ふとしたこと

日々に気づいたことを書きます

今日は雨だった。

2011年03月21日 19時59分57秒 | 写真

 

街角には木蓮がほころび始めていた。

大勢の若者がタムロして、何やら楽しそうだ。

若い頃は還暦になった自分を想像することが出来ない。

40歳になる自分も考えられないな。

そして、40歳になって、ぞっとする。

木蓮だって、まさか散り行く己の姿を想像できまいよ。

同じだな

・・・・・・・・・・・

その辺をうろうろしているうちに

昔懐かしい名車に出会ったよ。

SR311 DATSUN FairLady 2000だ。

 4気筒SOHC1982CC 145HP

今では、まともに動く車が少なくなってるのでは?

昔兄貴が持っていて、時々借りては走らせてた。

今思えば、ハンドルが重くてクラッチも馬鹿に重いが

車重は軽くて1トンも無かっただろうから、メチャ速かった。

道でハンドルを切ったまま、アクセルを吹かしてクラッチを

繋ぐと、あっという間にスピンしたっけ。

想像に過ぎないが、コイツはオースチン・ヒーレーのワークス仕様に

似ていたのではないだろうか。

どっちもジャジャ馬的な性格だったような気がする。

ポルシェ・タイプのフル・シンクロ5速ミッションとは言うものの

これも異常に、シフトしにくいギア・ボックスだった。

よくもこんな車を作ったものだと感心する。

車が明確に男のモノだった時代の品物で、

まぁ、普通の女性には運転出来なかっただろうと思う。

時代が時代だったんだなぁ。

昭和45年大阪万博の年に生産終了した。

生産開始から、僅か数年で。

それから、日本のスポーツカーも段々とヤワなものになっていった。

女性に反対されるようでは売れなくなったんだろ。

時代は移り変わり、スカイラインGTみたいな車が一世を風靡し

そして、それもロータリー・エンジンに圧倒され、

更にオイル・ショックを経て、ロータリーも廃れ

いつの間にやら、軽自動車がいっぱい走り、

現代のエコカー全盛期へと、男にとっては

だんだんと詰まらない車ばかりになっていく。

とうとう桜井真一郎さんも亡くなって。

・・・

・・

時代はさらに変わり、車というメカのカタマリも電気製品化し、

カメラというこれまたメカの極致もいつの間にか電気製品に・・・

 

そして、みんなが電気を求める結果、大量の発電メカニズムが

必要になり、原発事故が生じても、原発からは逃れられない

生活になってしまった。

どこの家でも、コンセントは蛸足だらけで

見るも汚らしい状態ではないだろうか?

あらゆる機器が多かれ少なかれ、電力を要求する。

そんな時代になったんだなぁ。

今頃になって、メカのカタマリのようなものに郷愁を憶えるのも

あながち、偶然ではないし、年のせいでもないようだ。

だから、町を歩いていても、こんな景色に出会うと

なんだかホッとしてしまう。

昭和30年代・・・

まだまだ、メカがエレクトロニクスより威張ってた時代なんだね。

メカってのは、動きが目に見える。

エレクトロニクスは目に見えぬ。

そこに人間との親和性において、格段の差がある。

つまり、直感的に判るものと、判らないものの差だ。

更に言えばエレクトロニクスの世界も

IC(集積回路)が登場する前には、もっと分かり易かった。

いわゆるディスクリート回路の時代は、理論とモノとの間に

アナロジーが存在していたと思う。

電子回路がICからLSI化するに及び、そのアナロジーが

失われ、さらに論理はアナログからディジタル論理数学の世界へと変遷。

一方でLSI生産技術の中核は印刷技術だといっても過言で無い。

これによって、ディジタル論理回路がお札を刷るように

どんどん作られて、いろんな電気製品の中には

動作論理を受け持つCPUと記憶機能を受け持つメモリーが

充満して行き・・・結果として・・・何がどのような仕組みで

動いているのか?誰にも判らない機械が溢れた。

機械の動きを決めているのは、ソフトウエアという、言葉で書かれた

論理回路に対する動作命令群だ。

それは、その言葉で命令を書いた技術屋さんにしか判らない。

これが、現代。

最近のコンピュータが埋め込まれた機械は、

書き込まれた動作命令群の通りに動いてしまう。

それは、それは正確なもので、動作命令群が間違ってれば・・・

間違った通りに動いてしまう。

だって。そう動けって、書いてあるんだもん。

へっぽこ技術屋が書いたへっぽこ論理があれば、

機械はへっぽこな動作をするが、機械が悪いわけぢゃない。

へっぽこ論理を書いた、技術屋がへっぽこなだけのこと。

・・・

・・

どっちにせよ、そんな味気ないわけのワカラン技術に囲まれては、人間、参るよな~。

で、もっとアナログな、つまり動きが手に取るように判る世界が

感覚的に求められるのは理解できるような気がする。

音楽にしても、絵画にしても、写真にしても・・・

最近のそうしたジャンルの表現世界では、アナログ性が求められてる。

もう、ワケクソ判らんディジタル論理に振り回されたくないっ!!

