ママ日記~パーシモン!編☆

  小田急線柿生駅での生活が楽しい☆ 娘が幼稚園の頃からはじめたこのブログ。もう高校生です♪

セブ島 3日目、4日目

2016-07-19 19:52:12 | お出かけ 旅行

【3日目】 ムーベンピックリゾート(Mobenpick)ビーチへ 


セブ島といえば普通はビーチリゾートでしょう 母娘待望の素敵なビーチへやっと来れました。
ホテルからタクシー。ホテルのデイユースを利用しました。
コンパクトなプライベートビーチだったのでのんびり楽しめました。

シュノーケリングセットも借りました。

ビーチらしく、冷えたリアルココナツ。
娘はベトナムに続き、あまり好きでないらしい。まあわかる(笑)
メニューにある、ハロハロの方が気になります。。。いつか食べねば。

母娘でシュノーケリング(写真真ん中の2人)。
綺麗な魚がたくさん見られました。娘も楽しそうです。
奥の小さなイカダの上に乗って帰るのが1回のルート程よい距離です

ママ、変わってよ〜

午後になると、さすが南国、もの凄いスコール!
でも手慣れたホテルの従業員は、ささっと家具移動とモップがけ

ランチはホテルのビュッフェレストラン。ホテルなので味も見た目も洗練されていました
お天気もイマイチなので早めに切り上げましたが、デイユースを満喫できました



タクシーで宿泊ホテル方面へ移動をしようとしましたが、距離がすごく遠かったらしく、
運転手さんが嫌だったのか、ぼったくられそうだったので、知らない町で途中下車。
観光客なんて見当たらなくて不安でしたが、せっかくなので庶民的なスーパーがあったので見学。
タクシーが並んでいたのでパパが交渉。タクシーの運ちゃん同士で何やら相談をしていましたが
なんとか帰路につけました。目指すはアラヤモール!で夜ご飯。

 アラヤショッピングモール  

フィリピンのファストフード、ジョリビー

フィリピンのマックも調査!ご飯メニューがありました。

お土産のドライマンゴーを大量に購入して、満喫した3日目が終了。
タクシーで、ホテルへ戻りました。
(ドライマンゴーはヨーグルトに入れると、絶品!)

 

【4日目 最終日】

出発前、朝。
ホテルの窓から見える景色。ホテル周辺をお散歩しました。


空港で忘れていた、ハロハロを堪能!美味しかったです

 

 

フィリピンのお土産に迷い、Tシャツを空港で買いましたが↓

空港乗り場の最後の最後に、良さげなポロシャツがありました。
フィリピンブランドBENCH、こっちが良かったかな〜

5年生の娘の夏休みの宿題は「フィリピン新聞」。
フィリピンの基本情報、食事などはガイドブックを元に娘にやらせました。
ママがお手伝いをしながら進めたのは、フィリピン産バナナについてです。

新百合ヶ丘イオンのフィリピン産バナナにロット番号があるのを発見!

フィリピンから日本へはどうやって来たのか。現地農家、商社、小売店、船便、検疫、税関
や、ロット番号とは、などを簡単に学び、模造紙へ。

イオンにも電話をしてみました。ロット番号から生産者をたどるのは緊急時がある場合のみで
今回はできないと言われましたが、とても親切に輸送について教えていただきました。
全体的に娘には難しい話でしたが、まあ、いっか。なんでも経験ということで。


フィリピンは貧富の差が大きいと昔から聞いていました。
華やかなプライベートビーチ、ショッピングモールを見ました。
一方、バラック小屋のような家、野犬が歩いていたり、川がドブのように臭かったりも
体験しました。
リゾートホテルの滞在で、ショピングモールへシャトルバスで移動をしていたら
見ることができなかったと思います。現地の人がどう思っているのか知りたいです。
あと話は変わりますが、今回フィリピンの歴史や観光地の内容をあまり理解せずに
行ってしまいました。あまり知らなくて、遠い存在のイメージでしたが、日本との戦争や、
毎日食べているバナナなど、フィリピンは結構密接な国だったんだなとわかりました。

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セブ島 1日目、2日目〜フィリピン

2016-07-17 13:10:06 | お出かけ 旅行

夏休み開始早々、翌日7月17日から
フィリピンのセブ島へ、3泊4日で行ってきました

キャセイパシフィック航空
羽田ー(4時間半)ー香港 乗り換えー(3時間)ーフィリピンセブです。
直行便では4〜5時間。

基本情報〜】 
日本との時差はマイナス1時間 
首都はマニラ。最大都市ケソン。フィリピノ語。共和制。です。


羽田空港に日本人でも嬉しい素敵な空間がありました

時間があったので飛行運転シュミレーションゲーム

 
そして香港で乗り換え。ママ若かりし頃、香港は世界一着陸が難しいと言われていて
建物のすぐ近くを飛行していましたが、新しく変わったんですね。
上海ディズニーランドのショップや広告がありました。
あれ?中国ってどこにディズニーランドあったかな??
上海に新しくできて、香港と2箇所でした。

