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犬吠埼から鹿島をぬけて霞ヶ浦へ

 寒さが続いていましたが、漸く春めいてきた感じがします。そこで久しぶりに「距離ガバ」なツーリングをしてきましたので、その件について書かせて貰います。

 考えてみれば、今までバイクで茨城県は行った事がありません。週末の天気予報を見て、土曜日(3/30)は天気も良く、絶好のツーリング日和の様でしたので、この茨城県を少しブラついて見ようと思いたちました。

 ざっくりなルートとしては犬吠埼から神栖方面へ抜けて、霞ケ浦を少し見て回るというコース。

 本当は筑波山あたりも回ってみたかったのですが、Google Mapを見ていて、どうも時間的には間に合わない気がしたので今回は除外。4/1からは昨年あった「二輪定率割引」とか「ツーリングプラン」も始まるので、それが始まったらそこは行ってみようと、今回は筑波山周辺は断念しました。

 当日はどう考えても「距離ガバ」な走行になるのが予想されるので、早朝6時には出発しようと思ったのですが、寝坊してしまい出発は午前6:50頃。土曜日という事で家族も寝ているので、朝食は近所の吉野家で取りました。

 ネギラー油牛丼のお新香味噌汁セットです。ラー油と切り刻んだ長ネギが良い感じで絡み合って美味しかったです。

 朝食を取って、7:20頃に出発です。今回のコースは国道16号の保土ヶ谷バイパスから、横浜新道を抜けて三ッ沢へ。そこから青木橋を抜け、国道15号線を北上し浮島ICからアクアラインに入るコースを走りました。首都高速を使えばもっと早く行けるのですが、料金値上げが著しく、こういう時には敬遠してしまいます。
 早朝(とは言っても土曜の8時前後)の国道15号線は、結構、交通量も多くて車は皆飛ばして走っています。GIXXERでも6,000rpmあたりを中心に加速すると、そこそこ速いダッシュ感覚なんですが、それでも乗用車の中で張り合ってくる人が居たりします。相手の乗用車も3ナンバーであれば何となくわかるのですが、こういった張り合ってくる乗用車の多くは5ナンバーや7ナンバーのアクアだったりして、しかも大抵が自分と同年代のオッサンドライバーなんですが、何故張り合ってくるのか不思議です。

 吉野家を出発してから40分ほどで、アクアラインの海ほたるに到着です。時間は午前9時頃になっていました。この時間で海ほたるには、多くのバイクが集まっていました。

 海ほたるで小休止の後、アクアラインを走り千葉県へ。ETCを使うと640円で千葉県へ行けるのは結構お得ですよね。

 次の休憩ポイントは「高滝湖PA」です、距離にして約30分程ですかね。GIXXERでは無理せず80~90km/hほどのノンビリした速度で向かいます。

 この千葉県ですが、かなり古くからの歴史を持つ場所です。かなり昔から大和朝廷の勢力下にあった地域らしく、国分寺などの遺跡や古墳が結構多くある場所と聞いています。
 例えば「木更津」の地名の由来は「君不去(きみさらず)」という事が由来していると言い、これは日本武尊(やまとたけるのみこと)が后(弟橘媛)をしのんで「去らなかった」という事から地名が生まれたとか、袖ケ浦はこの后の袖が流れ着いた場所からその様に呼ばれた地名と言われています。あと里見八犬伝も千葉県の物語ですね。

 バイクを走りながら眺める景色も、木更津の工業地帯の景色から、田畑の見える田園風景、そして山間の景色へとどんどん変化していきます。インカムで音楽を聴きながら、そんな事を考えたり眺めたりしているうちに、高滝湖PAに到着です。

 このPAはトイレと喫煙所以外何もない場所なので、トイレに立ち寄った後はひたすら銚子方面へ向けて走らせます。この道は圏央道なんですが、全線にわたり対面交通の一車線道路です。所々に追い越し車線が設けられてはいますが、ハイラックスなどの車が後ろに付くと結構煽りを受ける事があります。速度制限は80kmで、GIXXERは90kmで走っていますが、110kmが限界。だから彼ら高排気量の車からしたら邪魔なのかもしれません。でも下手に避けると危険も伴うので、そこは我慢しながらなるべく自己ペースを守り走り続けます。

