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もっと仲良くなりたい

2013-11-18 23:19:07 | 無題
“もっと仲良くなりたい。”


そう思うことって、よくあるよね。


それで調べたら、

だいたい、自分から自己開示することとある

けど、

この間の経験からいっても、

自己開示しても、

だいたい引かれるだけだから、

適度に閉じて、

出すことを慎重に選んだ方がいい。

その方がいい関係が築けた。


とか思うんだけどどうだろう?


みんなみたいに、

もっと仲良くなりたいのに、

私から見えている世界は、

私のところにまでは来ない。


自分から近づくと、

それでも届きそうで届かない、

そして、なんだか疲れとあきらめで、

まぁそうだよねと、自分に納得してあげる。


でも、自分がかわいそうだ。


私にも気軽に誘いあったり、

メールをしあったりする、

そんな友達がもっとほしい。


メールは

なくはないとこが、

うれしい。

だけど、

やりとりしているときは、

慎重だ。


あんまり考えずに返せたらいいけど、

たわいのないメールが来た割には、

続かないですぐ終わると、

なんだったかな?と思う。

また、

自分から送るときは、

あまりない。


送ってこられたら、

そういえばとその人に付随する

おもしろい話のネタを返信と一緒に送る。

そうするとだいたい喜ばれる。


でも自分から思いついたように送ることはない。

そのネタがつまらないとあからさまになるのはいやだし、

返信の内容によっては、自分で悶々と悩むことになるからだ。

もしかしたら、場合によっては、

忙しかったなんていって、返信がないかもしれないし。


そういうの経験しちゃうと、

臆病にならざるを得ない。




だいたい自分から働きかけた仲で、

うまくいった試しがない。


今つづいている人も、

話かけたのは私だったかもしれないけど、

最初メルアドを聞いてくれたりしたのは、

相手からだし。


現実会っている状態で、話しかけたりするのはできるけど、

そのあとは難しい。


あとある程度仲良くなってから、

そのあと進展するのも。


今、もっと仲良くなりたいなぁって思う人が、

何人かいて、

―・・・って、

仲良くなるとか、友達になるとかって、

どういうことだろう?


この前、「友達ですか?」って訊かれてから、

ずっとひっかかっている。

それでちょっとわかったんだ。


友達だよね?とかって心配するってことは、

今の間からに不満を抱いているってことだよね?っていうのも、

相手に一緒に伝わるってこと。


私も昔、友達かどうかということや、これからも友達でいることなんかを、

当人に直接言っていたことがあった。

だけど、そういう人たちとは、なんか言った途端に、

長続きしなくなるなぁとも感じていた。

そして次の友達にも、

私、友達長続きしないんだよねぇと、私たちは長く続いているから嬉しいとか、

友達なのに…?とかっていうことを、

相手にぶつけたことがあった。

友達だけじゃなく、

友達なんだか恋人なんだかよくわからない幼なじみにも、

イライラして、ぶつけたことがあった。


だけど、自分が言われてみてわかったんだ。

それだけをする相手じゃないってこと。

もちろん、友達とは思っているけど、

友達というわりにはっていうのが、

私(相手)にもあるんだよね。


私の場合は、その人に対しては、

友達って思ってるんですけど、

どうなんですか?って言われるわりには、

=友達ですよね?ってぶつけてくる割には、

私に対して、結構失礼だなぁとか、

メールの返信がかなり遅かったり、

ビジネスメールなのに返信ないなぁとかっていうのもあるし、

なにより、人に紹介しないし、

求めてほしい点で求めてくれたことないなぁっていうのがあって、

ああ、私の欲求と、相手が自然とすることは噛み合ないし、

一度伝えたことあったけど、

それでも叶えてくれないっていうことは、

双方の無理なくできる行動と、ニーズがあってないんだなぁと思って、

傷つくだけだから距離を置くことにしたんだ。


今まではちょっと無理して、

相手のためにもなることでもあるからと、

がんばって働きかけてきたけど、

よくよく感じ取るに、

ニーズがないし、

そんな歓迎されていないなぁって感じさせられることが多々あって、

(無意識なんだろうけど、だからこそタチが悪くて。)

