昨日の記事では、(同程度の)催眠術にかかりにくいとした例に、偏見の少ない事、事実照合に責任を持っていることなどを挙げました。でも、かかりにくい、という言い回しは今一つかもしれません。
かけられた場合に、日ごろから自分の考えていることとのかけ離れ、過度な逸脱があるかなどが、自分で区別できるかには関わってきます。
催眠術は強制言動なので、誰でもかけられるのです。
しかも、その人の有りようを前もって起こしたこと等で強制枠にしてあり、
かける側には随分な想定準備があります💦
だから、私がその想定と違うことが言えたとき、一種のほころびがごとく、
相手に戻ってもらえるようになったのです。
しかし、別の次の場面では、さらにの催眠術・・そんな時、
次の催眠術で相手は、
通常では考えられない(隠れ犯側がさせたい)強い手段を
有無を言わさず持ち込んでしまいます。
最近の私の例では、まず、証拠主義が絡んできます。
本当の証拠には鈍い人ほど、改竄証拠にはまんまと騙されますし、刺激的に気分を害すように言葉やデザインで偽証拠を作りこまれてあるわけです。
本当の理由への興味をかなぐり捨て、「見えている当事者(名称)が悪いが 100%」で済ませる人は、危険人物と化してしまいがちかもしれません。
そう判断させるような扇動もありますね。
また、恐ろしいくらいの浅はかで、危険人物や誤対処となっても、
それについて何ともないのは、隠れ犯側の誘導とうしろだてがある社会だからです。
加害者には何とも思われなく被害者には重篤に響く というのが、さらに極端に現れるところです。
こうすればうまくいく・・というのは、万能、永遠ではないはずと、どこかで思っていないといけない気がします。
いつも、似たような事言ってすみません
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