忘憂之物

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             渋沢栄一

志位委員長「他国へ侵略できないようにするのが9条」…「外国攻めてきたらどうするの」と批判

2022年02月26日 | 忘憂之物




ロシア軍によるウクライナ侵攻が現実となり、目まぐるしく変わる国際情勢に、とてもじゃないがついていけない。また、戦時中となれば一層、情報戦は過熱して国際世論の混乱を招くのも常識だが、同時に、こういうとき、つまり、どうしようもない現実を目の前にごろりと出されたとき、常日頃、無責任にも阿呆丸出しで偉そうにしていた連中は総じて困っている。

しかしながら、困っている人を見たら助けてあげなさい、は亡き祖母の遺言ではないが、情けは人の為ならず、助けてやるのが人情じゃぁないかということで、お困りの9条信者の方々の味方になってみる。叩くのは止めてくれ。


先ず、記事にもある「外国が攻めてきたらどうするの?」は愚問だ。見出し画像を見ればわかると思う。彼ら彼女らは明確に「どうするか」については以前から公言している。志位委員長もそうだ。ずっと「話し合いによる平和的外交」と言っている。「その話し合いが決裂して攻めてきたら?」もさらに愚問。彼ら彼女らは言っている。「あきらめずに粘り強く交渉を続ける」のだ。

また、もっと素晴らしい御仁もいる。もはや「9条神に最も近い」と言って大過ない。

北京五輪の最中、隠し子がいるMCの番組で「羽生結弦」の4回転ナントカをやっていた。その際、コメンテーターで出演していた森永卓郎氏はリモート画面の中「わたしもとんでみました。1回転しかできませんでした」と言った。

隠し子がいるMCは「絨毯の上でしょ」と返すしかなかったが、凄まじいまでの素っ頓狂だ。本人はこれが面白い、と思っていたのは、その後の「どや顔」でもわかるし、スタジオにも広がる微妙な空気にもまったく臆していなかった。恐るべき度胸である。失礼の上に場違いなコメントをして、まったく面白くもないことを公共の電波に乗せて発信し、且つ、スタジオの困ったような、呆れたような空気も意に介さず、にやにやしながら、あれ?なんでかわからないの?みたいな顔を画面に晒し続ける。とても恐ろしくて真似できない。

そんな森永卓郎氏は「中国が攻めてきたら?」には、先ず「黙って殺される」という結論を出している。また、それで日本が滅びたとしても、むかし、日本人という心の優しい民族がいました、と後世に伝えられたらそれでいいと言う。それでも戦うなら「竹槍」でゲリラになりましょう、だった。つまり、9条絶対主義、平和憲法9条信者になろうと思えば、森永卓郎氏の域まで行かねばならない。いま、9条信者を叩く保守論者に問いたい。マネできるのか?

自分ができないことをどうのこうの言うもんじゃない、というのは亡き祖父の口癖かどうかは知らないが、細野豪志氏の「志位委員長のロジックでは他国のための憲法9条になってしまう」もどうか。愚問には違いないが、決定的な誤りがふたつある。ひとつは「だから平和憲法9条を世界へ、と言っている」ということだ。「憲法9条を世界遺産に」という人らもいたが、すなわち、世界各国がすべからく「9条」をもてば、志位委員長の論にはぶっとい筋が通る。

ジーンズが似合う志位委員長が言っているのは、取り急ぎ、ロシアに9条があれば、今回の侵略はなかったというロジックだ。まったく間違ってはいない。現実はそうならない、そうなっていない、そうなるわけないだろうが、という小さな問題を除けば完璧な論理である。

また、もうひとつが致命的なのだが、保守論者は人が良いのか、つい失念しがちなことでもある。

9条信者らはべつに「日本のため」に布教活動しているわけではない、ということだ。細野氏が言う「他国のための9条」は言い得て妙でもあるが、要するに本質でもある。中国共産党のための9条、ロシアのための9条、北朝鮮のための9条なのである。決してアメリカのためでもないし、ましてや憎たらしい日本のためになるわけもない、ということは、彼ら彼女らが誰より知っている。

