私はすっかり入社したての、
他人のいやだなぁと思う面を心底に隠して気にしないようにつとめ、
とっさにポジティブな対応をとるようにする、
ということが反射的にできずに、不満ある態度をとるようになってしまった。
ストレスが溜まり、それを他人に相談して表面化させてしまったからなのか。
相談した当初は、相談して、共感を得た快感と、
問題を共有する事ですこし楽になれるところとがあり、
やっぱり一人で抱え込むより、相談するほうが社会人としていいのだと思った。
けれども、問題ができるたび、問題に進展ありなしに関わらず、
すぐに他人に相談ーのつもりで自分ではいるけれど、
他人にとっては愚痴や文句に聞こえているかもしれない。
と思っているうちに、どうやらそれは本当のようで、
友達もあまり聞いてくれなくなった。
上司からの評価もあまりよくなくなった。
とても辛く孤独で、がんばったことは認められずに、
問題の点についてより、私がよくないと一方的に言われ、
私の話は聞いてもらえなくなった。
意見をあおぐと非難ばかり返ってくるので疲れた。
以前は言い回しに気をつかってくれていたけど、
ひどい言い回しで、私を黙らせるまで徹底的に言ってくる。
黙ったら、さっさとどこかへ消えてしまう。
私の抱えていた、会社にとってもよくない問題はそのまま放置だ。
以前の私なら、もっと意見を聞いてもらえただろう。
だけど、今は人の意見をあおげ、言うことを聞けばかり言われる。
どうしてみんなは自分のがんばっているところを認めらないとき、
上司から指摘をうけたら、その場だけでもすぐにはいと言えるのだろう?
自分の思いもわかってほしい、会社のためになるように考えて行動したこと
私より先に入社した、そのやる気がないと自ら言う人も
実は入社したてのころはやる気があったのじゃないかと思う。
上の人たちの指摘の言い回しなどで、
やる気がそがれていったのじゃないかと思う。
もちろん本人のあきらめないやる気回復への取り組みも大事だが、
そんな中でもおかまいなしに冷たい態度を取りつづけることで、
再起不能になったのではないかと思う。
体調不良にしょっちゅうなっているし、
自分の理想像と現実の自分と周りからの冷たい視線で、
あきらめと、ふてくされで生きていくことを見いだしてしまったのかもしれない。
その人は今、会社に貢献していないと感じていると自ら言う一方で、
やる気がないとか、あの仕事(社内案件)はしたくないとか言い、
仕事のことでは自分からは考えないで、
言われた事を言われたとおりにしか行動せず、
これで間違っていないかという相談もなしに、勝手に仕舞いまでしてしまい、
あとから指摘されるとめんどくさそうにするというどうしようもない状態になっている。
私はそうならないように気をつけたい。
やる気回復へ取り組むために、このようにブログを書き、
今回の件を文章にして整理して、感情と切り離してみたりするうちに、
忘れていた自分に非がない点もあったことや、
指摘してきた人の方が落ち度が多かった点などを思い出し、
みんな大変なんだなぁと客観的な視点を取り戻せた。
そして来週がんばれたら初めてネイルサロンに行くというご褒美設定もしてみた。
これは結構前向きになれた。
お昼頃には今日行ってみたいと思っていたけれど、
シミュレーションしてみたら、来週末に来週がんばれたら行けるとした方が、
気分が回復したので、夕方になるころには、
当初購入を予定していたハンドクリームと、
デパ地下でお気に入りのハムを買って帰るだけで済んだ。
そんな自分をすこし好きになれたから、自尊心に回復にもつながってよかった。
ここ数日はだれかに話を聞いて共感を得ることで、
傷を癒そうとしていたけれど、それには限界があって、
自分自身でとことん癒すー傷を自分でペロペロなめるみたいにした方が、
賢いなと思った。
その方が確実に癒えるなと。
ペロペロなめるときみたいに、
自分で加減もわかるし、
相手は本当はこの話聞くのいやがってないかなとか余計なことを考えなくて済む。
余計にストレスを増やさなくて済む。
でもお金かかるよね。
会社に行ってなかった頃は、
