昨夜の雷雨もおさまり、青空が見えます
昨夜、音楽をガンガンに鳴らしていたキャンプも遠くに見えます。
手前にバスや車が見えますが、今日はウランバートルへ移動します。
共同トイレ&洗面所で、中国人の叔母さま2名にまじって洗顔。
中国人の団体はパワフルです。昨日も間違ってゲルの扉を開けられて驚いたり、
(鍵をしめなかったのも悪いんですが)、おしゃべりが大声だったり
それはそれで楽しい思い出です。
我が家はテントを張ってキャンプをする経験がありませんが、
このわちゃわちゃする感じを娘に体験させられて良かったです。
↓ お手製化粧台 で準備
↓ 朝食です 明るい陽射しが気持ち良い
この景色も見納めです。
娘は、夏休みの宿題で「雲の観察」があり、笠雲(だったかな)写真を
撮っていました。
ありがとう、ハーン テルレジ ルーリストキャンプ!
ゲル内をちゃんと綺麗に整えて、感謝のメモを残しておきました。
日本人の良さをアピールしてきたつもりです。
ウランバートルへ車で向かいます。
↓ 車窓から
↓ 厳しい冬は冬営地に家畜を移し、ゲルも近くに移動するそうです。
年間通して乾燥しており、夏は平均気温19度前後で過ごしやすい。
30度を越える日もあります。そういえば昨日ガイドさんは、乾燥しているから、
お風呂にはめったに入らない。川でちゃちゃっと済ませていると言っていました
それにしては清潔感があります
10月下旬には気温が零下になり、12月から2月は
マイナス20度以下になる日が多いとか
テルレジの村(村?)を離れます。
しばらく草原を走ると、町が出てきました。ここの町は水道がないとか
電線はありますが、道路は整っていない様子。
インフラが整っている日本のありがたさを実感。
↓ しばらく走ると山に住所?
↓ ここの町(町?)は可愛い家が建っていました。
人口に対しての国土の広さを考えさせられました。
↓ しばらく走ると、工場。コンテナもあります。
↓ 近くには線路がありました。
↓ 線路はどこへ向かっているのかな。コンテナなど貨物を運ぶのかな。
走っているところを見たかったです。
↓ だんだん、都会になってきた様子
↓ 車も増えてきましたモンゴルは右側通行だったんですね
↓ ウランバートル市街地が見えてきたようです。
↓ テルレジの亀石近くでも、このように途中で終わってしまっている建物を見かけました。
管理する上の人が変わると、途中で計画が取りやめになってしまうのだとか。
↓ 日本企業発見!世界の日清~モンゴルでも走っているんですね、おつかれさまです
↓ 発電所の煙突から煙。この光景は・・
実はウランバートルは世界で最も大気汚染が深刻な都市の一つとされています。
世界一気温の下がる首都と言われ、暖をとるのにも燃料を燃やさないといけません。
日本は国際協力機構で、旧システムからの改善を行っているそうです。
↓ 交通量が多い交差点
↓ バス停
↓ 韓国のサムスン電子、発見
↓ 日本のパナソニック、発見
観光地「ザイサン・トルゴイ」に到着。
ウランバートル市が一望できる丘。1971年に記念碑が建てられた。
丘の入り口には「ソ連戦士の記憶は、空の太陽のように永遠であり、
大地の燃える火のように神聖である」と記され、頂上の広場には
モンゴルの伝統的な灯「トルガ」がある。
↓ 記念碑は階段をだいぶ登らないといけませんが、その前に日本の
表参道ヒルズのような建物がありました。日本っぽいなーと思っていたら、
名称が「ザイサン・ヒル」。中のトイレもTOTOだったので
日本企業が入っているのかな、と思いました。
↓ 階段をそうとう登りました、ママは息ぎれしまくりです
エレベーターらしきものは見当たりません
↑ 結婚式があったようです。結婚式のあとに名所を回るそうです。
↓ モンゴルとソ連の友好、相互援助をイメージしたモザイク壁画があります。
↓対して、両軍兵士が大日本帝国とナチスドイツの旗を
踏み折っています。今は民主化が進み、日本との交流も盛んで、
日本に親しみを感じる人が多く、親日国だと言っていましたが、
なんだか立場がないような、写真も控えめな顔になってしまいます。
こんな感じは初めてです。
↓ 左下に金色の大仏が見えます。近年建てられたそうです。
↓ 車を走らせ、「ガンダン寺」が見えてきました。
ガンダン寺
1838年に建立。極左政権期に寺院としての機能が失われたり、
回復したりという歴史があるが、民主化以降、チベット仏教の再評価、
文化財の保護、修復運動の中心的存在となった。
モンゴルが仏教国であることを思い出させてくれる。
高さ25mの観音像がある。
初代観音像はスターリンによって1938年に破壊され、ソ連に持ち去られた。
今の観音像は2代目。1990年に建造が開始され、1996年に完成した。
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマの写真が飾られていました。
中国からインドへ亡命したダライ・ラマの後継者問題など
深い話をもっと知りたいと思いました
↓ 昼食はモンゴル料理のお店。少し高級なようです。
モンゴルのテーブルセッティング
↓ セロリスープ。美味しかったです
帰宅後もセロリスープにはまっています。薄味がお勧め
↓ 肉餃子「ポーズ」と、テルレジでも食べた、揚げ餃子「ホーショール」。
