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相手の欲求をよくよく観察しよう

2013-12-06 07:49:46 | 無題
前回の記事で、成功体験として得たことを書いた。

無理して取り繕わない、

無理して解決して役に立とうとかしない、

解決してあげる必要ない、


だけど、かまってちゃんだと、それをすると余計ぐずりだすということがあって、

すごい疲れた、イライラさせられたっていうことを書く。


無理して取り繕わないで、元気がないときは、

それはそのまま出していいんだという成功体験があったから、

ある人と話しているときにもそのようにした。


成功体験以来、初めての別の人との会話だ。


最初は私も元気めにふるまえていたけど、

話がながくなってきていたので、

少し疲れ始めていた。

その人は冗談をいうのがすきで、

あれやこれやと寄り道をしたり、

打ち合わせ中なのに自分の話(僕話)をしていたりした。


むりをせず、特にがんばってリアクションしたり、返しやつっこみをすることなく黙っていた。

すると、どうしたんですかぁ?とか言い出したから、

以前から体調がよくないことは伝えてあったから、そういった。

すると、え~、とか、あ~とかいって、

会社復帰したんですか?とか聞いてきた。

恐らく、“会社という後ろ盾がある私が”好きなんだろうなっていうのが前々から感じられていたから、

気分悪いなぁと思いながら、

仕事しているよと答えた。

私より随分年下で、

頼りにしてます~なんていっているような人だから、

仕事してない、寝付けてないとか本当のことは言えないなぁって感じだった。

言ったら、仕事減らされそうと思ったからだ。

その人は出会った当初から、私の話を聞いて、

私が応援するよといっただけで、

もう万々歳で自分のしたいことも達成できると思っていたと言う程の人だ。

いくら広告業界につとめていたからといっても、

いくら認知度を4倍にアップすることが私ができたといっても、

クオリティの高いものや、

共感されるものを提供しないと売れないことくらいわかりそうなものなのに。

私は秋本康志じゃない、そういう仕掛人ではないんだから。

だけど私を業界の人と思っていて、それにおんぶにだっこできると思っていたらしい。

そういう人だから、

甘えがとまらない感じだ。


あねさん女房だか、お姉さんだかに甘えるみたいに

年上の女性に甘える感じが、

ほんとめんどくさいなと感じさせられるときもある。

楽しく会話しているときもあるけれど、

度が行き過ぎて、

さらにそこからダダをこねはじめたり、

もっととか、なんでとか言ったり、

こっちが大事な仕事のことを質問しているのに、

黙り込んで、う~んとか答えを出そうと努力せずに、

どう思います?とか私に投げ返しても、

私が知るようなことじゃないことを聞かれてもわからないから質問しているのにと、

ぐずぐずし出すと本当に腹が立つ。

イライラさせられるのだ。



しまいには、遅くなっているから早く眠りたいのに、

なにか質問ありますか?と聞けば、

えーう~んとか言って、

もっと話したいとか言い出した。

何時だと思ってんの?と思った。言ったかもしれない。

すると、黙った。

黙っている時間がもったいない。

それくらい寝たい。

もう何時間も話した。

怒ってるんですか?と聞いてくる。

自分ばっかりのことだ。

怒っているのが気になるのは僕ちゃんで、

私のために早く切り上げようという第一手段を選ばない。

自分が気になっていることを優先させてくる。

だから私は、「イライラしているのは寝起きに機嫌が悪い人と一緒だから、

質問がなければこれで終わるし、あれば早く質問して。」と答えた。

すると、じゃぁ、怒っているのは僕のせいじゃない?と聞いてきた。

また自分のための質問だ。


ついさっき、

元気ないですね、大丈夫ですか?

体調まだ戻ってないんですよ

って会話をしたばっかりなんだけど。

しかも元気な人でも限界に達するくらい遅くなってるんですけど。

無理っていってるんですけど。

伝わってないのかな?


