領収書は忘れないようにしたほうがいい。
万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし驕奢(きようしや)を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。然るに草創(そうそう)の始(はじめ)に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾(びしよう)を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷(まじき)也。今となりては、戊辰の義戦も偏(ひと)へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞとて、頻(しき)りに涙を催(もよお)されける。
まあ、ハングルは知らんが、現代語訳もたくさんある。しかしながら是非、原文を何度か、なんとなくでも読み込むべきだと思う。すると、じわじわと沁み込んでくる。頭で理解するだけではなく、文章として読むだけではなく、もっと深いところで味わい、それから日本人は心の底に刷り込んでおくべき「ことば」だと思う。
また、本当に大切なこと、正しいこととは実にシンプルだとわかる。ただ、これらを守って生きていくのは本当に難しいのだろう、とも思う。だからこそ気をつけないと危ういと実感もする。自分の失敗も他人の失敗もすべて糧にして、日々、精進せねばならないと肝に銘じる次第であるが、特定野党はもういいから、せめて自民党の「政治家」には腹に落とし込んでもらいたいと切に願う。あ、メガネももういい。読まなくていい。
とくにいま、話題沸騰のキックバックとかなんとか、また後ろ暗い銭の話でメガネにトドメは結構なことだが、自民党の心ある政治家は十四条も同じく、心に留めおいてほしい。
会計出納は制度の由(よつ)て立つ所ろ、百般の事業皆是れより生じ、経綸(けいりん)中の枢要(すうよう)なれば、慎まずはならぬ也。其の大体を申さば、入るを量りて出るを制するの外更に他の術数無し。一歳の入るを以て百般の制限を定め、会計を総理する者身を以て制を守り、定制を超過せしむ可からず。否(しか)らずして時勢に制せられ、制限を慢(みだり)にし、出るを見て入るを計りなば、民の膏血(こうけつ)を絞るの外有る間敷(まじき)也。然らば仮令(たとい)事業は一旦進歩する如く見ゆるとも、国力疲弊して済救す可からず。
これも有名な一文だ。もう、思わず、そうそう、そういうことなんですよ、という感想しか出てこない。「入りと出をちゃんとしなさい」は会社の経理でも同じようなことを言う。つまり、誰でも知っている。誰でも知っているが誰もが叱られるアレだ。すまん。
また、外交防衛については18条などがよろしい。
談国事に及びし時、慨然(がいぜん)として申されけるは、国の陵辱(りようじよく)せらるるに当りては縦令(たとい)国を以て斃(たお)るるとも、正道を践(ふ)み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日金穀(きんこく)理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀(はか)るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也。
日本の保守層はつまるところ、ずっとコレを言っている。やっていないから、遺訓の通りになっている。領土も領民も奪われて何もできない。まさに「政府には非ざる也」だ。
ところで、日本のえらいメガネの周囲にも取り巻きくらいはいるだろうに、これは後々「メガネ遺訓」とか残すとなると大変だ。なにせ中身がない。いや、なにか話してはいるのだが、よく聞くとなにも言っていないという奇妙奇天烈だ。日本人はよく「虫の音を左脳で理解する。言語化するから風情があってよろしい」みたいな自慢も聞くが、メガネの音色はもしかすると同じような類の音なのかもしれない。
すいっちょすいっちょとかりーりーとかつくつくほーしなどと同じく、頭の中で言語化はできるも「みーんみーん」とは何を言っているか、どういう意味か、と外人から問われても、それは聞く人の感性によって様々、としか答えようがないのと同じだ。右脳でとらえる外人からすれば音とはどこまでも音であり、ほわっつ!じゃぱにーずぴーぽー!と怒鳴るしかあるまい。すまん。
ちなみに首相官邸で「パーティー自粛を指示したのか」と問われたメガネはこうだった。全文があったので、せっかくだから、なにかの思い出に、今日という日の1ページとして、もうすぐいなくなるから、いまの日本、どういうメガネの元にあるのか、などを忘れないように貼っておく。ある意味、すごく恐ろしいと思う。
メガネ「おっしゃるように、ただいま党本部におきまして党の幹部と会談を持ちました。そのなかで、いまの政治とカネの問題、そして政策集団のパーティをめぐってさまざまな指摘があり、結果として国民の政治に対する信頼が揺らいでいる。このことについて、党として強い危機感を持たなければならない。
そして、党全体として一致結束、これ対応しなければならない、たいへん重要な課題である、重たい課題であることを指摘したうえで、ぜひ幹部として、想いを共有して取り組んでいくことを指示した次第です。
そして、まずは政策集団のパーティにつきましては党として信頼回復に向けての取り組み、これを明らかにするまでは、パーティの開催を自粛すること、さらには年末年始の派閥の行事についても自粛をすること。このことを申し合わせ、徹底していくことを確認しました。
そして、今後につきましても、この状況をしっかり把握したうえで、必要となる対応について、引き続き党として考え、実行しなければならないと考えています。
事態が明らかになっていく、こうした状況をしっかり把握しながら、必要な対応をおこなっていく。こういったことについても確認した次第です。
そして、最後に、あらためて強い危機感を持って取り組むこと。これを重ねて指示をした、こういった会合でありました。いいですか?」
ちなみに記事を書いた産経記者は永原慎吾という人だが、文章の最後を「国民の信頼を回復できるか。首相は背水の陣で派閥問題に取り組むことになる」と〆ている。今年9月の国連総会、一般討論演説でのメガネの記事も書いていて、その際は「複合的な困難が押し寄せる中、人間の尊厳を守り抜くため、首相には国際社会のリーダーとしての手腕と覚悟が求められている」だった。い、いや、べつにいいのだが、なんか笑ってしまったのである。
ちなみに仮面ライダーXのナレーションはこんなのだった。他意はない。他意は。
「巨大な悪の組織GODに父と共に殺された神敬介は、瀕死の父の手によって仮面ライダーXとしてよみがえった。その使命は、世界の平和と正義を守るため、敢然と謎のGOD機関を相手に戦うのである」
・・・・。1989年、自民党の党大会で作家の曽野綾子氏が挨拶している。リクルート事件の翌年になるが、この挨拶の半年後になる7月の参院選にて、リクルート事件に消費税導入、農産物自由化の「逆風3点セット」に合わせて、宇野首相が就任3日目に「サンデー毎日」に神楽坂の芸妓による告発記事が出される。編集長は鳥越俊太郎だった。米民主党に財務省の連続攻撃、左巻きの下衆な一撃で自民党は結党以来初の単独過半数割れ、という大惨敗を喫したが、曽野綾子氏は自民党幹事長以下、大勢の自民党員を前にしてこう述べた。
「政治家になられる、ということは、自己の利益や権勢のために働くことではなく、人々のために自ら選んで死ぬ準備があると言えることでありましょう。それができないようなら、すぐにでも私のように、卑怯者でも嘘吐きでも、どうにか務まる職業に転職されることをお勧めします」(生活の中の愛国心・曽野綾子)。
「聞く力」があるかどうかは知らないが、せめて「聞く耳」があれば耳が痛くてたまらんはずだが、自民党議員は「耳」や「目」や「口」を党執行部に預けているのか。エリートの集団だと思うが、よろしい頭はあっても「こころ」はワシントンか北京に置いているのか。