中学の、定期テスト間近で、テスト対策に追われていました。
一年生は文字式・方程式の文章問題で
「わかんないよぉ・・・・」を連発していましたが。
対面指導で【意味すること】を説明していくと、
『もっと、別の問題やらせて』と追加のプリントを取りに来て・・・・
『全部できたよ』
公文のころから、保護者がとかく問題にするのは
≪文章問題が解けない≫ということ。
それを事務局で局員に問うと
「計算を確実にやれるようにしておけば、あとは国語力ですから、国語入会を」
なんてね。
一度や二度はお聞きになったことがあると思います。
公文のころは、中学生になっても教室に居残るのはごく一部の
部活や学校の勉強と両立できる優秀児だけでしたし、
教材以外の指導はしてはいけないというルールを楯に
(ま、教科書・ドリルを持っといで、ぐらいのテスト対策はしていましたが)
ほんのちょっとの時間しか割くことはできませんでした。
ところが、五教科対応の教室にして
中学生は学校の教科書準拠のテキストでの学習コースを設けたため
公文のころなら、他塾へ替わっていた生徒たちまで残るようになりました。
そうなると、≪文章問題≫対応ということの問題点が浮き彫りになってきました。
計算ができても、国語学習を長年やってきても、
算数・数学の文章問題がすんなりと解けない理由があったのです。
一つには、ひとの説明を聞くことが苦手な子に育ってしまっている、ということ。
自習式の教材では、やり方を真似て解くことで考える力を養成するという建前になっていますが、現実には、やり方を教えているわけです。
例題を見て、
「ここがこういうふうに変化しているのはなぜ?」と考える子は、そう多くありません。
「こういうふうに変化させれば、正解が出せる」という、経験則に頼ることになります。指導もそういう形になることが多いでしょう。
要するに、理由を追求する習慣が育ちにくいのです。
できれば(正解が出せれば)良いのであって、理屈抜き。
理由なんてよくわからなくたって、正解になるんだから、いいじゃん・・・・
私も、保護者の方にもそのように説明してきましたし、
実際、小学校四年生ぐらいまでの計算・国語能力についてはそれでよいと思っています。
しかし。
計算のみなら、それでOKですが、数式の意味するものをイメージして解いていかなければならない文章問題では、その方法ですと
例えば、≪道のり÷速さ≫は時間を表しているということや
道のりと時間を足すことはできないというような、ごく基本的なことを無視してしまいがちです。
ですから、二つ目の問題点として
数値・数式の表している事柄の意味を考えるということが抜けるということがあげられます。
計算問題では、そこに書かれている数値の意味を考える必要はありませんから。
国語力がつけば・・・・といったところで、数値の表すものの意味ということは
別問題です。
親の教養水準が向上してきて、家庭でそのことに気づいて
「公文だけではダメ」ということで五年生ぐらいから塾を選択することも
多くなってきているのではないでしょうか。
とはいえ。
計算力が、しっかりついているならば、懇切丁寧に数式の意味することを解説していくと、
『なんだ、応用問題なんて、カンタンじゃん・・・・』
逆に学年相当の計算力も怪しい生徒に、≪考え方≫をいくら説明しても
自力で正解にたどり着くのは困難です。
欲をかいては、二兎を追うもの一兎をも得ずは、言いえているのですが・・・・
文章問題が解ける中学生に育てるには、
小学校卒業までに、正負の計算・文字式の計算・一次方程式の計算は
できるようにしておくことも大切かと実感しています。
それと、ものごとの理由・原因を考えるくせを徹底的につけること。
訂正学習のさいに、消さないで、先に間違えた箇所をみつけてから
そこだけ、そこから先だけ訂正するという公文の指導もその意味で
考えさせる助けにはなります。
経験則による間違い探しの部分はあるにせよ、何人かにひとりぐらいは
解き始める前に考えることにつなげていけるかもしれません。
一年生は文字式・方程式の文章問題で
「わかんないよぉ・・・・」を連発していましたが。
対面指導で【意味すること】を説明していくと、
『もっと、別の問題やらせて』と追加のプリントを取りに来て・・・・
『全部できたよ』
公文のころから、保護者がとかく問題にするのは
≪文章問題が解けない≫ということ。
それを事務局で局員に問うと
「計算を確実にやれるようにしておけば、あとは国語力ですから、国語入会を」
なんてね。
一度や二度はお聞きになったことがあると思います。
公文のころは、中学生になっても教室に居残るのはごく一部の
部活や学校の勉強と両立できる優秀児だけでしたし、
教材以外の指導はしてはいけないというルールを楯に
(ま、教科書・ドリルを持っといで、ぐらいのテスト対策はしていましたが)
ほんのちょっとの時間しか割くことはできませんでした。
ところが、五教科対応の教室にして
中学生は学校の教科書準拠のテキストでの学習コースを設けたため
公文のころなら、他塾へ替わっていた生徒たちまで残るようになりました。
そうなると、≪文章問題≫対応ということの問題点が浮き彫りになってきました。
計算ができても、国語学習を長年やってきても、
算数・数学の文章問題がすんなりと解けない理由があったのです。
一つには、ひとの説明を聞くことが苦手な子に育ってしまっている、ということ。
自習式の教材では、やり方を真似て解くことで考える力を養成するという建前になっていますが、現実には、やり方を教えているわけです。
例題を見て、
「ここがこういうふうに変化しているのはなぜ?」と考える子は、そう多くありません。
「こういうふうに変化させれば、正解が出せる」という、経験則に頼ることになります。指導もそういう形になることが多いでしょう。
要するに、理由を追求する習慣が育ちにくいのです。
できれば(正解が出せれば)良いのであって、理屈抜き。
理由なんてよくわからなくたって、正解になるんだから、いいじゃん・・・・
私も、保護者の方にもそのように説明してきましたし、
実際、小学校四年生ぐらいまでの計算・国語能力についてはそれでよいと思っています。
しかし。
計算のみなら、それでOKですが、数式の意味するものをイメージして解いていかなければならない文章問題では、その方法ですと
例えば、≪道のり÷速さ≫は時間を表しているということや
道のりと時間を足すことはできないというような、ごく基本的なことを無視してしまいがちです。
ですから、二つ目の問題点として
数値・数式の表している事柄の意味を考えるということが抜けるということがあげられます。
計算問題では、そこに書かれている数値の意味を考える必要はありませんから。
国語力がつけば・・・・といったところで、数値の表すものの意味ということは
別問題です。
親の教養水準が向上してきて、家庭でそのことに気づいて
「公文だけではダメ」ということで五年生ぐらいから塾を選択することも
多くなってきているのではないでしょうか。
とはいえ。
計算力が、しっかりついているならば、懇切丁寧に数式の意味することを解説していくと、
『なんだ、応用問題なんて、カンタンじゃん・・・・』
逆に学年相当の計算力も怪しい生徒に、≪考え方≫をいくら説明しても
自力で正解にたどり着くのは困難です。
欲をかいては、二兎を追うもの一兎をも得ずは、言いえているのですが・・・・
文章問題が解ける中学生に育てるには、
小学校卒業までに、正負の計算・文字式の計算・一次方程式の計算は
できるようにしておくことも大切かと実感しています。
それと、ものごとの理由・原因を考えるくせを徹底的につけること。
訂正学習のさいに、消さないで、先に間違えた箇所をみつけてから
そこだけ、そこから先だけ訂正するという公文の指導もその意味で
考えさせる助けにはなります。
経験則による間違い探しの部分はあるにせよ、何人かにひとりぐらいは
解き始める前に考えることにつなげていけるかもしれません。