
東北のキャバクラ嬢たちが語る3月11日のこと
東日本大震災の被災地のキャバクラ嬢の話を聞き歩いている。というのも、避難所や仮設住宅を取材していたとき、20代の女性と出会う機会が少なかったからだ。仙台市を除くと、東北沿岸部には大学や専門学校が少ない。そうしたこともあり、その年代の女性の話を聞くには、キャバクラはよい場所だと思っている。
震災後、宮城県は仙台市と石巻市、岩手県は盛岡市と一関市。福島県は福島市、郡山市の店に行ったことがある。ちなみに、仙台市国分町では震災後1週間ほどで電気や水道が回復し、営業を再開していた。拙稿では、特定を避けるために、どの地域で聞いた話かは省く。
東北一の歓楽街である仙台の国分町 ©渋井哲也
母親が「あんた、生きてたの?」
まず、震災当初の話として、もっとも印象的だった2人の話を紹介する。亜衣(仮名、当時20代前半)は津波発生時、車を運転していた。気がつくと、道路から水がわいてくるように見えた。次の瞬間、津波が窓のあたりに到達していた。
「え? 何これ?」
これが津波という考えになるまで時間がかかった。津波で近くの駅まで車が押されていた。続いて引き波となった。すでにエンジンはかからなかった。水深が浅くなったとき、亜衣はヒールを脱ぎ、ドアをあけて、泳いで水がないところまで移動した。