 圏央道は松尾横芝ICが終点で、そこからは銚子連絡道を使えるはずなのですが、丁度いまの時期は改修工事をしていましたので、ここで下道へ下りました。

 ここから国道126号線を使うのですが、この国道も結構混雑するので九十九里浜方面へ向かいます。

 九十九里浜沿いには県道30号線があるので、それを使い飯岡海岸へ向かうと渋滞もなくスムーズに向かう事が出来ますが、これは以前に車で次女を連れて来た時に判りました。

 高滝湖PAを出発して、約1時間20分ほどで飯岡海水浴場に到着。

 この日の太平洋は風もあり、波が結構荒い感じです。この日の最高気温は24℃と聞いていたので、実はメッシュのジャケットを着てきましたが、結構この海風は身に染みる感じで、ちょっと服装選びは失敗したかと思いました。

 海岸で波を見ながら少しボーっと休憩。偶に散歩している人がいる程度で、波の音を聞きながら少し気分をリフレッシュしました。ここから国道126号線に戻り、犬吠埼へ向かいます。時間にして30分ほどの距離です。

 犬吠埼と言えば灯台が名所で、周辺には東映映画のオープニングに出てくる波かぶる荒磯があります。

 この写真は2021年11月頃に次女を連れて車で来た時の写真ですが、今回は混雑していそうなんで、その手前にある銚子電鉄の犬吠埼駅で休憩をする事にしました。

 銚子電鉄と言えば「ど」が付くほどの赤字路線。その苦境を救ったのが名物の「濡れせんべい」なのですが、このお菓子、どうも私の家族には不評なのでお土産での購入は断念。丁度時間も12時なので、少し腹ごしらえに、たいやきフランクとアイスコーヒーを購入しました。

 たいやきフランクとは、タイ焼き生地で中にフランクフルトが入ったモノです。初めて食べましたが、食感はアメリカンドックに似た感じで中々美味しいものでした。よくこんなメニューを考えたものですね。

 今回はここからまだ先があるので、休憩もそこそこに先を急ぎます。犬吠埼から鹿島神宮へ向かう事にして出発、近くの君ヶ浜海岸で1ショット。遠くに犬吠埼灯台が見えます。

 利根川河口の海沿いを走りながら、銚子市街に入り、銚子大橋を渡ってからひたすら鹿島神宮へ向けて走ります。

 国道124号線を使いながら北上して向かいますが、神栖市の辺りは工業地帯なのでダンプやトラックが多く走る中を進みます。雰囲気は千葉県の八幡宿周辺に似た感じのところです。詳細はGoogle Mapに任せながら走る事、1時間弱で鹿島神宮に到着しました。

 この鹿島神宮ですが、御由緒を読んでみると御祭神は武甕槌大神となっており、天照大神の命を受けて東国に来た神様です。関東開拓の礎を築いた神と言われていますが、おそらく大和朝廷の東征で功績のあった神なんでしょう。こういった話は日本神話に書かれている様ですが、日本神話とは神話と言いながらも大和朝廷の成立の事も書かれているのかもしれませんね。私はそう思っています。

 ここで時間は午後2時頃なので、ちょっと昼食をとも考えましたが、どうもいい店がありません。お腹もそれほど減っていないので、ここから霞ヶ浦へ向かう事にしました。

 鹿島神宮から潮来市方面に向かいますが、途中で北霞を渡ります。

 この北霞もそこそこ大きな湖なんですが、写真では少し判りずらいですね。釣り人が居ましたが何が釣れるんでしょうか。

 ここから40分ほど走ると稲敷市に入ったあたりで霞ヶ浦が見えてきました。もっとよく見える場所は無いかと探したところ、浮島公園という場所があったのでそこへ行きました。

 この写真では判りずらいのですが、遠く微かに筑波山が見えます。以前に琵琶湖を見た事がありますが、霞ケ浦は琵琶湖ほどではありませんが、やはり大きな湖ですね。

 この時に時間は午後3時頃、日差しも少し傾いてきました。実はこの霞ヶ浦にはもう一か所行きたい所があります。

 私が以前に読んだ好きな本で「機長のかばん」とか「機長のボイスレコーダー」というのがあります。両書とも元全日空機長の石橋秀夫という人が書いた本で、民間機の機長の目線から面白く航空機のフライトについて書かれています。
 この石橋秀夫と言う人は、いわゆる「特攻隊」の生き残りで、若い頃には予科練航空隊で訓練を受け、第二次世界大戦では海軍航空隊のパイロットをしていました。その予科練航空隊の基地が、この近くにあるので立ち寄る事にしました。

