根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

仙酔峡・鷲見平 5月8日(水)

2019年05月08日 23時29分43秒 | 阿蘇山系

阿蘇仙酔峡・鷲見平(964m)    
(ミヤマキリシマ開花状況下調べ)

令和元年5月8日(快晴)

開花速報→見頃は来週末頃(5/15~18 ?)が最盛かと思われる。

(行程) 仙酔峡駐車場(発11:10)→花酔い橋→散策路→鷲見平(着11:30)→
      仙酔峠(鞍部)→仙酔谷→東屋→仙酔峡インホメーションセンター(着12:00)

連日の庭の草取りで少々腰痛気味である・・・
今日は休養日と定め、朝からPCデスクに座る。
デスクから眺める仙酔峡が澄み渡る透明感で今日は近くに見える、

私の腰痛感は、山に登ると解消するのが私のパタ-ンであるので、
それではと思い、PCに座ることを止め、
先月開通(4/1)した仙酔峡道路とミヤマキリシマの開花模様を見分しようと思い立った。
仙酔峡道路は熊本地震で通行止めになっていたので
3年振りに乗り入れることとなった。

↑ 小堀牧の牧野に遊ぶ赤牛と黒牛]
「阿蘇青少年交流の家」入口付近の仙酔峡道路に、柵越えに近づく放牧牛・・・

↑ 花酔橋を渡り鷲見平へ直登する遊歩道沿いの深山霧島]

↑ 鷲見平直下から虎ヶ峰・鷲ヶ峰岩峰群と仙酔尾根を望む]

↑ 鷲見平に立ち並ぶ遭難慰霊碑、傍に咲く花]

↑ [遊歩道東屋付近から仙酔峡インホメ-ションセンタ-側の開花状況を見る]

↑ [ 「ブナ帯の風衛草原にはえるツツジ科・・・」と説明されている]

↑ [ひときわ鮮やかな色を放つ霧島]
北外輪山の奥に、九重連山の山脈と涌蓋山(左端)

 

(5月18日追録)

 再び 仙酔峡へ
(女房の同級生を案内して)

令和元年5月16日(快晴)

女房の同級生が埼玉県から帰省されているので、夜の飲み会が計画され、
私も同席することとなった。
夜の酒をより美味しくするため(苦笑) と
インパクトのある思い出作りをしょうと思い、
昼間の空き時間を利用して、
先日登った、仙酔峡のミヤマキリシマを案内することとした。

↑ [高岳・仙酔尾根登山口「花酔い橋」にて]

↑ [同級生三人組・鷲見平にて]

↑ [(私愛用の杖) 竹三人組・鷲見平にて]
「アルペンホルン」には、見えませんよネ・・・(笑)

↑ [鷲ヶ峰をバックに]

↑ [鷲見平直下から楢尾岳方角を望む]

↑ [鷲見平直下から仙酔尾根・高岳・中岳を望む]
今日の青空は美しい花日和で最盛のミヤマキリシマに出合えた・・・

(2019.5.18日 加筆)

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2 コメント

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仙酔峡を思う (池のカモ)
2019-06-15 01:15:18
おじゃま致します。いつも壮健健脚、およろこび申し上げます。

 仙酔峡は先の大地震の後はたして復興がなされるのかどうか関心がありました。ロープウェイは休止(廃止)になり、駐車場の花酔い橋からの深山霧島だけが季節をたのんだ唯一の魅力なのだろうと考えていたところです。

 ここからは中岳火口までカメラ片手のトレッキングは困難です。では宮地、手野、一帯の外輪山、かなたのくじゅう方面に目を(チラと)向けても、地理に関心がある人でもなければ、今のありようでは、「この地はさすがだ、来てよかった」というよろこびは感じられないのではないでしょうか。

 小生はこの地の価値は、一つには(不謹慎とお思いでしょうが)滝室坂から草千里ヶ浜直近の杵島岳、さらには俵山、布田へと走る中央構造線を俯瞰できるスポットとして位置づけることだと考えています。

 次いで、 北外輪山にはいくつもの凹凸があり、とくに内牧が代表ですが、町の北面の斜面は火口壁そのものであり、「内牧火口」とも言うべき噴火口があったことは容易に想像できます。手野も小倉も宮町も、滝室坂のある福岡も、西の赤水も、すべてかっての火口が作り出した地形ではないかと思えてなりません。

 さらに一つは、古代の律令時代の官道の名残です。二重から蚊藁(今の河原か、先は豊後へでしょう)の、軍用民生両用の道です。いまは農業構造改善事業により見る影もありませんが、租庸調のため、あるいは牧からの軍馬供出に欠かせない道路が阿蘇谷を走っていたはずです。

 仙酔峡に立ち東を向くことに加え、北、西、南に目をやり大地の姿や歴史を深く考えることによりこの地は新しい価値が得られると考えています。
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仙酔峡を思う (元→池のカモ 様)
2019-06-16 11:08:49
お便りありがとうございました。
池のカモ 様もお元気でお過ごしのことと拝察致しております。

1)ミヤマキリシマが咲く5月の頃、人波で賑わう仙酔峡は過去の思い出となりました。
一昔前は、阿蘇谷側を表阿蘇、南郷谷を裏阿蘇と呼称していましたが、今はその逆で南阿蘇の発展は目を見張る勢いで進展しているようです。
(阿蘇谷側は、仙酔峡も含めて観光事業等の底入れが必要かと思われ今日この頃です)

2)「滝室坂~杵島岳~俵山~布田へと走る中央構造線」・「蚊藁(今の河原)」
の記述は「目から鱗」の思いで拝読しました。
それから、ローカルな地名(手野・小倉・福岡)もよく御存知で感心致しました。

3) 「阿蘇ユネスコ世界ジオパーク」にも登録されたこの地ですから
池のカモさんがおっしゃる通り「大地の姿や歴史を深く考えることによりこの地は新しい価値が得られる」との趣旨を改めて受け止め、阿蘇住人の考え方の糧と致したいと存じます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
            (根子岳山窓・元)

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