イライラしている自分がいやだから、

早く終わらせたいっていうのもあった。

イライラしている自分を他人に見せるのも嫌だ。

だってそういう人をだれだって見たくないもんね。

怒ってるのだろうか?とか自分のせいかとか、余計な心配ごとを増やさせたくないもんね。


だから、さっさと終わらせたいし、そう何度も伝えているのに、

ぐずぐずするからどんどんイライラが増していって、

どんどんイライラする私を見ることになっているのに、

まだ余計な話で長引かせようとしている。


しかも体調が悪いのを隠さずにいると、

なんで?とかどうしたんですか?とか、

もっと返してくださいよと、

元気なときのリアクションを求めてくる。

無理だっていうのがわからないのかよと思った。

サロンの友達のことを思い出しながら、

◯◯だったらちゃんと察してくれるのにと思った。


私が元気なくしたのをそのまま隠さず表明すると、

余計なおもりが増える。

え、大丈夫ですか?と心配してくれるのは嬉しいけど、

よくなったら連絡くださいとか、

もう会社いってますか?とか、

なんで急に静かになったんですか?とか、

さっきまで元気だったじゃないですかとか、

かまって、かまってが増える。

元気がないっていってるのに、怒ってるんですか?とか何度も聞いてくる。笑かしてくれるわ。

「「「元気がないの!!体力がないんだよ!!!!!」」」

怒らす気かと思った。


怒りが込み上げてくると、体力がどんどん消耗していく。

余計疲れる。



この人の相手をちゃんとしたときがあったなと思い出す。

思い出すという程前でもないのだけれど、

友達ですか?と聞かれたくだりだ。

以前書いた気がする。

それで私はちゃんと答えた。どういう状況なのか。

普通はそんなこと聞かれたら、友達だよと答えておいて、

あとから聞かれたことで、友達か?と聞く割には・・・ということが浮き彫りになってきて、

めんどくさい人と距離がより遠のいていくということになるのが一般的なパターンだけど、

私はまじめに答えた、どんなことになっているのか、

自分はこう感じていて、友達かと聞かれたことで、こう感じて、

友達と今の状態が感じられないことに不満を抱くなら、

私は無理だからと、ちゃんと答えた。


それだけじゃないだろうけど、

そういった感じで私は、変にきまじめに人と向き合うから、

その人にとっては

数少ない相手をしてくれる人になったようだった。



他人を相手しすぎたり、気にしすぎたりするから、

私の方だって友達が少ないことになっているのに。

ありがたいことに、私は今は、

だれかにかまってちゃんをせずにいられるようになった。

以前の人たちにはご迷惑をおかけしたなぁと思う所存。

母に対してもそうだった。

私は、母の態度が冷たかったり、世間一般でいう“母”らしい反応じゃないとき、

だだをこねた。

なんでとか、こうしてほしいとか、

してくれない母に勝手に傷ついた。

世間や心療内科のお医者さんによれば、

母はやっぱり母性愛にかける人で、精神病らしい。

だから、私が今どうとかとか。

そうだろうなと思うし、

やっぱり他のお母さんみたいに、愛情あるメールとかもらってみたいなと思う。

成功したら一緒に喜んでほしいし、

失敗しても信じて励ましたり、

場合によっては無理するなと言ってくれたら嬉しいと思う。

母はどれも真逆だったけれど。



そこで隣の家の人のことを思い出す。

毎日、上から3番目の小学生の男の子がぎゃんぎゃんわめいて泣いたりしている。

ドタドタと走ったり、ボンボンボンとボールなんだろうか壁か床に打ち付ける音がする。

朝から、その子の母親が「起きろよぉ!」と怒っている声や、

何に対していってるのかわからないけど、その男の子

なんで!いやだ!!と叫ぶ声が聞こえたりする。

子供は全部で4人のはずなのに、

他の子供の声はたまにしか聞こえてこないし、

聞こえてきても金切り声ではない。


いつもぐずったり、ぎゃーぎゃーわめいたりするのがその子なのだ。

物の扱いもひどい。


長男は母親から「青年!がんばれよ!」などと、どこの青春かと思うよなセリフと

信頼を受けて育ってきた。

やーった、よしよしよしーとかいって一緒に大げさに喜んであげたり、

お兄ちゃんは偉いとか、手がかからないとかいった感じだ。

実際そんな言葉もいっていたと思う。

ちょっと気持ち悪いのが、

子供の方はいい加減大きくなったら、そういうのに大して引きそうなのに、

どこまで大きくなっていっても引かずに、

窓から手を振る母に、手を振り替えす長男なのだった…。

まぁ、でも信頼を受けて育つって、とっても健全なことだし、

仲良くできるって理想的でいいことじゃないかなと思う。


Twitterとかでよく、親かわいい話ながれてくるけど、

ああいった感じはいいよね。

この2人はいやだけど。



長女は母親からなぜか憎まれ口ばかり叩かれて育ってきた。

だからか、相応の年までは少し泣きさけんだような声が聞こえていたけど、

ぱったり静かになってしまった。

たまに姉弟同士で遊ぶときにきゃっきゃっと女の子の声が聞こえるというくらいだ。

だだをこねて、泣き叫んだりはしない。

「使えねーなー」とか、「女の子なのに、そういう気配りできないわけぇ?」などと

母親から言われて、

なにをやってもダメ、なんにもしなくてもダメという感じでいわれ、

女同士という意識から母親の嫉妬だろうか?