せっかくなので香港スイーツ

せっかくなので香港で、麺と青島ビール
ママの旅行での食事ルールは腹6分目です。君たち飛ばしすぎじゃないかい?
と言いつつビールは飲んでる

 

 ホテルは「シティスケープホテル 簡素で格安ツアーらしいホテルです

 

【2日目】 ボホール島観光ツアー

ボホール島はセブ本島とレイテ島にちょうど挟まれる位置にあります。
フェリーに乗ります〜

 

ガイドさん ↓  トイレ休憩で、さっそくアイスコーンが独特

 

血盟同盟記念碑スペインとフィリピンの友好を誓い合い、血で杯を酌み交わした。

フィリピンの歴史15世紀、イスラム教がマレー半島、インドネシアの島々、ボルネオ島経由から入り、
イスラム王国だった。この時代に、有名なマゼランがフィリピン到着。マゼランのセブ上陸はスペイン統治時代の幕開けとなった。
イスラム教を排し、キリスト教を広め、宗教、食文化、生活、建築様式にいたるまで幅広い影響を民衆に与え、
フィリピン全土に浸透させていった。その後メキシコとの交易が盛んとなったがスペイン政府はこの傾向を好まず
経済活動全体が停滞し始める。スペイン本土に内乱が発生したのと並行するようにフィリピン国内では
自由獲得運動、農民の一揆、スペイン政府の弾圧、そして1892年の武装蜂起、フィリピン革命へとつながった。
1898年スペインと当時犬猿の仲だったアメリカが大艦隊でマニラ港に入り、アメリカが完全にフィリピンを占領。
自主統治へ移行させようと考えていたため有能なフィリピン人を育成したが、かえって自立意識を高めていった。
そんななかフランクリンルーズベルト大統領は「コモンウェルス(共和国)」を樹立させた。
第2次世界大戦中1941年、日本軍が上陸、半月後にはマニラを占領した。1944年に日本軍の力が落ち、
翌年にアメリカ軍がフィリピンを奪回。1946年にフィリピン共和国が発足し自由党中心の政府ができあがったが失政が続き、
アメリカ主導型の政権が続いた。その後マルコス独裁時代へ。ある面では成功を納めていたが、
政権後半は経済的権益を支配する傾向になり、テロやゲリラ事件が日常化する。1986年フィリピン全土で民衆の不満が爆発し、
マルコスを国外へ追い出した。この経過は全世界にテレビで生中継された。
その後もアキノ、ラモス、エストラーダと政権が変わるたびに数多くの政治ドラマが繰り広げられた。
2016年6月30日からロドルゴ・ドウテルテ大統領となっています。

バクラヨン教会 フィリピン最古の教会
(2013年大地震の影響により現在修復中観光名所だったようです)

 

リバービュッフェランチ 乗り込みます〜

ステージで歌も始まりました。日本語の歌も

途中で下船し、、、、

こんな写真や(前で火を吹いてくれています)、

小さな子どもが売っていた弓矢を買ったりしました。
観光用なのが誰でもわかる微笑みスポット。


世界最小メガネザル「ターシャ」見学
映画『グレムリン』のギズモや、『スターウォーズ』のヨーダのモデルになったと
言われています。

↓ 中央に小さくいます。可愛いけど、弱そう

お決まりスポットで、モチロン写真↓


 チョコレートヒルズ 
小さな丘が多く集まる不思議な風景。地質学上では特異な地形で、昔マグマの動きにより海底が隆起してできたものとも言われているが、
真相は謎。サンゴ礁からなる石灰岩でできているため木は育たず草に覆われている。現地では様々な伝説があり有名なのは、
2人の巨人が喧嘩をした時に投げ合った石を片付けなかったから。
乾季(12月〜5月)になると草が枯れチョコレートのように見えるところからこの名前がついた。そうな。

↑この情報を全く勉強せずに観光ガイドさんの説明も聞き流してしまいました。
ディズニーランドのような入口から長い階段を登り、景色の良いところへ出たな〜程度。
言われてみれば、感慨深い景色じゃないか〜と後で気がつきました。


ツアーが終了し、自力で夕食。
東京テーブル(TokyoTable)というビュッフェスタイルのお店です。

東京だけでなく、焼肉、点心もありました。
フィリピンで食べる日本食もなかなか楽しいです。

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