根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

狩尾集落から登る草の道 12月15日(水)

2021年12月15日 22時26分55秒 | 阿蘇山系

阿蘇北外輪山「狩尾原野」に至る草の道 
(狩尾集落から北外輪山のカルデラ壁を辿る)

令和3年12月15日 快晴

庭作業(自宅の)ばかりでは、どうしても足腰にこわばりが生じて来る・・・
その解消法として「山に登る」ことが私しの対処方法である。(苦笑)

明日は風も無く快晴の予報・・
思い立ったら直ぐにでも行ける近くの山は、
外輪山の外輪壁を登る「草の道」である。

まだまだ未探索の草の道がたくさん残っている。
その一つでもある立山坂(古城集落)を探索(踏査)しょうと思い
相棒の石ちゃんに電話すると、兼ねて石ちゃんから聞いていた
「狩尾の草の道」の方を薦められ、行先変更とした。

狩尾のこの坂は、石ちゃんが子供の頃(中学・昭和29年)
「親父に連れられて牛を引いて登った・・・」との事であった。

(行程)  作業道(砂防ダム)路肩駐車地(発10:15)→涸れ沢渡渉(着11:00)→
    外輪山山頂部(着12:00~昼食・ミルクロ-ド散策)→
              「草の道」山頂部入口(発13:00)→駐車地(14:35)

【狩尾集落から山道への進入口 :復路で撮影】
砂防ダム作業道路が外輪山裾野の牧野まで延びている。

【上記場所をGoogle マップにてキャプチャ)】
斜め右のコンクリト道を走る。

【路肩に駐車してここからスタート】
バックには広大な阿蘇谷と阿蘇の噴煙を従えて歩く。
枯れ野の山肌か美しい・・・

【登路沿いにはモンキーロックの姿が観える
カルデラ壁に優しい顔出を出して、
阿蘇谷を眺めている溶岩の猿・・・

【牧野を登り詰め、浅い谷筋の右岸を遡上】

【涸れ沢を左岸に渡渉】
正面頭上には涸れ滝の流路跡が覗える。

【長いロープが張られている】
沢を渡渉後は藪と崩壊地が現れ、草の道として本来在るべき
九十九折りの道
からはずれて、九十九折を直登するようにして崖斜面を辿る。


この場面は、崖斜面をロ-プ伝いに上がり草の道に這い上がった所。

【安定した「草の道」を歩く】

【登路から、車で走った作業道を眼下に望む】
入山して、初めて開いた展望風景

【一枚岩の巨大な岩壁】
岩が醸し出すパワ-を貰い、疲れが吹っ飛ぶ (笑)・・・

【背後を振り返る】
最奥のピークはボタ野(882m)であろうか ?

【藪で塞がっている草の道】

【藪で塞がっている方向を振り返る】
右下の崖斜面から草の道に這い上がる。

【高度を上げながら草の道を進む】

【九十九折の草の道を振り返る】
外輪山縁まで後15分位の登路

【外輪山頂部の原野に出る】
登路の出口から眺める景色・・・
石ちゃんが子供(中学)の時、草刈に来ていた頃は、
この場所は水溜まりが広がり「あまつつみ(雨堤・天堤)」と呼んでいたとの事。

【原野の左方向にはミルクロ-ドが走る】

【ミルクロ-ド沿いに建つ頌徳碑(しょうとくひ)】
碑文の詳細は判読出来ないが「下戻原野の整理」等々が刻まれている。
建立日は「? ? 昭和3年」の文字は視える「? ?」が判読出来ない・・・
(12.22日訂正)→その後の調べで 「昭和丁卯 弐年」の文字が判読された。
発起人(5名)の中に石ちゃんの「親戚の人の名が刻まれている」と呟いていた・・・
寄付金の最高額は「一金三円」と記されている。

下戻」とは(私なりの調べでは)→「国有土地森林原野下戻(したもどし)法」
(いったん官林となった森林原野のうち証拠あるものは民有に返すことを定めた)

頌徳碑が建つている位置は・・・】
兜岩とラピユタの道の中間ぐらい
(Google マップよりキャプチャ)

【ミルクロ-ド沿いの外輪山縁から望むの景色】
記念碑からラピユタの道方向に10分位歩いたカルデラ縁

【狩尾の草の道に下る入口】
ミルクロ-ドから記念碑を経て牧野を歩き、来た道に戻る。

【この涸れ沢に苦難の下山】
ここからは復路での始末記 
下山口からしばらくは目印のテ-プが頻繁に巻いてあってスムーズに
歩いたが、8合面付近になると藪化と度々出合い「草の道」を失う。
先導する石ちゃんのお得意は直滑降で下ることである。
(石ちゃんの特技は承知であるが、本当は「草の道」を忠実に下りたい願望なり)
カヤに掴まり、尻もちを付きながら、熊苺の棘・カズラに足を取られ苦難の登路
着地目標地の「涸れ滝」から500m位下流の「涸れ沢」に無事着地。

【下山場所から今日の噴煙を望む】

【今日歩いたル-ト図 (イメージ)】
Google マップよりキャプチャ

【地理院地図からキャプチャ】
これは昔の登山道で現在は崩壊地と藪化で
登山者が歩くル-トとは異なっている(注意)

登山を終えて 

砂防ダム工事用の作業道がカルデラ壁付近まで延びていたので
駐車地から登山口までは軽い歩きで済んだが、
その後の登り坂は藪と崩壊地がたびたび現れる。
本来在るべき十九折りの「草の道」も途中、途中で消え、
余儀なく「草の道」からハズレて、
直登する場面もあり悪戦苦闘の歩きであった。

道標と思われる木標を数か所で見掛けたが、
すべて表示板は無くなっている始末であった。
(入山禁止の意を含んで、関係者が外したのであろうか?)

其れであっても、登路の趣きには「草の道」として、
いにしえを偲ぶ風情を充分楽しむことが出来た。

(草の道とは)
その昔、狩尾集落の人々が牛馬を引いて往還した、外輪山牧野への坂道

(2021.12.21 加筆)

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2 コメント

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こんにちは (ちょび)
2021-12-25 11:10:50
こんにちは
草の道の踏査お疲れ様でした。
非常に興味深く、敬服しながら拝見していました。外輪山の牧野の道、いつか私も歩いてみたいものです。ご紹介ありがとうございます。少し早いですが、来年も、また、よろしくお願いいたします。では、良いお年を
返信する
草の道 (元→ちよび様)
2021-12-25 22:32:29
(2021.12.25)
いつも心温まるコメントを頂き有難うございます。
私の故郷の山「三池山」の記事、いつも懐かしく拝見させて頂いております。
ところで「草の道」への山行、ご要望があればいつでもご案内い申し上げます。

師走も残り少なくなりました。
最強クラスの寒波襲来、今夜から相当冷え込みそうですネ・・・
お体に気をつけてお過ごし、良いお年をお迎え下さいませ。
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