そんな、叫びが聞こえるような気がする。

しかし、この世界でも人間は後戻り出来ないようになってしまってる。

ほとんどの社会システムはコンピュータで制御されており、

我々はそのサービスから抜け出すことは出来ないだろう。

イヤでも応でも、そういった気味の悪さを内包したシステムが提供する

サービスを受けずして日々の暮らしが成立しなくなっていることは

誰も疑わないだろう。

そこに現代のパラドックスが潜んでいて、オイラたち人間に

いや~な、気分を起させる要因となっているに違いないのだ。

だから・・・

ふらふら歩いては、な~んとなくあいまいで、

どうにでも解釈できる世界に浸りたいのだ。

もう、我々はチャプリンが演じた、なんとかいう映画を地で行ってるんだから。

長い間、屁理屈をお読み頂いて恐縮です。

申し訳ありませんでした。

今日の写真は、全てNikonレンズです。

中でも、nikon Sシリーズのカメラ用のレンズは

なんだか、キリッとしたシャープさがあるような気がします。

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2 コメント

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昔話・・・ (ginjiro)
2011-03-22 22:06:48
510ブルーバードねぇ・・・コイツは本当に名車と言って良いでしょうね。1600ccのSOHC マジで200km/hが出る車でした。当時トヨタのコロナ1600Sという好い加減だが荒っぽい車に対抗して作られたものでしたが、510は立派に1600sをやっつけたと思います。
いすゞは当時べレットGTっての出してました。
やはり1600ccのエンジンを積んでましたね。
ワークス・ドライバーだった浅岡某が富士スピードウェイの第一コーナーから飛び出して亡くなりました。
日産がオースチンと技術提携していたのか、それともプリンス自動車が提携していたのか、私は知りませんが、日産の1000cc級の車のエンジンは明らかにオースティンの影響をモロに受けていると思います。
チェリーにしても、サニーにしてもエンジンは共通でA型エンジンと言います。OHCではなくて、OHVと呼ばれる変則なバルブ駆動方式でしたが、回転は実に滑らかでよく回るエンジンです。
A10とかA12とか言いますが、いずれも1,000ccか1,200ccのエンジンで、オースティンのエンジンを改良したものと思われます。
オイラが乗ってたのも、A12エンジンを筑波サーキットで行なわれるTS仕様のレーシング・エンジンにチューン・アップしてました。
排気量は1,173ccから1,300ccにボアアップ。
バルブ・スプリングを強化、カムシャフトは日産純正の72度のハイカムシャフトにして、吸排気タイミングのオーバラップ量を増やしました。
キャブレターも、純正のSUタイプから、固定ベンチュリーのSOLEXに交換して、箱根を走るときにはジェット類を変えて、トルク重視のチューンを自分でやってました。確か今でも古い家へ行けば、吸気量を測る測定器や、アイドリングのジェット、メイン・ジェットなどがあると思います。
ああ、楽しかったなぁ。
中央高速の談合坂へ入る前のアップロードで加速性能で負ける車は無かったと思いますよ。
わずか、1,300ccの車でね。(笑)
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アナログ ()
2011-03-22 21:33:42
がんちくのある名文ですなぁ。

わかーるぅ。

洗濯機もROMで自由になりません。
自動車も似たようなecoカーで面白くないですね。
ブルーバードSSSのシュッポと入るミッションに感動したものです。

そうそう、名前忘れたけど、いすゞのDOHC拳銃の名前のようなのも出ましたな。
あまりに見かけないもので、当時タクシーで走っていたのに、わざわざ乗りました。

ハンドルシフト全盛のタクシーがフロアーでシュッポと入るのをジーーと見てました。

日産はオースチン
日野はルノー
いすゞはヒルマン
トヨタは何だったけなぁ。

まぁ、物真似から始まったんだよねぇ。
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