

70歳で人生が一変した料理研究家が達した悟り86歳となる現在も活躍中の料理研究家、小林まさるさん。その人生哲学には年齢を重ねてきた人にしかない説得力があります(撮影:今井康一)
『人生は、棚からぼたもち! 86歳・料理研究家の老後を楽しく味わう30のコツ』(小林まさる著、東洋経済新報社)の著者が、息子の妻である料理研究家・小林まさみの調理アシスタントとしてテレビに出ている姿を見たことがある人は少なくないだろう。
70歳のとき、ひょんなことからアシスタントを務めることになり、自身も料理研究家に。そして86歳となる現在も活躍中だというと、いかにも順風満帆であるかのようにも見える。が、実際にはそれどころか波乱万丈の人生を送ってきたようだ
戦争、ドイツ赴任、2度のシングルファーザー生活…
子どもたちのお母ちゃん、つまり俺の奥さんが亡くなったのは、俺が57歳のとき。定年まであと3年、という時期だった。
俺は高校を出てから北海道の炭鉱で働いて、それから30代後半で関東に出て、鉄鋼会社で働いていた。何十年も掛けてきた年金もそのうち入ってくる。お金の心配はいらないだろう、そう思っていた矢先のことだった。(「はじめに」より)
1933(昭和8)年、当時は日本の統治領だった樺太で生まれ、13歳のときに終戦を迎える。北海道に引き揚げてからは炭鉱に就職し、「本当に貴重だった」と振り返る3年間のドイツ赴任を経て30代で結婚。娘と息子に恵まれるも、性格の不一致から離婚してシングルファーザーとなる。以後は男手ひとつで仕事、子どもの食事、洗濯、弁当作りなどをこなすが、さまざまな事情から生活が立ちゆかなくなり、妻とよりを戻すことに。ところがしばらくすると妻が病気で亡くなってしまったため、再びシングルファーザーになったのだという。
この時点ですでに、文字どおりの「山あり谷あり」である。しかし娘が結婚して家を出て、そののち息子も妻をもらうと、生活が一変することになった。先に触れたとおり、「息子の妻のアシスタント」として名をはせていくのである。きっかけは、料理研究家として認められるようになった小林まさみが、自分の料理の本を出すことになったときのことだった。料理撮影のアシスタントが足りないというので、「そんなの、俺がやってやるよ」と手を挙げたのだ。
家の食事や家事はほとんど俺がやっていたからね。しかも息子が結婚するまでは、息子の料理もつくっていたから、調理の手伝いなんてなんでもなかった。ごく自然の成り行きだった。(中略)我ながら、いい働きをしたと思う。そして、なんだかんだと、うまくいった。
スタジオではみんなびっくりしていた。「あのじいさんは、いったい誰だ?」って。
自分で言うのも何だが、俺は実によく働いた。それで、まさみちゃんは思ったらしい。「お義父さんは使い物になる」ってね。
こうして俺は、「息子の嫁の専属アシスタント」になった。(「はじめに」より)
今ではアシスタントを続けつつ、自身の名前でも仕事をしているというのだから大したもの。つまりはそれが、『人生は、棚からぼたもち!』というタイトルのゆえんだ。
過去の自分の人生をすべて肯定する
本書では独自の人生訓を展開しているのだが、一つひとつの言葉にはずっしりとした重量感がある。言うまでもなく、そのバックグラウンドには長く深い人生経験が横たわっているからだ。しかもそれでいて、押しつけがましさのようなものはまったく感じさせない。それどころか、強く共感させられるのだ。
例えば「食べること」についての持論を展開する場面においては、それを人生論にまで結び付けている。
食べることを考えると、いろいろな思い出が浮かんでくる。やっぱり食べることは、とても大事だ。食べることを考えると、幸せな気持ちになる。そして年を取れば取るほど、昔の思い出は、老後を豊かにしてくれる。喜怒哀楽、全部がね。それは本当だ。
大切なのは、過去の自分の人生を全部、肯定することだ。起きちゃったことなんだから、悔やんだりしない。そうすると、老後が笑って過ごせる。
どんなに悔いたって、あと戻りはできない。
大切なのは、いまであり、これからなんだから。
(63ページより)
「食べることは、とても大事だ」という言葉の背後にあるのは、「いつもお腹を空かせていたし、貧しかった」という自身の経験だ。だから深みを感じさせるのだが、「理解しろ」と読者に共感を強いるようなことはしない。事実を淡々とつづっているからこそ、そこに説得力が生まれるのだ。
食べることは、とても大事だ」と小林さんは言う(撮影:今井康一)
ちなみに後半で話を人生にまで広げているのは、この項の前の部分で自らの食べものに関する思い出をつづっているからだ。戦時中の話なのでいい思い出ばかりでもなかろうが、それでも「過去の自分の人生を肯定する」ことの重要性を強調している点こそが重要だ。
当時と現代とではいろいろなことが違っているが、自己肯定が困難な時代でもあるからこそ、この言葉は多くの人の心に響くのではないだろうか。
失敗したら、またやってみればいい
第2章「老後のモットー」で注目すべきは、「老いる」ことについての考え方だ。ここで著者は、「もう年だからやらない」「もう年だからダメ」「もう年だから恥ずかしい」というような“よくある言葉”の問題点を指摘している。
