現在は、ある教材屋さんの新たに開発した自習教材をメインに
中学生には他の、学習塾向けテキスト、市販の問題集などなども併用していて、
先日はディズニーの学習ソフトを購入し、幼児さんたちに遊んでもらいました。
やりたいことができる反面、やり方はすべて自分で工夫していかなければなりません。
過日、ある指導者と塾教材販売会社を訪ねた際、扱っている教材の具体的な指導方法についての説明を、この指導者が会社の担当者に尋ね、
「私どもは、印刷したものを販売しているので、使い方は先生の方で・・・・」との答えに、
私は《ごもっとも》と思い、尋ねた人は《使い方のガイドがないなんて》と不満に思ったようでした。
公文ならば、教材それぞれについて指導事例などの講習もありますし、
まったく指導経験のない人でも教室運営ができるようになっています。
長年くもんの指導者をやってきた友人は、指導技術コーチ付きで当然だと考えるのでしょう。
(塾用のテキストには、一部、指導用テキストを別に作っている業者もあり、赤文字で解答を印刷してあり注意要綱などのコメントもつけて、「指導書」として別に販売もしていたりします。)
公開していない、あるくもん現役指導者からの投稿に
『でも、皆さん、人の考えたツールを何でも欲しがるし、システムも見て真似したがる。
私はセコイことはしたくないと思っていたので、聞かれれば何でも教えてあげていたのですが、人の考えたツールをまるで自分のアイデアのように披露して自慢する人や、平気で教室便りに転載されたりして、嫌になりました。』
そうなのです、くもんでは、個々の指導者の指導技術はみんなのもの、
教えあって当たり前、それどころか、うまくいっているシステム・指導法があれば
全国レベルで、他の指導者に見習え、真似ろ、と大騒ぎです。
今はどうなっているか知りませんが、何年か前の「フィードバック運動」
「学習内容・見通しなどを生徒と共有しましょう」っていうあれ、
ばかばかしくって、腹ばかり立ちました。
いえ、生徒と共有しよう、ということが馬鹿げているというのではなく、
「共有せずに指導が成り立っているはずがない」にもかかわらず
生徒との見通し共有もせずに教室を運営している指導者ばかりだと、研究会が考えているということが・・・・・あ、そうそう、研究会は、研究会の経営見通しを
指導者と共有していますか? していませんよね、絶対。
私も以前、うちの教室でやっていることを嬉しそうにお仲間に説明したところ
先輩の(事務局に対していい顔をしたがるタイプの)指導者の事例として
地区会でご自分のアイデアとして披露されて絶句したことがあります。
「きっと、ボケかけてて、もとが他人のものだってこともわからなくなってるんだわ」
と考えることにして、黙っていましたが。
それに、その類のことは、先に事務局へ公開したほうが《発案者》扱いになるのは
毎度のことですし、んなことで私のアイデアを盗まれたと騒いでも、ろくなことにならないのはわかりきったことですし。
でも、独立した独自の教室である以上、指導技術は門外不出のテクニックでもあります。
現在は、私を含め六人の県内の元公文教室の指導者が、
「ある教材屋」の教材をメインに使っているので、情報交換も、
新聞折込チラシの共同制作などもしていますが、それぞれ独自の教室です。
一律に、こうでなければならない、という規定・指導法などというものはありません。
ただ、お仲間の教室がつぶれた・・・・なんてことになるとくもんから独立した一人として悔しいので、できるかぎりの知恵は出し合っています。
でも、この前、私が手間隙かけて作成したオリジナル教材を、
「コピーして使いたいのでちょうだい」と、当然のように言われたのには
かなり腹立たしい思いをしました。
現在の教材の補助テキストとして作ったものなのですが・・・・
彼女はくもん歴が長いので、その異常さに気づいていないようで、
私も説明するのが面倒で、いいよ、とあげたのですけれど、
くもんの仕組みの中で、当たり前と思い込まされているいくつかのことは、一歩外へ出れば通用しないということも、自立を考える方々には知っておいて欲しいと思います。
逆に言うと、くもんのフランチャイズ契約下の教室経営・運営というのは
ひたすら、研究会にとってのみ有利なようにできていて、個人経営者の常識からは
かけ離れたあり方となっており、その違いに指導者たちが気づきにくいように、
また、反論しにくいように、かなり巧妙に仕組まれているということです。
中学生には他の、学習塾向けテキスト、市販の問題集などなども併用していて、
先日はディズニーの学習ソフトを購入し、幼児さんたちに遊んでもらいました。
やりたいことができる反面、やり方はすべて自分で工夫していかなければなりません。
過日、ある指導者と塾教材販売会社を訪ねた際、扱っている教材の具体的な指導方法についての説明を、この指導者が会社の担当者に尋ね、
「私どもは、印刷したものを販売しているので、使い方は先生の方で・・・・」との答えに、
私は《ごもっとも》と思い、尋ねた人は《使い方のガイドがないなんて》と不満に思ったようでした。
公文ならば、教材それぞれについて指導事例などの講習もありますし、
