今年の8月12日、
母が別宅に向かうので
羽田空港まで送って行きました。
母が保安検査場の手前で
「送ってくれてありがとう」
「帰りの高速、気をつけて」
と言って、
ガラスの向こう側に行きました。
私は母の姿が見えなくなるまで
見送っていたのですが・・・。
34年前も
今日の母と私のような会話を交わし
「じゃあ、またね」
と別れた人達がいたのだろうなぁ・・・
と思ったら
何とも言えない気持ちになりました。
夜になって母から電話があり
約半年空き家にしていた別宅の
掃除がやっと半分終わったとか、
別宅に置いている車のバッテリが上がったとか、
いつもなら聞き流すような
取り留めない話も
この日だけはちょっとだけでも
大事にしようと思いました。
34年前、
こういう機会を一生奪われた
人達のことを考えると・・・。
母が別宅に向かうので
羽田空港まで送って行きました。
母が保安検査場の手前で
「送ってくれてありがとう」
「帰りの高速、気をつけて」
と言って、
ガラスの向こう側に行きました。
私は母の姿が見えなくなるまで
見送っていたのですが・・・。
34年前も
今日の母と私のような会話を交わし
「じゃあ、またね」
と別れた人達がいたのだろうなぁ・・・
と思ったら
何とも言えない気持ちになりました。
夜になって母から電話があり
約半年空き家にしていた別宅の
掃除がやっと半分終わったとか、
別宅に置いている車のバッテリが上がったとか、
いつもなら聞き流すような
取り留めない話も
この日だけはちょっとだけでも
大事にしようと思いました。
34年前、
こういう機会を一生奪われた
人達のことを考えると・・・。