ドバイで増殖する「日本のパン屋さん」の正体
現在、アブダビとドバイで8店舗を展開するほど中東で受け入れられている「ヤマノテアトリエ」。開店当初は連日行列ができるほど人気に(写真:マノテアトリエのインスタグラムより)
ドバイと聞いて何を想像するだろうか。ヤシの木の形をした人工島や、世界最大級のショッピングモールなど中東きってのリッチな国というイメージを持つ人も少なくないだろう。そんなドバイで快進撃を続けるベーカリーチェーンがある。しかも人気商品はあんパンやクリームパン、焼きそばパンといった日本風のパンだというから興味深い。
そのパン屋、「ヤマノテアトリエ」が1号店を出したのは2013年4月のこと。高級住宅街のアルサパにできたばかりのおしゃれなショッピングゾーンに出店した。その後も、ホテルや金融街、ショッピングモールなど、人が多く集まる場所に店を出し、現在アブダビの2店を含め、9店を展開するまでになった。
材料も日本から仕入れている
ドバイで日本風パン、というとなんとなく「なんちゃって」を連想するかもしれない。が、ヤマノテアトリエのパンは驚くほど本格的と評判だ。パンの種類も豊富でクロワッサンからメロンパン、あんパン、空揚げパンから焼きそばパンまで幅広い(ちなみに焼きそばパンの値段は、15アラブ首長国連邦ディルハム=約450円となかなか高額)。
日本のベーカリーに並んでいるのとほぼ同じパンが並ぶヤマノテアトリエの店内。パンダパンも(写真:ヤマノテアトリエのインスタグラムより)
それもそのはず。そもそもヤマノテアトリエの技術は日本人から学んだもので、材料も日本から仕入れているのである。
仕掛けたのは、1人の日本人女性だ。神奈川県茅ケ崎市でコンサルティング会社、「和とわ」を営むサトウ幸枝氏がその人。2006年、22歳の大学生だった創業者のハムダ・アルターニ氏と知り合い、パン屋立ち上げに関わったのだ。
サトウ氏はそれまで、銀行員や秘書、客室乗務員などさまざまな職を経験してきたが、パンや食の専門家だったわけでも、中東ビジネスに強いわけでもなかった。いわば、素人の女性同士が手を組んで、中東を代表する都市でビジネスを成功させた。いったいなぜ、そんなことができたのだろうか。サトウ氏の強みは、幅広い友人ネットワークを持っていることだった。中東ビジネス事情に詳しい友人やパン職人、パティシエにつながる友人もいた。そのネットワークを介して、ハムダ氏とも知り合ったのである。
ハムダ氏は、子どもの頃から、出張で来日する父と一緒に、日本を訪れた経験が何回もあった。その際、デパ地下のショーケースに並ぶ生ケーキの美しさに感動。「こういうケーキはドバイにはない。ケーキ屋をやりたい」とサトウ氏に相談していた。
サトウ氏はハムダ氏と仕事を始めるにあたり、中東に詳しい友人たちから、「彼らは『タイミングがきた』と思わないと動かないから、時間がかかることもある」と言われていた。
「昭和のパンがいい」と勧めた
そこで焦らないことに決め、「和とわ」の前身、ファイア・ワークスを立ち上げる一方で、音楽関係の会社に就職して収入源を確保した。製菓学校にも通い、ケーキの作り方を学んだ。そのうえで、有給休暇を利用してドバイへ飛んでは、可能性を探り始めた。じっくり構える覚悟を持って取り組んだことも、勝因の1つである。中東でパン屋を展開するという未知の領域に飛び込んだサトウ氏(編集部撮影)
まず、友人に紹介してもらったパティシエに、ドバイに住んでもらいつつ、技術指導を行う。ハムダ氏は、2007年ごろからデリバリーでケーキを販売するビジネスを始めた。「路面店は、立地がすごく大切」と慎重に選んでいたからだ。
やがてサトウ氏は、「毎日食べるものだから、パン屋もいいのでは。それもコロッケパンなど昭和のパン」と考え、ハムダ氏を説得。2007年にパン職人の知人も連れて行った。
時間をかけて中東について学び、現地へ通う間に、サトウ氏の人間関係も広がっていった。中東からの来日客をもてなすために、着物を着て東京の観光案内をする。ドバイのスーパーで日本の果物を紹介する、料理教室を開くといった仕事も舞い込んだ。宣伝を兼ねて現地のテレビ番組に出演したこともある。仕事が広がり、会社員を辞めたのは2010年である。店内のインテリアにもハムダ氏のこだわりが随所に感じられる(写真:サトウ氏提供)
ドバイのパン屋ビジネスは、規模がケタ違いだ。ヤマノテアトリエでは、クッキーなどの焼き菓子もラインナップに加えており、1000人規模の結婚式から数十人規模のホームパーティーまで、手土産用のクッキーの注文を受ける。サンドイッチをデリバリーすることも多い。しかも5年間で8店舗。ハムダ氏は大きな成功を手に入れたと言える。
現在34歳、3人の子どもを持つハムダ氏は「この成功はうれしい。なぜなら、私たちが、人々が愛して信頼する品質を提供できているということだから。そして、日本のパンとパン職人の方の貢献により、私たちは新鮮で品質が高い日本式パン屋を中東で展開することができました。東京は私に大きなインスピレーションをくれました」と喜ぶ。