説得力ないと思うけど、音楽はやるほうも聴くほうも、私にとって筆舌に尽くしがたいほど大事。
このような場に書きにくい、音楽を汚されるとんでもない例外事件を起こされた。普段なら身の安全を少しでも証明できたかもしれないはずの手段はちゃんとこのとき奪われていた。(この1件だけではないけど)さらにその冤罪を浴びるという重圧苦をくらった。(そのときの怒り顔をどういうわけかまた予期せぬ人物に見られ、そちらも大事なのにおじゃん。)
恩は自分にはひどい仇で返されるのが当たり前、それでも寛容しまくりの自分となっていたなかでも、それは寛容しようのないもの・・・
おそらく情報がおかしくなったりしているなか、あるていど真実を見通せた方がいらっしゃった。
お名前のなかになぜかシャーマンがはいるのだ。(シャーマンがそれなりの意味を持つと、あとで知らされる。)
真実の可能性を思い、音楽が大事で同時に最悪な目にあっている者を心救ってくださる(音楽の)場をつくってくださった。その最上といえる音楽は特別なすばらしさ。表面的には特に孤立した私を、指さすわけでも人にわかりかねないように見るわけでもないけれど、はっきりとこの自分のこの心の中を救ってくれることを舞台上行動で、そのリピートで示された。
(音楽は心だ命だと、ますます思わされた。)
それだけで、音楽(と自分)は、いったん救われた。かけがえのないこと。
残念ながら人間関係等としては、自分への(もはやハテナな)皮肉やとんでもない出来事がこれでもかと続き、裏のあちらさまの予定通りとんでもなくひどいことへと引きずり込まれた。
仮にすべてが予定させられたことと知ってもなお、あのときの心救われた大事さは褪せない。
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