ドン引き&長女を心配になるほど、長男と扱いが違いすぎて、

もうなにかを悟っていてもおかしくないくらいだ。

私が母に大して不信感を抱き始めた年齢と一緒だから、少し気持ちが分からなくない。


そして3番目の子供は、幼いころは、目に入れてもいたくない程の扱いで育ってきた。

よーしよしよし、う~じゅぶじゅ~とかなんとか。

そういうのもあるよねと最初の頃は思っていたけど、

ちょっと度が過ぎているし、

他の子供より優先しすぎているし、

聞こえてくる様子が・・・。

目に入れても痛くないってこのことだなと自然と言葉が浮かんでくる程だった。

あやす声が聞こえてきて、

その横で長女を叱っている。

益々不安になった。

長女は私みたいになってしまわないか、

そして3番目の子供は甘えん坊で言うことを聞かない子になってしまわないか・・・。


(4番目の子もいるらしいけど分からない。)


そして月日は流れ、現在、

思っていた通り、

3番目は手もつけられない程のきかん坊になっている。

大声を出してわめいたり、ダンッダンッとじだんだを踏めばなんとかなると思っている。

毎日そんなになんのやなことがあるのか、

チャンネルあらそいなのか、

些細なことでもすぐ奇声をあげて、ぃやぁあだ!!と言っている感じだ。


最初の頃は、

それでも母親はそういうのをいちいちきいてあげて、

なんでもいいよいいよとしていた。

だけどそういうのから卒業する年齢というのが母親の中にあったのだろうか、

言うことを聞いてあげなくなり、

ダメと怒るようになった。

女性らしさなんかふっとんだ男口調でどすと金切りの混じった声で怒る母親と、

ダダをこねる子供の攻防みたくなっていて、

ちょっと頭痛い。


母と口論になって、傷つけられたときのことを想起させられて辛い。

床をボンボンボンとする音も苦手だ。

そういうの私は元々苦手だったのに、

私は母からほしい愛情を得ようとがんばってしまった。

それでそういう音が苦手だ。

今では自分がまったく関係ない人が町中で怒られていたとしてもダメだし、

扉をバタンと閉める音も苦手なほどだ。

すごくビクッとなるし、

とても怖いことがあったような感覚

(身が縮こまって心臓がぶるぶるってなるような)になってしまう。



さて、結論を書くと、

人によっては相手しすぎると、

そのあとこちらの事情で以前のように相手ができないときでも、

無理に、以前と同じような相手を求めてくる人がいるということだ。



育児で甘やかし過ぎはダメというのがある。

たしかにそうなのかもしれない。


精神病に、人に依存してしまう病気の人がいるという、

たしかにそうなのかもしれない。

それを病気と定義するならば。



私はこれで、どの立場からも経験した。

ダダをこねる立場、ダダをこねられる立場、その2人を見る第三者の立場。

ありがたいことに今回、私が冷静な状態でのサンプリングに成功した。


その結果、

人を気にするー気にしすぎるほどに気にする人、

すなわち思いやりがあるとかいわれちゃう人は、

もしかしたらひょっとして、

めんどくさい人かもよってこと。


人を気にするってことは、すなわち、

自分を気にしている―自分に興味が向いていて、どう見られているか気になる

という可能性が高いということ。

例)この人思いやりあるなぁとか、

よく話しかけてくる、メールしてくれるとかいうことがあったら、

それってもしかして、あなたに気がある、興味があるのではなく、

自分に気があるのかもねってこと。

―自分を相手にしてくれる人が好きなだけっていう。

ためしにその人が話していることを注視してみよう。

自分の話ばかりで、あなたの趣味も好きな食べ物、色といった基本的なことも知らなくて、

なのにすごく好意を持っているようなことを伝えてきたら、

あれ?それって変じゃないってことで。

また、体調が悪いときに、させたいようにしてくれるだろうか?