まったく指導経験のない人でも教室運営ができるようになっています。
長年くもんの指導者をやってきた友人は、指導技術コーチ付きで当然だと考えるのでしょう。
(塾用のテキストには、一部、指導用テキストを別に作っている業者もあり、赤文字で解答を印刷してあり注意要綱などのコメントもつけて、「指導書」として別に販売もしていたりします。)
公開していない、あるくもん現役指導者からの投稿に
『でも、皆さん、人の考えたツールを何でも欲しがるし、システムも見て真似したがる。
私はセコイことはしたくないと思っていたので、聞かれれば何でも教えてあげていたのですが、人の考えたツールをまるで自分のアイデアのように披露して自慢する人や、平気で教室便りに転載されたりして、嫌になりました。』
そうなのです、くもんでは、個々の指導者の指導技術はみんなのもの、
教えあって当たり前、それどころか、うまくいっているシステム・指導法があれば
全国レベルで、他の指導者に見習え、真似ろ、と大騒ぎです。
今はどうなっているか知りませんが、何年か前の「フィードバック運動」
「学習内容・見通しなどを生徒と共有しましょう」っていうあれ、
ばかばかしくって、腹ばかり立ちました。
いえ、生徒と共有しよう、ということが馬鹿げているというのではなく、
「共有せずに指導が成り立っているはずがない」にもかかわらず
生徒との見通し共有もせずに教室を運営している指導者ばかりだと、研究会が考えているということが・・・・・あ、そうそう、研究会は、研究会の経営見通しを
指導者と共有していますか? していませんよね、絶対。
私も以前、うちの教室でやっていることを嬉しそうにお仲間に説明したところ
先輩の(事務局に対していい顔をしたがるタイプの)指導者の事例として
地区会でご自分のアイデアとして披露されて絶句したことがあります。
「きっと、ボケかけてて、もとが他人のものだってこともわからなくなってるんだわ」
と考えることにして、黙っていましたが。
それに、その類のことは、先に事務局へ公開したほうが《発案者》扱いになるのは
毎度のことですし、んなことで私のアイデアを盗まれたと騒いでも、ろくなことにならないのはわかりきったことですし。
でも、独立した独自の教室である以上、指導技術は門外不出のテクニックでもあります。
現在は、私を含め六人の県内の元公文教室の指導者が、
「ある教材屋」の教材をメインに使っているので、情報交換も、
新聞折込チラシの共同制作などもしていますが、それぞれ独自の教室です。
一律に、こうでなければならない、という規定・指導法などというものはありません。
ただ、お仲間の教室がつぶれた・・・・なんてことになるとくもんから独立した一人として悔しいので、できるかぎりの知恵は出し合っています。
でも、この前、私が手間隙かけて作成したオリジナル教材を、
「コピーして使いたいのでちょうだい」と、当然のように言われたのには
かなり腹立たしい思いをしました。
現在の教材の補助テキストとして作ったものなのですが・・・・
彼女はくもん歴が長いので、その異常さに気づいていないようで、
私も説明するのが面倒で、いいよ、とあげたのですけれど、
くもんの仕組みの中で、当たり前と思い込まされているいくつかのことは、一歩外へ出れば通用しないということも、自立を考える方々には知っておいて欲しいと思います。
逆に言うと、くもんのフランチャイズ契約下の教室経営・運営というのは
ひたすら、研究会にとってのみ有利なようにできていて、個人経営者の常識からは
かけ離れたあり方となっており、その違いに指導者たちが気づきにくいように、
また、反論しにくいように、かなり巧妙に仕組まれているということです。
地域の発展は相乗効果でみんな得をする、という理屈に説得されてしまっていますね。
生徒を集めてのし上がってくると全員同じようなこと言い出して、気持ち悪いんです。
公開したくない人も、内部で有名になると注目が集まるので中々拒否できないようです。
収入は単純に生徒数に比例するのですから、いくら会社に貢献しても、たいしていいことはないと思うのですが・・
指導技術の公開は、会社の思うツボだと思うこのごろです。
文中の「現役指導者」ですが、HNもちょっとまずいので、匿名のまま投稿します。
今新しい教室になって保護者の方々からよく言われることは『本当に先生が公文を辞めてくださってよかった。』です。学校が頼りない現在、基本の学習がままならないまま中学、高校教材を目指すことの無意味さがよくわかりました。計算しか出来ない子を大量生産していた現実に我ながらショックを受け、自分がまるで詐欺師だったかのような錯覚さえ覚えました。
指導の共有について言わせていただければ、優れた指導法であればあるほど実は『共有』はできていません。それは多くの指導者が指導力不足だからです。自分なりに解釈して自己満足している指導者ばかりなのに幻滅してそんな中に自分がいることに情けなくなったのが辞めたくなった主な理由ですし・・・。自学自習できない指導者が子供達に自学自習をさせようとしてもなかなか出来ませんよね。
今『公文てどうですか?』と尋ねられたら『やめた方がいいわよ。』と答えます。
もちろん公開可です。