とことんお金がかからなかった。
あれ?なんであんなに食費かかってたんだろうとか、
なんであんなに服を探しに街へ出かけることが多かったんだろうとか思ったけど、
会社に行くといろいろストレスがあるから、
自分を癒すために、好きな食べ物を買ってあげたり、
自分がよく見えるようにそのときそのときで必要だと思う服を探したり買ったりして
気を晴らし、自分に自信をつけてあげるようにしていた。
そんな目先のもので自分に自信をつけるのは、
根本的には自信つくことにならないことがわかっていても、
習い事も、本も、交流も大変お金が必要だから、ほしくてもがまんしていた。
人脈を広げるとそれだけ気苦労も増えし、自分を評価する相手が増えることだからコワい。
働きかけても人脈が広がらない=自分に魅力がないということを突きつけられる結果になる。
だから家でDVDを見たり、音楽を聞いたり、料理したり、インターネットをしてる方が
気が楽だった。
本は、買ったら家であんまり読まなかった、家でよく読んだらいまいちだったという
自分のバカさ加減をつきつけられるのがいやで、なかなか買わなかった。
本当はこっからここまで全部くださいと言いたいくらいなのに、
限られているお金で、自分で選んだ本が自分のためにあまりならなかったときの
自分の不甲斐なさを思い知らされるのを警戒した。
習い事はすごく気晴らしになると思うけど、
わかっているとおり毎月お金がかかるので手が出せなかった。
徹底的にそれもやって身になればいいけれど、私の場合は、習い事が徹底的にできるなら、
仕事にしていることも徹底的にできているだろうと、
仕事にしていることに関することに時間とお金を使えよと思い、
でも気晴らしにしたいから仕事と関係ないことがいいと矛盾が生じて、
結局なにもできないままだった。
食べ物や服や入浴剤など目先のもので気晴らししていた。
それにそのときは、まだやりたい仕事につけてなくて、
そのやりたいことに必要なパソコンやソフト、機器などを買うために
お金を貯めていた。
今、ありがたいことに全部集まっている。
貯まったお金で独学し、さらにそれでもやっぱり足りないと感じて学校へも通った。
そしてそれがまかりなりとも仕事となっている。
まだ肩書きだけの実力が不十分の者だけど、
がんばれば大きな仕事ができるところの近くにいる。
というか下手すると大きな仕事は来たけど、
期待に沿えなかったという残念なことになりかねないところまで来ている。
早く実力をつけなければ。
他人のいやだなぁと思う面を心底に隠して気にしないようにつとめ、
とっさにポジティブな対応をとるようにする、
ということが反射的にできずに、不満ある態度をとるようになってしまった。
ストレスが溜まり、それを他人に相談して表面化させてしまったからなのか。
相談した当初は、相談して、共感を得た快感と、
問題を共有する事ですこし楽になれるところとがあり、
やっぱり一人で抱え込むより、相談するほうが社会人としていいのだと思った。
けれども、問題ができるたび、問題に進展ありなしに関わらず、
すぐに他人に相談ーのつもりで自分ではいるけれど、
他人にとっては愚痴や文句に聞こえているかもしれない。
と思っているうちに、どうやらそれは本当のようで、
友達もあまり聞いてくれなくなった。
上司からの評価もあまりよくなくなった。
とても辛く孤独で、がんばったことは認められずに、
問題の点についてより、私がよくないと一方的に言われ、
私の話は聞いてもらえなくなった。
意見をあおぐと非難ばかり返ってくるので疲れた。
以前は言い回しに気をつかってくれていたけど、
ひどい言い回しで、私を黙らせるまで徹底的に言ってくる。
黙ったら、さっさとどこかへ消えてしまう。
私の抱えていた、会社にとってもよくない問題はそのまま放置だ。
以前の私なら、もっと意見を聞いてもらえただろう。
だけど、今は人の意見をあおげ、言うことを聞けばかり言われる。
どうしてみんなは自分のがんばっているところを認めらないとき、
上司から指摘をうけたら、その場だけでもすぐにはいと言えるのだろう?