 浮島公園から30分ほど走った阿見町に、その場所、今は「予科練平和祈念館」があります。

 入館には500円かかりますが、一見の価値はあるでしょう。館内は当然、写真撮影は禁止です。

 予科練とは航空訓練兵で年齢は16歳から20歳未満の少年が選抜採用されたと言います。当初、倍率は1900名ほどの志願者に対して70名が合格するという狭き門だったそうです。しかし太平洋戦争末期になると、パイロットが不足したので大量に採用したそうですが、恐らく石橋秀夫氏もその時に採用されたのではないでしょうか。

 少年の応募の動機には様々あったそうですが、昭和恐慌の中で、貧困や苦しい生活の中、お金を貰いながら高等教育を受けれる場所として入隊志願した少年も多くいたそうです。そして予科練の訓練兵の中から「神風特攻隊」に志願した人達も多くいました。

 館内には予科練の若き少年たちの志望動機から訓練、飛翔などの様子を偲ばせる様々な遺品などが展示されていました。いまの時代に於いてこの予科練を代表する軍隊に対しては、日本社会には拒否反応がいまだ強くあります。確かに太平洋戦争では多くの悲劇や惨劇がありました。また軍部の愚行や横暴が目に付く記録が多く残っています。しかしあの時代を単にそれだけで考えてよい事なのか、最近、私はこの事を良く考えるのです。
 司馬遼太郎氏は日露戦争があった明治時代について「国権は重く、人権は極めて軽い時代だった」と評しながらも、単にそれだけで時代を評価する事は出来ないと述べ、「被害意識でのみ見るのは庶民の歴史ではない」とありました。太平洋戦争に纏わる歴史についても、改めて評価すべき時代に来ているのではないでしょうか。そんな事をふと思うのです。
 石橋秀夫氏は既に故人となっていますが、彼の著書には予科練の事や戦争の経験を、悲しくも楽しく、また苦しくも誇らしい思い出として綴られていました。

 ここには人間魚雷回天やゼロ戦の復刻機が外に展示されています。

 この回天、現代で作れば恐らくコンピューターに任せる事で、わざわざ人間魚雷とする必要も無いでしょうし、ゼロ戦にしても神風特攻隊と呼んで、将来有望の若者を今なら死地に向かわせる必要もありません。でも当時はそれを行ってしまいましたが、それは果たして避けられない事だったのか。

 まあこういった話は、このブログで書ききれるものでは無いので、ここで止めておきますが、やはり過去の出来事については再度日本人として評価が必要なのではないでしょうか。

 ここで時間は16時を過ぎています。ここからだと常磐道の桜土浦ICが近いので、そこから常磐道に乗って帰路に着く事にしました。

 常磐道に乗る前に、途中のコンビニに立ち寄りましたが、何やら夕日が霞んでいます。やはり黄砂が結構きているみたいですね。

 帰りのルートですが首都高速の料金がやはり高いので、常磐道の三郷JCTから東京外環道を使い大泉ICで一旦下道に下りて、そこから環状八号線を使い、用賀ICから東名高速を使うルートで向かいます。これだけで約1500円は浮くはずです。ちょっとセコいですかね?

 帰りは常磐道の守谷SAに立ち寄り、サツマイモのタルトと栗のケーキを購入して帰りました。

 守谷SAから先、常磐道は断続渋滞。三郷JCTから東京外環道も同じく断続渋滞。大泉ICから環状八号線を走りましたが井草トンネルも渋滞と、渋滞に絡まれ結果、自宅に到着したのは21時近くになってしまいました。走行距離は398キロです。

 まあまあの距離ガバツーリングでした。

 帰宅後、飼っている黒毛のオス猫が膀胱炎になっていたとかで、今日は動物病院に連れて行ったとの事。「一人で遊んできていい気なもんだ」と次女に叱られてしまいました。

 いやいや・・・叱られてもねぇ。。。


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