忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「選択的夫婦別姓」高松市議会が陳情採択議会動かした草の根活動

2022年01月05日 | 忘憂之物




国民的タレントの明石家さんまと国民的大女優の大竹しのぶが結婚したとき、なにかのテレビ番組でタモリがさんまに「大竹さん」と呼びかけた。さんまは「養子にいったわけやないねんから、ちゃんと杉本の姓でね」と応じていた。いまなら市民団体からクレームが来るかもしれないが、その当時は誰も何も言わなかった。郵便ポストが赤いのと同じ、普通のことだったからだ。

職場にもいたし、学校にもいた。女性教師が結婚して「苗字が変わりました」みたいな報告があると、教室内でひゅーひゅーだった。クラスメイトの誰かが苗字が変わると「大人の事情」があったんだろうと察することもした。

ちなみにペットを病院やらトリマーさんのところに連れて行くと、カルテや伝票にちゃんと苗字も書かれている。その際、お父さんの苗字かお母さんの苗字かなどの確認もされない。ペットは「家族の一員」でもあるから、その家の苗字をつけて、その下に「むむ」とか「りこ」とか書かれている。

微笑ましいものだが、こういうところに「ペットも苗字を強制されている」とか言うと変態だとわかる。というか、その前に「強制的に名もつけられている」とも気付く。ちょっと心配になる。

犬はべつに「たろ」とか呼んでほしいわけじゃない。人間の子もそうだ。赤子は自分に名をつけることができないから、親が勝手に、いや強制的に「千代太郎」とかつけるのだ。私の祖父は太郎、曾祖父は金太郎だ。私の本名が「なんとか太郎」となっていないのは運命の妙だが、これも物心ついたら自分で付け直せるようにすればいい。ドラクエでも自分で名前を付けるじゃないか。それと同じく、小学校になったら自分の好きな名前をつければいい。とんぬら、とか名乗ればよろしい。古いか。


ま、ところで、だ。

いま、テレビ番組でも「あなたの苗字のルーツは」みたいなのがあるが、日本に存在する「姓」は30万種以上。読み方を教えてもらわねばならない稀少なものもあれば、佐藤とか小林とか、田中とか吉村とか、聞き慣れたものもある。友人知人を思い起こせばどれかいるわけだが、例えば韓国の姓制度における種類は286種とされる。日本のコメ、国が指定している品種だけでも550種類ある。多ければよいというものではないが、これはこれで非常に少ない。

半島の人は「金」と「朴」と「李」で4割になる。そこに「崔 」と「鄭」を足すと過半を超える。ソウルとか平壌で石を投げたらどれかにあたるレベルだ。

これで夫婦別姓主義をやる。いま、日本などでも夫婦別姓に血道をあげる人らがいるが、韓国高麗大学の崔達坤名誉教授なんかは「韓国の別姓主義は非常に先覚的であり時宜に適切 」と言う。記事にある「ぼそぼその会」代表などは「その通り。日本は遅れている。韓国は素晴らしい」と非難するかもしれないが、そんな謙遜することもない。韓国の民法では「子は父の姓と本に従い父系に入籍する」とある。(第781条 第1項)

なんと先進的で先覚的な韓国ですら、生まれた子は「父の姓」にしろと強制している。さすがは古代中国の父系的家族制度、父性追従主義の国だ。ジェンダーの風上にも置けない差別主義丸出しの旧時代の価値観である。

記事にもあるが、日本では先進的な公明党の議員なども「子の姓は生まれたときに夫婦で話し合って決める 」と提案している。「結婚前に決めておく」も秀逸だ。微笑ましいじゃないか。子供が生まれたらどっちの苗字にする?男の子だったら○○、女の子だったら△△みたいないちゃいちゃが目に浮かぶ。

い、いや、これもSDGsの理念からすれば、生まれてくる子は男も女もない。世界にひとりだけ、唯一、かけがえのない人間だ。オスだからポチ、メスだからハナコみたいな古き悪習は捨てねばならない。私もまだまだ、持続可能的な修行が足らんと自省するほかない。明日からCO2を吸って酸素と水素を吐くから許してほしい。

この「ぼそぼその会」代表の山下紀子さんの息子さん(17)を見習わねばなない。実に立派だ。母親に向かって「政権批判ばかりで国のために働かないなら議員を辞めてほしい」と言う蓮舫の息子は反省してほしい。箱根駅伝の沿道での応援も「国会議員は特権階級だ」とか擁護すべきだが、その点、この山下さんの息子さんは一味違う。

「母との親子の絆や関係性が薄いと感じたことはないし、姓が違うことで家族の絆が壊れることはない。親と姓が違うことを勝手に『かわいそう』と認定しないでほしい 」




正月、テレビ番組で(テレビばかり見てた)芸人が子供やらと出てくる。気になったのは、その子らが親に対してファーストネームで呼ぶことだ。以前からいるにはいたが、何気なく、これも「家族のカタチ」みたいに流しているのが不気味だった。お父さん、お母さんはダメ、などというのは冗談だろう、と思っていた。甘かった。



選択的夫婦別姓について議論が活発になるのは結構だが、相手は選んだほうがいいかもしれない。いろんな理屈も出てきている。日本の伝統がどうした、戸籍法がなんだ、と反対派は言うが、相手は結婚して「夫の苗字にやむなく改名した」「自分が自分でなくなったような苦痛を感じた」というジェンダー星人だ。議論すべき、話し合うべきというが、そもそも議論などするつもりもない。

過日の外国人住民投票のときと同じ。真摯な議論で得心してくれる相手ではない。付き合うのは意思決定の部分、投票行動のみで十分だ。それより説明するのは普通の多くの国民、普通の有権者を相手にすべき。

懸命に行うべきは「周知」と「共有」だ。それが緩いとこの記事みたいに「高松市議会が陳情採択 議会動かした草の根活動」みたいにされる。情けないが、票になるなら政治家もヤラれるのがいる。


LGBTよろしく、女装して女湯に入り「心は女性なんです」とかいうド変態と議論する必要などない。もはや「話して届くところにいない」。やることは先ず、広く広く周知することだ。イデオロギーの共感ではなく、危機感の共有だ。あの手この手で日本の国柄を壊そうとする連中がいる。明確な意図を持った連中に踊らされる阿呆を相手にせず、地元の政治家、地方議員などの胸ぐらを掴み「声を聞かせる」ことが肝要だ。もちろん、自分が立ってもいい。

公立高校の願書、性別記入欄を廃止、と聞けば眉を顰める常識、良識を大切にする。都知事が東京中にソーラーパネルを敷き詰める、と聞けば「落とせよ、都民よ、こんなのよー」と真面な感想を言えるようにしたい。

右翼だ、差別だ言われても「すいませんね」くらいで受け流し、遅れてるだの、古いだの言われても「だからどうした」と撥ねつけ、ヘンだと思うことをヘンだと認識できるアンテナを大切にしたい。それを増やしてしっかり立てる。たぶん、これからが本番だ。





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