1人悶々としたり、ひどく傷ついたりして、

疲れたりしたけど、

距離を置いた途端、

もうこだわらないと手放した瞬間、

楽になった。


もっと自分を大切にしよ~っと。

そう思って、

モヤモヤをぶつけることなく、

生きていて今まで関わった人によくされてきたみたいに、

なにも言わずに距離を置くというのをしてみたんだ。

そうしたら、すごく楽だった。


モヤモヤをぶつけると、

相手によっては余計引かれたり、

急に連絡が来なくなったりする人もいるし、

相手にしてくれたとしても、

その後の関係がいい感じになったことはあんまりなかったように思う。


今まで、なんでもっと思っていることをぶつけあって、

お互い歩みよったり、

歩みよれなくても、それぞれの考えの理解を深めたりしたいなぁ、

しないのかなぁって思ってきたけど、

今回わかったんだ。


関係性に疑問があるのは、

そこに欲求があるからで、

でも相手からしたら、今の状態(関係性、距離感)がちょうどよくて、

それを崩してほしいと言われることは、

苦痛でしかないということ。

これが世に言う=”重い”だ。


優しい人なら、その場は「そんなことないよ、友達だよ。」とか言うだろうし、

面と向かってなら、その場はたいてい空気を壊さないため

=自分が気まずい雰囲気にならないため

(ここも結局自分の保身のためで、相手のためなんかじゃない)

いいさとすし、とっさに決まり文句のようにそう答える人もいるだろう。

私はメールだったから、その場ですぐになにいってんのと、

友達に決まってるでしょと返信しようと思ったけど、

ん?と思ったんだよね。

このただならぬ雰囲気を感じて。


(「こんなに仲良く話せる人が少なくて、中でもどうとかこう」とか。友達が少ないとか。)