自分の欲求ばかり優先させようと試みてこないだろうか?



これからどうしていけばいいだろう?


こういう人たちと関わるのはしんどい。

数少ないクライアントだから相手するようにしてきたけれど、

ちょっとこの間のはしんどかったなぁ。


期待値として、けっこうな甘えを見せても許してくれるっていうのがあるみたいだ。

そしてそれを取り合わないようにすると、

冷たいといって非難してくる。

冷たいといわれると少なからず傷つく。

事実は冷たいかは疑問だし、疲れているから相手できないだけなのだと冷静に考えても、

心はちょっと痛む。

次冷たいと非難されたら、そのことを伝えて、

それでも求めてきたり、非難するようなら縁を切るしかない。

どんどん距離を置いて、どんどん冷たくなって。


その人から顔文字を使ってほしいとか、

もっとフランクに接してほしいと言われたことが何回かある。

私はこういう人だからと、

冷たく感じるなら、これが私だからと泣きそうになりながらいった。

事実半分だし、その人に対しては100%それが真実だ。

だけどあとになって考えてみたら、

気を許せる女の子や、だれもみていないであろうSNSでは、

顔文字も使うし、フランクに話したりする。

そして他の距離がある人に対して、もっとお近づきに=フランクに接するくらいの仲になれたらな

というのがあり、

なにもその人に話した人物像が私ではないことに気づく。


それに意識してそうしているというのもある。

仕事相手でもあるから、ビジネスめいた感じなのはそうだし、

友達だからという甘えられて(もっと安くしてとか、無理目なお願いとか)、

仕事がしんどくなるのも、

気持ち的にうやまわれてないと悩むのも嫌だからだ。

友達なら、尊重や尊厳をもって接してくれたり、

よりよくしてくれるものだという話もある。


相手したばっかりに―

こういうことってあると思う。


私は以前の人にあやまりたいなって思う程、

相手したばっかりに、若干つきまとうようなメール送っちゃったなと思うことがある。

今それを反省する。

された方ってこういう気分なんだ。


私には数少ない友達で、なにか疑問や衝突があったら、向き合わなきゃって思っていたけど、

それってめんどくさい。

相手に気があったらめんどくさくなくなるのだろうか?

