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妖怪が、人々の割り切れない想いをコントロールするために現れるのだとしたら、いまも新しい妖怪が生まれているのではないか。インターネットの「炎上」と伝承の「蓑火(みのび)」の連関、怪異現象のような人工知能(AI)のバグ――揺れ動く「感情」を手がかりに、現代社会に潜む「妖怪」を探してみる。
妖怪の歴史を人間社会の時代区分に単純にあてはめて論じることはできないが、妖怪のほとんどの種族は近代以前に誕生していた。彼らが民俗のなかを生き延び、「目前の出来事」「現在の事実」として人々の前に姿を現したのが、1910(明治43)年に刊行された柳田国男の『遠野物語』にほかならない。ここに出てくる河童や天狗やザシキワラシの行動は、20世紀初めのふるまいだった。柳田以降の民俗学者は、『遠野物語』をきっかけに、身近な妖怪を探し始めたのだが、過去のふるまいが掘り起こされるばかりであった。だから、妖怪の現在が突き止められることはなかったのである。
日本人の伝統的な生活様式が変化し、また都市からも村里からも闇が失われていくと、妖怪たちの生活基盤は淘汰されていく。妖怪は自然現象の不可思議や、死への恐怖、生活の苦難にもとづく、人間の腑に落ちない感情を糧に生きてきたからである。妖怪の歴史も人間社会の事情に左右されるのだ。噂を広める、情報系妖怪「件」
そんななかで18世紀の半ばに生まれ、20世紀半ばまで活動した妖怪に「件(くだん)」がいる。文字どおり半人半牛の姿をした件は、流行り病や農作物の豊凶、災害や戦争を予言するのが大きな特徴だった。幕末には、「今年から大豊作になるが秋以降には悪疫が流行る」と予言し、件を描いた護符がもてはやされた。19世紀末には、「日本はロシアと戦争をする」と予言したこともあったという。
太平洋戦争中も、件は空襲や終戦を予言した。また「3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲を免れる」と戦争から生き延びる方法を指南した。大戦末期から終戦直後には兵庫県の西宮あたりで、牛面人身で和服を着た女の噂が流れたが、彼女が件だったかは定かでない。1995年に発生した阪神淡路大震災のときにも件が目撃されたといわれるが、これは都市伝説の域を出ないと思われる。しかし、異様な形態や不可視から人間に恐怖もたらすそれまでの妖怪に対し、気がかりな噂や伝聞をまき散らし、情報を駆使する点で、件は新しいタイプの妖怪だったといえよう。
21世紀に入ってから、新しい妖怪が生まれたという噂は聞かれない。一方で、幽霊の目撃情報であれば、東日本大震災の被災地では少なくなかったようである。それでも幽霊がこれまでとは異なる、立ち居ふるまいをしたわけでもなさそうだ。親しかった人の夢枕や、街の辻に立つのは昔から変わることはない。
この時代に妖怪を見つけようとするとき、どこに行けば出会うことができるだろう。
21世紀をひと言でいうなら、インターネット情報の時代である。ソーシャルネットワークシステム(SNS)の隆盛、スマートフォンの普及は、ほんの10年以内の現象である。またAIをはじめとする新しいテクノロジーが、日常生活に浸透してきている。人間の暮らしのこうした変化のなかから、新しい妖怪は生まれてきてはいないか。SNSやブログは、不特定多数に向けて、ある主体(個人の場合も、企業や公共団体を代表する場合もある)が自己の見解を主張する手段である。ツイッターの「つぶやき」という言葉が密やかに見えても、世界への自己のアピールにほかならない。そして、友人知人に向けたつもりのつぶやきであっても、あるきっかけから「炎上」することがある。
本人の意図とは別に、不謹慎だ、差別的だなどと騒がれ、見ず知らずの人々の前に個性をさらされる。炎上といっても、実際になにかが燃え上がるわけではない。しかし、火の粉を振り払おうとすればするほど、勢いを増す。しかも、一度炎上すると、インターネット上からその痕跡を消すのも難しい。焼け跡にはいつまでも、検索ワードとして残されるからである。目に見えない集合体による凶暴な感情が、形を持たない実体のように広まり、共有されていくのは、かつての妖怪の成り立ちと、とてもよく似ている。
怨霊の火が広がる、ネット社会の「エンジョウ」
インターネット上の「炎上」に類似した妖怪や怪異に、琵琶湖周辺に伝承される「蓑火(みのび) 」という怪火現象が思い浮かぶ。
旧暦5月の長雨が続く夜に、暗い湖を渡ろうとすると、舟の上の人が着た蓑に蛍火のような火の玉が現れる。蓑を脱ぎ捨てると消えるが、手で払いのけようとすれば、どんどんその数を増す。同様の怪火伝承は日本列島の各地にあり、信濃川流域では雨の日の夜道や船上で蓑、傘、衣服に、蛍のような火がまとわりつき、慌てて払うと火は勢いを増して体中を包み込むという。琵琶湖の蓑火は、この湖で死んだ人の怨霊の火だとも伝えられている。SNSはすでに、私たちの生活になくてはならないものになっている
インターネット空間に生まれた「炎上」のほうは、民俗学用語でいえば「口碑」が「石碑」になるような事態だ。つぶやきがだれかを刺激し、まがまがしい感情が拡散されていく。ここまでは口頭伝承、口碑の域だろう。しかし、火中で暴れると事態は悪化するばかりで、ネット社会に刻印されるのだ。「エンジョウ」は怨霊の火がまとわりつくような怪異と類似しつつも、この時代ならではの民俗現象ではなかろうか。