あと羊の肉。揚げ餃子はテルレジのリーフ状のほうが良かったです。
(他は写真を忘れました)
乗馬トレッキングでご一緒したご家族と一緒のテーブルでした。
「モンゴルに来るなんてお互い変わっている」とお話しをし、
そのご家族はエジプトやアフリカに行ったことがあるそうで、
行ってみたくなりました。我が家のインドにも行ってみたいとおっしゃっていました。
ママが魅力的なご家族でした。
↓ スフバートル広場 ひろーい ゆったりしてるー
秋から学校の新学期が始まるそうで、学童品を売る店舗がたくさん出ていました。
近年は中国からの輸入品が多いそうです。
↓ スフバートルの騎馬像が目立ちます。
スフバートルは1921年モンゴル革命の、中国からの独立指導者のひとり。
1923年に30歳で亡くなった国の英雄。
↓ 国立オペラ劇場
他にも、モンゴル証券取引所、ウランバートル中央郵便局など
(どれがどれだか忘れましたが)、ありました。
これらの建造物は第二次世界大戦後に抑留された旧日本軍兵士の捕虜たちによって
作られたものが多いそうです。
↓ 政府宮殿の前面の台座に座っている大きな、チンギスハーン
↑↓ ザイサントルゴイで見かけた、結婚式ご一行もいらっしゃいました。
年配の方は民族衣装を着ていました。
日本の着物も外国人からみたらこんな感じなのでしょう。良いです
↓ 新学期に向けて、制服の試着も行われていました。
テーブルの上に子供が乗っていて、サイズをあーだこーだしている姿は、
日本と一緒で微笑ましかったです。
↓モンゴル民謡舞踊鑑賞。
生演奏で舞踊もみられてとても良かったです。
民族民謡の「オルティンドー(長い唄)」はゆったりと草原、山河、
遊牧民、感謝、などを歌ったもの。
馬頭琴、その他モンゴルの楽器。そして「ホーミー」は、一人で笛のような高音と、
低音でベースを奏で、頭蓋骨などなどを共鳴させて響かせる、
特別な伝承をうけた人だけにできるという、聞いていてビンビン響く驚異的な音楽でした。
この劇場では、とても舞台は良かったのですが、観客の中国人のご一行の態度が
最悪でした。始まるギリギリで中央に割り込んできたり、おならをしたり、
途中で足を前の人の背中に伸ばしたり、ステージ最中にトイレに行ったり。
現在の中国はイメージが変わったと思っていましたが、このように外国で悪い印象を、
世界各国の人に与えてしまう怖さ、逆に良い印象をあたえることもできるという事を、
海外旅行に行った際には肝にめいじる必要があると気づきました。
↓ ノミンデパートで、お土産購入
昔の国営デパートをモンゴル大手電気店のノミンが買収した
モンゴル最大のデパート。
エレベーター下の特設会場(?)で新学期向けの、学童用品が売られていました。
中国製っぽいバッグなどが、ごちゃごちゃと売られていました。
上階のお土産売り場や化粧品、食料品売り場は良い感じでしたが、
うーむモンゴル、自国らしさを忘れずにいてね。
↓ デパート前に、日立発見。
カシミヤ製品店「ゴビファクトリーストア」にも立ち寄りました。
素敵なデザインが多くて、ママはビッグなのでサイズがなさそうですが、
娘用のカシミアセーターやワンピースなど、それなりにお高めでしたが、
可愛かったです。買おうか迷いましたが、中学生の娘にはまだ早いかなーと思い
やめました。帰りに空港でも見かけました。
小物など、お土産に良さそうです。女性には喜ばれると思います。
↓ お土産。ママパート先にはゲルの缶に入ったチョコレート。
娘のお友達にはキーホルダー。現地の食料品がそろったザハ(市場)で、
ロシアの乳製品である三つ編みチーズの燻製(チェチル)を購入。
かなりしょっぱいですが、美味しいです。
↓ あいラブNYでなく、あいラブMONGOLIA。
↓ 最後の晩餐は、馬肉、羊肉、牛肉のしゃぶしゃぶレストランで高級ディナー。
品数も多く、豪華でした。
↓ プレミアムホテル宿泊 良さそうなホテルです。入ってみたら、
広いっ!だだっぴろいっ(笑)
↓ バスルームも広いっ。そしてトイレットペーパーが届かないっ(笑)
↓ ということは、ここで踊れと?
↓ ソファ・・・ぷりーず
勉強机で、Bavariaビール。オランダだった~
↓ テレビでモンゴル相撲をやっていました。
夏の祭典ナーダムで人々の関心が最も高い競技。
力士は長袖で胸のあいた上衣、短いパンツ、先が反り返った形の
モンゴルブーツ、中央が尖った帽子を身につけます。
せっかくなので、相撲もとってみましょうかなんてね
そして最終日、帰国します。
空港にて。チンギスハン、ギュクハン、フビライハンの肖像画。
誰がだれかな?わかりません
展示物が多くありました。
帰りも、モンゴル航空です さようなら、モンゴル!
チンギスハン辺りの時代は、広大な範囲を征服したモンゴルですが、徐々に中国、
ロシアにより翻弄された歴史があり、民主化されました。
モンゴルといえば、草原やゲルしかイメージがありませんでした。
戦争関連で、日本がかかわってきたことや、現在の協力機構などによる貢献など、
そして相撲、日本人はモンゴロイド(蒙古型、アジア系)とも言われているし、
とても近い存在だったんだなと、知ることができました。
歴史を乗り越え今があるんだなぁ。国際協力、友好関係は大切なんだなと思いました。