日本国憲法でいう戦争は、
日本国憲法の発布 前のことが意識されているのですね。
戦争は、爆弾など武器など、人を殺めることだけではないのです。
何を強制されてもおかしくない という状況が、人権にとって
もっとも よくなかったのです。
悪は、勝手な決まり事を作って強制してくる存在だから。
戦時中、各所で悪の好き勝手な命令状況を作られたことで、
残忍な状況が発生し、弱者を作られてきたのです。
じつは司令系統が機能しなくなったからなのです。
情報伝達が正しく機能しない状態こそが、戦争の伏線で、
戦争の定義にしても よいくらいです。
結局は、生身の人間同士が継続的に確認しあえる状況がないといけない
ということ。
残念ながら、悪は憲法を守らない存在で、爆弾で消えてくれたりは
しません。
先日、国会の記録安全が、映写物やデジタルなどに頼れないので、
速記技能だけではない4人の記録者配置があったことに ふれましたが、
一般書籍の刊行物も、憲法、人権を損なわない内容であるかは
ちゃんと責任持った発刊で、そこに何かあったときに確認をとれる
機関が必ず記されていました。
そうでないと、公に刊行物として出回らないようになっていたのです。
それは、発行元のような所ではないとも習っています。
ちゃんと、連絡がとれるようになっていることは、より重要でした。
それを習った直後、本の終わりの部分を確認すると、
習ったとおりで、心強く思えたものです⋯
しかし、それからあまりたたないうちに、書かれ方が違ってきて、
さらには、ついに、
消えてしまいました。
おそらく改ざんによって、古い書籍からも消えているに違いありません。
記録物の安全は、音もなく消えたのです。
だから、たとえば、誤りがあるにせよまともなほうの精神科の医師が、出ている精神、
心理関係の本が人を誤解に走らせていることに、
ひどく危惧していたりするのです。
しかし、見るもの聞くもの、どうも悪の側の正当化のための虚偽は
出てくるというより、
すでに 悪のための虚偽で固められているようにしか見受けられません。
憲法の教えごとについての異変は、1978年以降にはっきり出ていました。
中学校の社会の教諭から、
(教壇の中央にはあえて行かず、その手前で向き直り)
「今から大事なことを言います。
これまでは、この学年で憲法をやることになるのですが、
今年から無くなりました。⁕
これは、とても大変なことです。
よく覚えておいてください。」
なぜ、⁕ を入れたか、おわかりでしょうか?
教壇に立てなかったらしい事 以上に、
⁕ の時点で、周りの関心が一気に薄れたのを感じて、
びっくりしたのです。
一因は、「じゃあ勉強しなくていいのか」としか受け取ってないな コイツラ
たまたま、小6の節目で、社会専門の担任の先生に教わった私のような人が、
同学年にあまりいなかったのだとすれば、
この同学年は、関心もなければきちんと習ったりする人も
いなくなってしまうことに。
その後たしか、高校でも憲法は出てきていなかったようなので。
大学の一般教養でも、法は、試験(あるけれども)で測れる性質のものでもない
と、仰ってましたし、試験のための勉強する人なら・・・です。
現在までに どうやら、義務教育から、憲法教育は はきだされています。
試験のことしか眼中にない人が、多いかもしれない高校で習っても。。。
多数意見に頼る限界が、あったんだと、ひしひしと感じている今年です。
でも、日本国憲法の発布 当時の憲法のことは、永久の最高法規で、
傍らに活字なくとも、憲法に反することを許す必要はありません。
* * *
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
現在、防御法は無いと考えるしかありませんが、今後は
対処を根本的に誤らないよう、社会的認知が急がれます。