そんな必死な文を送ってくる割にはさぁと。

友達ってあんまり感じたことないと。

前はそうなればいいなとか思っていたし、

もっと発展したらいいなぁって思っていたのに。

それどころか、そういえば、

むしろ邪険にされたこともあって、

「「ああ、私は仲間にはなれない、入れてもらえないんだなぁ」」って、

傷ついたことを思い出したんだよね。

そして今もそれは変わらない訳。

それはたまたま一緒にいた他の仲間のせいというかもしれないけど、

だけども、変わらない現状なわけだから、

友達なんかじゃないよねっていうのが、

私の中にはあった。


そう、メールを返信する前に、

その疑問をぶつけられたことによって、

友達かどうかという点について、スポットがあたり、

どうなんだろう?と考えさせられる結果になったって訳。


結果、今の距離を置いている状態が私にはちょうどよくて、

自分からいろいろ働きかけるのをやめたらすごく楽になったから、

冷たく感じているとかいう距離感だろうと、

私は今の距離感がいい訳。

そして友達だのどうだのというなら、

私にも欲求があるということ。


でも、それを言うのって、

大人げないからイヤだ。

大人げないことを言う自分が、

私が嫌だから、言わないで距離を置いたんだ。

それにめんどくさいし。


そう、めんどくさい。

世に言う=めんどくさい

よくわかんなかったんだよね。

人付き合いにおいてや、恋愛について、

”めんどくさい”ってどういうことかな?って。

よく聞いたことだけど、

その感覚がよくわからなかった。


人間関係において、

自分の欲求や意見や考えを伝えるのって、

ある程度必要で、

そのために説明したり、必死に伝えようとしたりするのって、

大切だと思っていた。

広い世界、たくさん人はいるけど、

目の前にいる相手に100%じゃなくても、

それくらいの域でぶつかっていって、

それで関係を構築していくんじゃ?と。

そうしてお互い理解を深めあった方が、

より強固な関係が築けるんじゃないのかと。

大切な相手、大切にしたい相手だからこそと。


でもこれが、

また、めんどくさいというのが、

ここにきてようやくわかった。


結局、相手の根本は変わらないし、

自然と行動していてそれなのだから、

望んだところでどうにもならないと。

それが相手の自然であり、

ぶつけたところで、

変わらないということ。

そして現実には、それだけじゃなく、

めんどくさい人と改めて認識され、

より距離を置くことになるんだ。


今までわからなかったことが、

される人間になってようやくわかった。


これで2つ以上もの、

現代における社会様式の疑問が解けたのだけど、

ここからが、

私のまたはじまりでもあった。













各地でハロウィン―私はうずのなか

2013-10-28 06:29:21 | 無題
なにがさみしいかって、

入れてもらえてもよさそうだったものに、

誘われなかったってことよね。



短い時間にしては結構親しくなったかなぁって思ってたのに、

こんなイベントあるんだけど来ない?みたいな、

軽く声かけてもらうことすらなかったっていう。

その前々日には、

そそくさとみんな帰ってしまったのが、

なんだか悲しい。


Facebookでも友達になったけど。


自分が思っていたほど、

相手は私を親しいとか、

なんか声かけたらおもしろそうとかいう風に思っていないってこと。


仲間入れてくださいっていうのも、

あー前やったことあるけれど、

それってすぐに無理が出てくるっていうか。

師弟関係みたいなんになちゃって、

仲間って感じじゃすぐなくなっちゃう。

相手はそんな意識ないだろうけど、

「ついてきたいんでしょ?じゃ、ついて来なよ」みたいな。

大学生のときそうだった。

お昼どこ食べに行く?って話になって、

元々からの友達2人で話してるんだけど、

私には尋ねてくれない。

え?ええ?と思っているうちに大食堂にしようって決まって、

いい?とかなんもなく、大食堂で食べる事になった。

あくる日も、その次の日もそうだったから、

たしかに、クラスのみんなの前で先生に言われて自己紹介したときは、

「よかったら友達になってください」と

いかにも自己紹介のあとつけの定型文みたいに言ったけど、

それで声かけて来た2人組の女の子たちが、そんなんだから、

なんだろうなぁって思って、

これならさっさと自分で食べたいとこで食べて、

さっさと図書館へ本とかDVD(映画)とかを観に行ったり、

当時、家になかったインターネットをやって調べものでもした方が

何十倍も有意義にすごせると思って、

もう一緒に行動するのをやめた。


そしたら2人は最初、なんなの?みたいな、

不思議そうな、気に食わなそうな反応をしていたけど、

気にする事なく、したいようにすごした。


クラスでは、

なんとな~く、あの子変、というか、ぼっちでいいみたいよ的な空気が流れて、

(中学のときよりマシだったけど。)