今いえることは、すごく甘えられるのは私はダメだ。

私が甘えたい方なのに、甘えられるのってダメだ。

これはパートナーの話。


友達は、

たくさん増やした方が、1人1人に対する期待値=負担が高くならなくていい。

それは私にとっても、相手にとっても。

たくさんいる人は友達に困らない。

見える世界が違うんだろうな。

1人の人からの連絡や、近況にやきもきしなくていい、

そんなことを考えているうちに、

違う人から連絡が来たり、

他の人との約束に向けて準備したり、忙しいからだ。


SNS上でも、友達が多い人のタイムラインはすごい勢いで流れているという。

1人1人個別によくよく読んだり、

だれかの考えを考察したりするヒマなんてない。

いいなって思ったのを、すぐリツイートしたいり、

反応したりしないと追いつかない。

自分がどう思われるかなんて、時間をかけている暇はない。

一方、私のタイムラインは、

眺めている。

眺めているとやっと出てきたうんちみたいに、

1件とか表示される。

それを私は、うれしそうに開く。

さかのぼると、前回読んだところまでに追いつく。

つまり全部読める。

フォローしているあの人はこういう人だなぁ、

こんな状況だなぁ。

話しかけたいなぁ、でもアウェイかもなぁ、やめとこう

みたいな。


Facebookでぜんぜんみんなの近況がなくて、

企業やブランドページからの投稿ばかりが流れてくると、

悲しくなってくる。

みんなどうしているのかなぁ、とか、

人と接する機会がないから、

今はまさしくソーシャルネットワークがわたしの社会。

人気(ひとけ)がないと、

人気のないショッピングモールに来たみたいで、

さみしい。



友達をただやみくもに増やしても薄い繋がりがたくさんできるだけじゃないかという

怪訝がある。


名刺を発注している。

今度、交流会に行く。

名刺を交換するタイミングなんてほとんどなくて、

名刺を差し出されたら、差し出すくらいだろう。

フリーになる前は、

プラペートで名刺を突きつけられると、

痛いなというか、うざいなというか、いや、

あとでサイトとか見てみるのは楽しみだし、

名刺をコレクションしたり、よいデザインの名刺をみてほぉっとか思ったりするのは

楽しいんだけど、

なんというか・・・自分を売りたいんだなっていうか、

売り込まなきゃならないほど足りてない人なんだなっていうのがわかって、

いやだった。


また、メルアド交換とも違う、

一方的な連絡先に押し付けの裏に流れてしまう、

この番号を控えておけよ的な感じが、ぶしつけだなと思ってしまう。

また出会ったばかりに名刺を出されると、

ビジネスならそれでいいー打ち合わせとかなのだから、

これから始める拙者やおぬしは誰ものよということでいいのだけれど、

そうじゃない場合、

まだ知り合ってもいないし、

こちらのことも知らない、興味わくかわからないのに、

DMをばらまくがごとく渡されてもいい気がしないわけで。

それって、仕事、連絡は待っているけど、こちらからは連絡する気ないから、

あとYouたちに任せたよ的な。

任せられた部分っていうのが、

名刺に載っているアドレスや電話番号を携帯とかにちまちま入れたり、

勝手に知りたまえ的に載せられたサイトのURLを叩いて開くという作業。

そしてワシお前の仕事欲してるわけじゃないし。

仕事をぜひふってください的にこられる=名刺をよく知りもしないのに突きつけられると、

ちょっと気になる人だなぁって思っても、

近づいただけで、お金、お仕事発注を期待、要求されそうで怖い。

すなわち、近づきにくい。


そんなお金ありませんからと思ったところで、

ふと思う。

あれ?じゃぁ、いいのかと。

余計なお金のない取り巻きみたいのができなくて、

お金がある人とだけ友達ができるからいいのかな?と。


お金があったら友達のためにいっちょ一肌脱いでやろうかという気になるものかもしれない。

うーん、わからない。

少なくとも、私はもう少し友達のサロンへ悩むことなく行けたなと思う。


お金があると今度はそれを守りたくなるという話もある。

その友達のお兄さんは上場一流企業で、お嫁さんも一流企業のグループ会社だ。

家のなかにミネラルウォーターサーバーを置いて、

遠くのジムに通ったり、車を持っていたりして、

他にもなんだったか忘れたけどすごいなーと思った。

だけどお金が足りないと言っているそうな。

都会だから車はなくてもぜんぜん生きていけるし、

サーバーってどこの会社だよと思う。(会社になら置いてあるの見たことあるけど…。)

マンションの家賃がもったいないから、

その分で実家を建てなおすと。

で、妹である私の友達には自立してほしいと。

(友達はそれで、今まで一人暮らしさせないと言っていた兄が考えてほしいと言い出したから、

ひどいと言っていた。)

子供に負担かけたくないからと。

兄の言い分もわかる、わかる気がするけど、

う~ん、核家族でマンション暮らししている人もいるし、

福利厚生で住宅手当が出るらしいのに?

妹は追い出す感じなのに?

お金は守りたいと。

妹がいる実家もせしめるという感じに―友達がいうように見えなくないんですけど・・?

でも父とおばあちゃんのめんどうも見るってことだから、

うーん、そうかぁ、そうなのかぁ。


兄の立場になって想像してみた。

たしかに、自分が勝ち取った進路、一流企業、給与、

上り詰めた上場一流企業にいる自分がすべてのものをほっして、

なにが悪いのかという感覚にならなくない。

しかもその稼いだお金で、今まで働いてきた父、祖母のめんどうを見るという男気を見せられる、

いっちょまえの男としての―船長的気分。

だけれど自立していると言えるか怪しい収入の妹、

妹がなにか病気、けがしたとき、妹のそれまでの稼ぎ分だけじゃ見切れないから、

自分がみることになる。

同じ若さなのに、嫁も一流企業でつとめて稼いでるのに、

妹は、ぐれた過程を経て、仕事がきつかったとかで入院するまでになり、

サロンをやめて、満員になるわけではないサロンを自宅でやっている。

40代、50代になったとき、

息子がおばのめんどうまで見なきゃいけないなんてかわいそうだ。

自分たち家族が離れたマンションで核家族として暮らしていたとしても、

家を建てなおすほどの稼ぎがない妹に、

実家のことを任せることはできない。

今、実家に引っ越せば、マンション代も浮いて、家も建てなおせる、

帰る実家は残しておきたい

―となれば、この選択、自然かなと思う。

妹には自立してほしいという思い反面、心配もしてるんじゃないかな。

もし本当に妹が嫌なら、

縁を切って遠くに住むもんね。


妹にちっともわけてやらない気持ちになるんか…。

せつないな。

だって、そういう大きな一軒家で、よい大学、一流企業に勤めるほどの人になれば、

弱気家族も助けるー

そういえば、友達=妹は大学生のときにタバコ吸ったり、

なんか反抗したりして、ぐれてたって、友達言ってたなぁ。

そういう強いところを見てるから、

同情できないってことなのかもしれないなぁ。

私は優しい表情しかみたことないから、

タバコ吸ったりなんて想像つかないし、

言い争ったりするんやろうか?