せっかくワクワクするものがあるのに、そんなふうに思った瞬間、すべては消え失せてしまうというのだ。
いや本当に、「年だから」は年寄りがいちばんよく使う言葉なんだ。(中略)結局、失敗が怖いからなんじゃないかと思う。
なんとなくやりたいな、と思っても、うまくいかなかったときが恥ずかしい。自分が情けない。みっともない。惨めな気持ちになるのが嫌だ。
だから、最初からやらない。
でも、これは当たり前だけど、やることなすこと全部、成功するはずがない。それは若いころも、年を取ってからも同じ。一度や二度は必ず失敗する。
料理だって、いつもうまくいくとは限らない。時には失敗する。いや、しょっちゅう失敗すると言ってもいい。
人生も同じ。絶対に成功する、なんてことはありえないんだ。だから、失敗してもクヨクヨしないことが大切だという考え方。失敗はあって当たり前だということだ。ちなみに著者は失敗した場合、もちろん反省はするけれども3日で忘れるようにしているそうだ。
なぜなら、やらないでいつまでもクヨクヨしていたら、失敗が怖くなって、何もできなくなり、前に進めないから。
失敗は成功のもと、とよく言われるけれど、料理をやっていたら、それがよくわかる。失敗したら、もうちょっとこうやってみよう、と考える。そうすると、前よりもうまくなる。でもちょっと妥協すると、また失敗だね。
ただ、失敗したら5回でも6回でもやり直したらいいんだよ。そうすると、うまくなっていく。楽しくなっていく。この主張は、誰かが失敗したら鬼の首を取ったかのように集団で攻撃する、現代の風潮に対するアンチテーゼであるとも解釈できそうだ(もちろん、本人にそんな気持ちはないだろうが)。
今の若いモンは、すごい!
もう1つ、年寄りがよく使う言葉で著者が大嫌いなのが「今どきの若いモンはなってない」というようなフレーズなのだという。自分も若いときには当時の年寄りから同じようなことを言われてきたのだから、そのとき、どう感じたのかを思い出してみるべきだと。
そればかりか、難しい時代を生きるいまの若い人のほうが、自分たちの若いころよりしっかりしていると言い切っている。
例えば、頭の切り替えが早い。何がなんでもしがみついて、こうじゃないといけない、なんてがんじがらめの考え方はない。職業でも、これをまっとうしていかないといけない、なんて硬直した考えはしないよね。ダメなものはダメ、と言って、パッと切り替える。これはすごいと思う。俺たちにはできなかったことだよ。もちろん、そこにはいいことも悪いこともあるだろう。しかし、それは自分たちで責任を持てばいいだけのことで、年寄りがああだこうだと言うべきことではないというのだ。なぜなら、なにが正解だったかなど、未来までわからないのだから。むしろ、頭の切り替えの早さこそが重要だと主張するのだ。
そして著者が抵抗を感じるもう1つの言葉が、「若いモンには負けていられるか」なのだそうだ。
若いモンには、負けていいんだよ。むしろ負けるのが当たり前。若い人のほうが元気なんだから。情報も持っているし、頭も回るんだから。
どうして、若い人に敵対意識を持たないといけないのか。そうじゃなくて、補佐してあげればいいんだよ。サポートしてあげたらいい。当然のことながら、時には年の功で止めてやらなければいけないこともあるはずだ。文句の一つも言ってやる必要があるケースもあるだろう。あるいは、人生経験に基づいて話をすべきときだってあるかもしれない。
だが、それは「対抗意識」ではなく、そうであってはいけないということだ。だから著者は、「若い人には、負けたらいい。その代わり、助けてやればいい」という。
明るさの中にある強い発言力
理屈ではなく、自身がずっとそうやってきたというのだ。そして、そうすることで、仕事をしているときも、定年以降も、人間関係がうまくいったと振り返っている。
年寄りは、若い人には負けることになっているんだ。だから、サポート役に回るようにするとうまくいくよ。間違っても、クサしたり、対抗しようとしたりしない。そんなことをしても、何も生まない。
もし、そういう発想がふっと頭をもたげてきたら、自分たちのときはどうだったか、思い出すといい。そんなふうに言われて、どう思ったか。どんなふうに言われたり、されたら、うれしく思ったか。
俺はいつもそれを考える。そうすると、どうすればいいかが見えてくるんだ。波瀾万丈の人生からつづられた言葉は、年齢を重ねてきた人にしか伝えることのできない説得力に満ちている(撮影:今井康一)
だが、それでいて、内容がぎゅっと引き締まっている。限られた時間の中で斜め読みしたとしても、重要な言葉が飛び込んできて、心に刺さるはずだ。共感できる文が数多くあるだけに、それが心地よくもある。
今ではすっかり減ってしまった、明るさの中に強い発言力を持つ長老の話を聞いているような気分になれるというべきか。
そして読み終えたときには、「この本は大切にしたい」と思うかもしれない。少なくとも、私は個人的にそう感じた。
実をいうと、読むまではさほど期待していたわけではなかった。だからなおさら、年齢を重ねてきた人にしか伝えることのできない説得力に、はなはだ感服しているのである。