別段話しかけてくる人もいなくなった。

そういう事情を知らない男子たちだけが、

授業の合間に二言くらい、なんの気なしに話しかけてくれた。

それが救いだった。


でも、だからといって、

それ以上なにか発展したわけでもないんだけど。

うまく気に入られるような返しができれば、

女友達はできなくても、

彼氏の1人くらいはできたのだろうと思うと、

ここでも、リア充の分岐点だったなぁとか思ったりして。


本日の話に戻ると、

ぼっちですみたいな、

今まで人に恵まれてなくておとしいられました、

1年休学までしました、今も倦怠期―とかいっている人が、

人に恵まれて、毎日誰かとからんでいて、

ハロウィンパーティーを抜かし込んでいる

そこまではすごくお祝いする気持ちが沸くんだけれど、

一方、今すごいどん底で、

心身共にあり地獄のような、

お風呂でもぐって天井を見上げるんだけど、

プカプカと空気が上がっているのがみえて、

でもなかなかプハーって上がれない息苦しさみたいなのを感じている、

家族も、友達からも救われない、

元気なときに私しか人が寄ってこない人たちに囲まれて、

本当に助けてほしいー寄り添ってほしかったり、

小さい仕事をくれるんでも、

いいね!を押すんでも、

まだまだこれからだよと信じて応援してくれるんでもいい、

そういう人たちに恵まれていない状況ってどうなのかなと思う。


はっきりいって、

最高に、最悪だよ。


イベントに声を掛けてくれなかったことについて、

しょうがないと思うこともできうる。

でも、それは身につけた術によってだ。

イライラしてもしょうがないというのを、

もう大人だからか、

イライラしたところで得られるものはないどころか、

失うものがあると経験で学んだからか、

なにも事を荒立てないことはできる。


でもなにも事を起こさなければ、

なにも変わらない。

だから私は自分から友達申請をしたり、

自分から声を掛けたりした。

今までは引っ込みじあんでできなかったことを、

思い切ってやった。


やっと富士山の頂上についた気分なんだから、

ここからは相手から、この先の進展に関して提案や働きかけがあっても

いいのではないかと思う。


だって、傷つくもの。

すでに傷ついているもの。


テニスで投げたボールが、

ポーンと跳ね返ってこないみたいに、

あれ?私1人でテニスしていたのかな?っていう、

むなしさとか、かなしみとか、

もうこの世に既にある言葉なんかに言い表せないくらいに、

ポツーンとみじめな感じやひどさがあるもの。


バカみたいじゃない。


そういえば、

母が「私、バカみたいじゃない」と、

なにかヘマするたびに、たいしたことないにつけても、

口ぐせのように言っていた。

私はその言葉が大嫌いだった。

「お母さんはそんなにバカみたいなんかじゃない!」、

少し腹が立っていた。

でもそうは口に出さずに、

「そうでもないよ。」と口弱くつぶやくように言っただけだった。

なぜなら、

そんなことないと反論すると、

母は頭に来たように、猛反発してくるからだ。

自分が今言ったことが、いかにそうであるかをいってきて、

より“バカみたいだ”という自分を立証しはじめる言葉を並べ立てられるから、

私はさらに「お母さんはそんなにバカみたいなんかじゃない!」という思いが激しくなって、

立証の言葉尻毎に何度も辛くなるからだ。



話はもどるけど、

そういえば、その人におとしめられて休学していたっていう人も、

家族にはどうも恵まれているようで。


家族がバックボーンにいると強いよなと思う。

医者にかかるにもだ。

心療内科に今まで3つ通った事があるけれど、

仕事をやっていないとか、休職して退職しようと思っていると話した途端、

それなら治るだろうからもう来なくていいよと、

見捨てたように言われた。

それまでは薬ではなくカウンセリングを希望していたとしても、

通うことが許されていたのに。

まだ症状は治っていない状況で。


3つ目の今のお医者さんは、たまたまか、

それともめまいがするから薬を飲むのを受け入れたからか、

そうは言い出さなかったけど。


普通の人もそうだ。

家族と疎遠っぽい反応を見せるだけでも、

さーっと引いたような空気になる。

なんだか大切にも扱ってもらえなくなる。

父親に暴力を振るわれてとは、まだ一般の人には言い出せていない。

だってそんなこと言ったら、

身寄りのない人みたいになって、

余計危ない。

そういう心とか、金銭的にとか、身とか、

寄せるところ、大きな味方がいない人につけ込む人が、

本当いるから、

別にそんなに神経質にならなくてもいいような場面、人相手でも、

にごしたように、

家族とはちょっと疎遠なだけみたいな風や、

場の雰囲気によっては、元気ですよなんて、まるで一緒に平和に暮らしているみたいに