四半世紀連れ添った妻に「愛してる」と言うほど、いまさら口にするのも、ちょっと小恥ずかしいことだが、彼ら彼女らは「日本の弱体化のため」に活動している。明確な意図に基づいて日々、精力的に頑張っておられるわけだ。泥棒に盗んだ金の使い道を咎めるようなもので、そもそもが反日、対日工作なのだ。それらは既に根本的な問題として忘れないようにしたい。

また、彼ら彼女らが言論の自由や表現の自由、あるいは報道の自由などを悪用して工作活動に勤しむのも常套手段だ。乱暴な手段を用いず、これを無力化するには「受け手側」が理解するほかない。受け手側への周知が保守論者のすべきことだ。特殊詐欺とか痴漢とか引ったくりと同じ。あきらめずに周囲の人ら、とくに大切な人に「気をつけて」を言う。防犯と国防の差異はあるが、それしかやれないし、存外、基本的にやることは同じだったりする。

今回のウクライナの件でもそうだ。普段、周囲にいる普通の日本人に話しても聞かせても反応は驚くほど薄いと思われる。私もそれはもう、思い知ったつもりだ。ウクライナを日本に、クリミアを尖閣諸島に、ドネツクを沖縄に、ルガンスクを北海道に、そしてロシアを中国共産党に置き換えるだけの簡単な思考ができない。よく苛立った保守論者が「この国はもう、ミサイルぶち込まれて何百人か死なないとわからない」と嘆くが、最近はそれも怪しいと思う。怖いねーそだねーくらいで済みそうだ。

ある日の深夜、岸田総理が緊急会見。テレビをつけると人民服を着た岸田総理が登場する。両方の側頭部から下には大きな絆創膏が貼ってあり、岸田総理はホルマリン漬けにされた「耳」を揃えて国民に見せながらボーとした顔で、

「我が国を取り巻く国際状況を鑑み、慎重に検討を行い、丁寧な議論を重ねながら、国益に足るものはなにかと総合的、且つ、全体的に考えながらタイミングを見計らい、適切な時期に判断した結果、わたしは耳を切り落としました。これが私の“聞く耳”です。いまは、もう、ありません。この耳は今から、敬愛する習近平主席に捧げたいと思います」

と言ったら少しくらいは慌てるのだろうか。自信はない。

しかしながら、それでも心を折らずに地道に学び、本を読み、友人と語り、子に聞かせ、妻と話す。できれば、SNSかなにかで発信でもしてみると、知らぬ間に朝日新聞も大赤字、テレビ局も死にかけている。送り付け詐欺みたいなNHKも形振り構わなくなってきたが、これも総攻撃に遭うだろう。いわゆる「断末魔」というやつが聞こえそうだ。

政党もそうだ。立憲の支持率を見よ。公明党を見よ。日本共産党を見よ。社民党なんかどこいったのかわからない。いまはもう、特定野党ではなく、自民党内の親中派やらに焦点が合わされるようになった。敵は宏池会とか聞こえる。10年前、20年前からすれば、ずいぶんな変化だと思う。

侵攻開始から48時間ほどか。キエフでは市街戦がはじまり、ゼレンスキー大統領は首都防衛を宣言している。日本のロシア大使館前で「戦争反対」とデモするのは在日ウクライナ人だけか。安保法制のとき「戦争反対」を叫びながら国会を取り囲んでいた連中は全員、陽性反応で自主隔離なのか。

とっくに剥がれた化けの皮を踏みつけながら、金に転ばず、色にも転ばず、地に足の着いた愛国心から仕事をしている人を見逃さないようにしたい。

あ、あとがんばれ、立公共。広義の意味で「もうすぐ」だ。




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