家族同士だと遠慮ないからなぁ、

私はそれでボロボロになってしもうたけど。

どこも同じなんやろうか。


近くに住んでいた=実家が近くにある慶応出身の幼なじみを思い出す。

兄弟共に上場企業に就職したらしい。

兄は同じ大学出身のキャビンアテンダントさんらしい人と結婚して、

子供もできたけど、

ああいう家だったらどうなんだろう?

お母さんも優しい感じの人で、

2人の兄弟をどうやって叱ったりしたんだろう?

そうしてどうやって、あんなにまっすぐ絵に描いたような理想の人に育てたんだろう?


もう1人慶応の人を思い出す。

誰とでも仲良くするし、

本社へまた移動していくときに書いた全社員宛のメールに、

ウェルカムですといって自分の全SNSとメルアドをさらすって、

どないなってんのやろ。

かわいい大好きな彼女に愛されて、

友達もものすごい数いる。


この前1年ぶりにばったり駅ですれ違った。

私は有名人でもみつけたみたいな気分になった。

思わず、◯◯さんと声をかけた。

その前に一瞬目があったような気がするのだけど、

インナーイヤーのイヤホンをしていたせいか、

気づかなかった。

私は、どうしようと思うヒマもなく、

すれ違い前になったから思わず、その人の目の前で手を大きくふって、

もう一度、◯◯さんと声をかけた。

気づいて、イヤホンを外して、

最初だれだかわからなかったのだろうか、

真顔で見つめたあと、

お疲れ様ですといったので、私もお疲れ様ですと言った。

(私は仕事帰りじゃないんですけどと思いながら、

「こんばんは」でもなく、「どうも」でもなく、

「お久しぶりです」でもなく、

「お疲れさまです」だったことに、

なんだか昔―といっても1年前だけど、一緒に働いた仲間だった

感覚になった。そう思ってくれていたなら嬉しいけどと思うけど、

ただ仕事帰りだから、みんなにお疲れさまと挨拶していると、

流れで、ついて出る挨拶が、なんでもお疲れさまになる

あのパターンかもなと思う。

というかそうなんだろう。)

段々、目が開いていって、あ、ああみたいな顔になった。

笑顔にはならなかった。

もともとあまり笑わない、真顔がデフォルトみたいな人だから、

残念とかそのときは感じなかったけど、

今こうして書いていると、やっぱり残念だ。

私はそのまま歩き続けて、振り返りながら手を振った。

彼は立ち止まっていた、

え、え、行っちゃうんですか?みたいな感じはなくなかった。

そのまま2人とも移動しながら挨拶してすれ違ったらよかったのだけど、

その人が立ち止まって、

去っていく私の方面へ、社交辞令か、

前のめりになりながら見送ってくれたから、

なんだかそれで満足です。

ということにしています。

もちろん、そんな人が彼氏だったらいいし、

おお~どうしてますかぁ~って笑顔してくれたら嬉しかったし、

私が声かける前に気づいて、声をかけてくれたら、

女日和につきるってものです。


やっぱ私一緒に働いていた頃は、

ちゃきちゃきして、ちょっと怖い人だったかもしれないから、

いや、めんどくさそうな人の方かもしれない、

―まぁ、どっちでもいいけど、とにかく、

友達ほとんどいないし、かわいくないから、

仲良くしてもメリットないのだけれど。


どうして私には彼氏がいないのですか?

どうして好きになった人と結ばれないのですか?


他に相手してくれる人いないからといって私自身のことはなにも知らずに甘えてくる人ではなく、

他にたくさん人がいても、

私を選んでくれる人がいいです。


それには自立することが一番なんだろうけど、

それは無理そうだし、

人を頼るバランスもまだ分からないような感じだから、

好意がある人に好意を向けられるなんて、

そしてつき合うなんて、

そして永遠に一緒に歩んでいけることなんて、

無理そうです。




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