答えなければならないことになっている。


社会って本当にこわいなぁって思う。


だから結婚なんて無理だし、

まして子供の育て方がわからないから、

私みたいに悲しみや苦しみを味あわせたくないから、

子供なんて生みたくないと思う。

立派に育てられる自信もない。

私みたいに思い悩んで、まして、私の母のように、

私が愛情を十分に与えて上げれない事象にでくわしたら、

かわいそうで仕方がない。

だけど、結婚するなら子供ーという考えが世の中の大半の考えだろう。

だから、結婚できない。

まず、相手もいないしね。


逆かもしれない。


つき合うという延長線上にあるはずの結婚ー出産ができないとわかっているから、

妙に相手にならないしぐさをしてしまって、

つき合う相手がいないようなことになっているのかもしれない。


とか、思ってみるけど、

実際はどうなのかわからない。


とりあえず彼氏ほしい。

あーさみしい

2013-10-27 17:36:32 | 無題
久しぶりに叔母に電話をした。

2年程前に電話したとき、1人で暮らしていて、

たまに遊びにおいでとおっしゃっていたと思ったから、

随分経ってしまったが、

訪ねていったら喜んでくださるかなと思って、

急に行くのもなんだから、

電話してみたのだ。


今日、起きたのがお昼すぎになってしまったが、

10月末頃には行こう、行こうと思っていたから、

いつ?と聞かれて、

ご迷惑でなければ今日と答えると、

今日は忙しいからダメよとの答えだった。

まぁ、急だからそうだよなぁと思って、

では、来週と答えると、

来週も忙しいからダメ。ここんとこずーっと忙しいからダメ。

と答えられた。


つまり、訪問してほしくないのだなぁと察した。

ご高齢の方がそんなに忙しいわけない。

それに以前電話したときは、ちょくちょく遊びに来てほしいというニュアンスだったけれど、

今日電話したら、和やかというより、

なんか用?という感じで、別段話しも盛り上がらなかった。

その様子が普通に装っている感じだったから、また痛かった。

普通にお話されているなぁと感じていると、

返ってくる答えは拒絶だったから。


少し叔母さんの方から、質問やたいわいない話があったのがよかった。

叔母さんのお孫さんが結婚して大阪にいるとか、

お相手はいるの?とかいう話をされて、

車運転できるの?とか、

それがまだよかった。

なんにもなくただ冷たく沈黙されたらもっと傷ついていただろう。


それでも、今電話を切ってから、

えも言われぬ寂しさのような、

晴れない気持ちに包まれた。


天気がよくて、お部屋の温度が上がって、

気持ちよく自然と起きれ、

きっと世の中の多いの人はこんな日に行楽地や、

はたまたハロウィンイベントや文化祭なんかに繰り出しているんじゃないだろうか。


毎日近所から聞こえてくる子供のかなきり声や、

それを叱るヒステリックな母親の声も今聞こえない。

買い物か、行楽地へ出かけているのじゃないだろうか。


私はアルパカのいる牧場に思いを馳せる。

こんな天気のいい日にアルパカのいる牧場で、

できれば私を信頼してくれて、

心の底から受け入れて、

必要としてくれる人、

愛する人とのんびり太陽の下、

行けたら、

どんなに気持ちがいいだろうか。


ここのところついていない。

急に誘ったのもよくなかった。

でも急に誘っても、うまいこと奇跡的に、

ちょうど空いていたのとなるときもあった。

文化祭も行けなかった。

仲良くしたいグループの人たちからは誘われなかった。

どうもハロウィンの企画で盛り上がっているようだが。


SNS経由ではなく、メールの方が確実に届くので、

連絡はメールがいいなと希望を伝えた人は、

なぜだろうか、今日Facebookに、

感覚として男性はメールは重要で、

女性はメールはあたりまえらしい。

なるほどね、男性は女性からメールが来たら嬉しいけれど、

実際はそうでもなく、男性が頑張ってメールしても女性は余り気づかないということか。

という主旨の投稿をしていた。


いったい、何の記事を見たのか、

誰かのアドバイスなのか知らないけれど、

そんな悲しいこと言わんでもいいじゃないのと思った。


私はメールが来たらとっても嬉しいけどな。

あー・・内容によるか。

返信に困るような内容とか、

逐一報告メールみたいのだと、

返信考えるので疲れちゃう。


誘ってくれたり、内輪に入れてくれる人や、

結婚を前提におつきあいする人がいたらいいのになぁ。









がまんは損

2013-10-23 13:08:37 | 無題
犬が若干苦手という話は、

もうこのブログでは何回か書きました。


入社してから、

社内に犬が2匹いて、

よく鳴いたり、走り回ったりすることを知りました。


入社日の朝、ドアを開けてフロアに入ると目の前を犬がかけていき、