自分の思いもわかってほしい、会社のためになるように考えて行動したこと
私より先に入社した、そのやる気がないと自ら言う人も
実は入社したてのころはやる気があったのじゃないかと思う。
上の人たちの指摘の言い回しなどで、
やる気がそがれていったのじゃないかと思う。
もちろん本人のあきらめないやる気回復への取り組みも大事だが、
そんな中でもおかまいなしに冷たい態度を取りつづけることで、
再起不能になったのではないかと思う。
体調不良にしょっちゅうなっているし、
自分の理想像と現実の自分と周りからの冷たい視線で、
あきらめと、ふてくされで生きていくことを見いだしてしまったのかもしれない。
その人は今、会社に貢献していないと感じていると自ら言う一方で、
やる気がないとか、あの仕事(社内案件)はしたくないとか言い、
仕事のことでは自分からは考えないで、
言われた事を言われたとおりにしか行動せず、
これで間違っていないかという相談もなしに、勝手に仕舞いまでしてしまい、
あとから指摘されるとめんどくさそうにするというどうしようもない状態になっている。
私はそうならないように気をつけたい。
やる気回復へ取り組むために、このようにブログを書き、
今回の件を文章にして整理して、感情と切り離してみたりするうちに、
忘れていた自分に非がない点もあったことや、
指摘してきた人の方が落ち度が多かった点などを思い出し、
みんな大変なんだなぁと客観的な視点を取り戻せた。
そして来週がんばれたら初めてネイルサロンに行くというご褒美設定もしてみた。
これは結構前向きになれた。
お昼頃には今日行ってみたいと思っていたけれど、
シミュレーションしてみたら、来週末に来週がんばれたら行けるとした方が、
気分が回復したので、夕方になるころには、
当初購入を予定していたハンドクリームと、
デパ地下でお気に入りのハムを買って帰るだけで済んだ。
そんな自分をすこし好きになれたから、自尊心に回復にもつながってよかった。
ここ数日はだれかに話を聞いて共感を得ることで、
傷を癒そうとしていたけれど、それには限界があって、
自分自身でとことん癒すー傷を自分でペロペロなめるみたいにした方が、
賢いなと思った。
その方が確実に癒えるなと。
ペロペロなめるときみたいに、
自分で加減もわかるし、
相手は本当はこの話聞くのいやがってないかなとか余計なことを考えなくて済む。
余計にストレスを増やさなくて済む。
でもお金かかるよね。
会社に行ってなかった頃は、
とことんお金がかからなかった。
あれ?なんであんなに食費かかってたんだろうとか、
なんであんなに服を探しに街へ出かけることが多かったんだろうとか思ったけど、
会社に行くといろいろストレスがあるから、
自分を癒すために、好きな食べ物を買ってあげたり、
自分がよく見えるようにそのときそのときで必要だと思う服を探したり買ったりして
気を晴らし、自分に自信をつけてあげるようにしていた。
そんな目先のもので自分に自信をつけるのは、
根本的には自信つくことにならないことがわかっていても、
習い事も、本も、交流も大変お金が必要だから、ほしくてもがまんしていた。
人脈を広げるとそれだけ気苦労も増えし、自分を評価する相手が増えることだからコワい。
働きかけても人脈が広がらない=自分に魅力がないということを突きつけられる結果になる。
だから家でDVDを見たり、音楽を聞いたり、料理したり、インターネットをしてる方が
気が楽だった。
本は、買ったら家であんまり読まなかった、家でよく読んだらいまいちだったという
自分のバカさ加減をつきつけられるのがいやで、なかなか買わなかった。
本当はこっからここまで全部くださいと言いたいくらいなのに、
限られているお金で、自分で選んだ本が自分のためにあまりならなかったときの
自分の不甲斐なさを思い知らされるのを警戒した。
習い事はすごく気晴らしになると思うけど、
わかっているとおり毎月お金がかかるので手が出せなかった。
徹底的にそれもやって身になればいいけれど、私の場合は、習い事が徹底的にできるなら、
仕事にしていることも徹底的にできているだろうと、
仕事にしていることに関することに時間とお金を使えよと思い、
でも気晴らしにしたいから仕事と関係ないことがいいと矛盾が生じて、
結局なにもできないままだった。
食べ物や服や入浴剤など目先のもので気晴らししていた。
それにそのときは、まだやりたい仕事につけてなくて、
そのやりたいことに必要なパソコンやソフト、機器などを買うために
お金を貯めていた。
今、ありがたいことに全部集まっている。
貯まったお金で独学し、さらにそれでもやっぱり足りないと感じて学校へも通った。
そしてそれがまかりなりとも仕事となっている。
まだ肩書きだけの実力が不十分の者だけど、
がんばれば大きな仕事ができるところの近くにいる。
というか下手すると大きな仕事は来たけど、
期待に沿えなかったという残念なことになりかねないところまで来ている。
早く実力をつけなければ。