思わぬことに私が悲鳴を上げると、

「犬がいること面接で言うの忘れてた、あはは」と言われ、

そこではじめて知ったのです。


今までたくさん求人を見て、

たくさん面接も受けましたが、

犬がいる事業所では、求人の時点で明記してあるところばかりでした。

面接で犬がいると初めて知らされたところはありませんでした。

そして、

どんなに条件がよい求人でも、

犬がいるということで応募しなかった求人もありました。

たとえスカウトでも、丁寧にお断りしました。


「「“面接の時点で言うの”も変だと思うけどな・・・。

犬がいるって知っていたら、応募しなかった。」」

そう私は思いながら、

空気を壊さないように、

「犬苦手?」と聞かれた事に対して、

苦笑いしながら「得意じゃないです」というと、

「苦手ならはっきり言った方がいいよ」というので、

「苦手です」と答えました。

それでもなぜか、苦手?と訊くくだりから

そんなやりとりを繰り返す内に、

“結構苦手です”と答えるに至りました。


私は「犬が得意という程ではない」という程度の苦手さだと、

自分でも思っていました。

家に犬はおらず、ペットは飼えないマンションなので、

身近な近所にもペットを飼っているも人はおらず、

普段犬をそこまで身近に意識する機会がなかったからでしょうか。


犬を見かけるのは散歩している人に繋がれた犬か、

写真や動画くらいでした。


散歩している犬とすれ違うときは、

少し遠巻きに歩きながら、

それでもかわいいなと思っていました。

画像や動画なら、なおさら安心感もあってか、

かわいいなぁと感じていました。



けれど、3ヶ月その会社に通った結果、

画像の犬すら恐く感じるようになりました。

さらには、気持ち悪いと感じるようになってしまいました。

3ヶ月前までは、

実物の犬を見ても気持ち悪いなんて感じたことはなかったのに。

そして、

遂には、私はストレス性急性胃炎になってしまいました。


「なんで犬苦手なの?」「どこがダメ?」

何度も、なぜ苦手なのか尋ねられることで、

あまり思い出したくないことを思い出させられる機会が幾度もあり、

それだけで嫌でした。

「かわいいよ」「えづけすれば慣れるよ」

無理矢理、強制させられることで、恐怖さが増していきました。


犬を近づけて来て「ほ~ら、ほ~ら。」

さすがに真顔になり、顔がひきつってしまいました。

そこでようやく、ほ~ら、ほ~らといった当人1人だけが、

私が本当に犬がダメなんだということがわかったようでした。

それでも、

会長の犬ということで、

犬が会社に来なくなる日も、

どこかに繋がれる日も来ませんでした。


あいかわらず犬は業務中も吠え、

走り回り、

通路にペット用のおしっこシートが無造作におかれ、

異臭を放っていました。




今思えば、入社当日でも、

すぐに入社をとりやめればよかったかと思います。

給与は去年働いていたところと非正社員のときより低いし、

残業代はみなし残業としてつかない。

福利厚生は同じ。


非正社員でも保険等にちゃんと加入できるなら、

アルバイトでもいいのじゃないかと思う程でした。

ただ違うのは雇用主の都合ではよっぽどのことがないかぎり、

解雇されてないという点だけでしょうか。


それでも、ニュースを見ていると、

早期退職者を募ったり、

自主的に辞めさせるために追い込んだりすることは、

うわさなどではなく本当にあることということで。


がまんした結果、今、医療費がすごいかかってます。

すぐ動き出せないし、

食慾が戻ってこなくて、疲れやすいし。



早く元気になれたらなぁと思います。


そして、私を受け入れてくれる仲間を見つけられればと思います。


幸福感

2013-10-20 23:21:51 | 無題
幸福感について思うことが最近他にもあった。


好きな人と一緒に帰れた。

ただそれだけで、とっても幸せだった。

そうだ、それだけじゃなくて、

一緒に1対1でゲームをしたりした。

好きな人を独り占めできるってなんて素敵なことなんだろう。

よかったのは、相手がイヤそうなところを、みじんも見せなかったこと。


病気中だから、幸福なできごとに過敏になっているのだろうか、

私はそのとき、とっても幸福だった。


「今日はどうだった?」とその人に尋ねられた。

私は「今日もとっても楽しかった。」と自然と沸いてくる満面の笑みで答えた。

私は、はっとした。

今日もとっても楽しかった、と答えたとき、

”とっても楽しかった”が体にしみ込んでくるような感じがした。

そして、体の中で共鳴した。

とっても楽しかった、楽しかった 楽しかった 楽しかった とっても楽しかった

と。

共鳴しあって倍になって膨らんで、

より楽しかった幸福度が満ちあふれる感じがした。


言葉に出したことで、実感したんだ。