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やる気はどこへ行ったのか?

2012-05-26 23:46:06 | 無題
私はすっかり入社したての、
他人のいやだなぁと思う面を心底に隠して気にしないようにつとめ、
とっさにポジティブな対応をとるようにする、
ということが反射的にできずに、不満ある態度をとるようになってしまった。

ストレスが溜まり、それを他人に相談して表面化させてしまったからなのか。

相談した当初は、相談して、共感を得た快感と、
問題を共有する事ですこし楽になれるところとがあり、
やっぱり一人で抱え込むより、相談するほうが社会人としていいのだと思った。

けれども、問題ができるたび、問題に進展ありなしに関わらず、
すぐに他人に相談ーのつもりで自分ではいるけれど、
他人にとっては愚痴や文句に聞こえているかもしれない。

と思っているうちに、どうやらそれは本当のようで、
友達もあまり聞いてくれなくなった。
上司からの評価もあまりよくなくなった。

とても辛く孤独で、がんばったことは認められずに、
問題の点についてより、私がよくないと一方的に言われ、
私の話は聞いてもらえなくなった。
意見をあおぐと非難ばかり返ってくるので疲れた。
以前は言い回しに気をつかってくれていたけど、
ひどい言い回しで、私を黙らせるまで徹底的に言ってくる。
黙ったら、さっさとどこかへ消えてしまう。

私の抱えていた、会社にとってもよくない問題はそのまま放置だ。


以前の私なら、もっと意見を聞いてもらえただろう。
だけど、今は人の意見をあおげ、言うことを聞けばかり言われる。


どうしてみんなは自分のがんばっているところを認めらないとき、
上司から指摘をうけたら、その場だけでもすぐにはいと言えるのだろう?
自分の思いもわかってほしい、会社のためになるように考えて行動したこと


私より先に入社した、そのやる気がないと自ら言う人も
実は入社したてのころはやる気があったのじゃないかと思う。
上の人たちの指摘の言い回しなどで、
やる気がそがれていったのじゃないかと思う。

もちろん本人のあきらめないやる気回復への取り組みも大事だが、
そんな中でもおかまいなしに冷たい態度を取りつづけることで、
再起不能になったのではないかと思う。
体調不良にしょっちゅうなっているし、
自分の理想像と現実の自分と周りからの冷たい視線で、
あきらめと、ふてくされで生きていくことを見いだしてしまったのかもしれない。
その人は今、会社に貢献していないと感じていると自ら言う一方で、
やる気がないとか、あの仕事(社内案件)はしたくないとか言い、
仕事のことでは自分からは考えないで、
言われた事を言われたとおりにしか行動せず、
これで間違っていないかという相談もなしに、勝手に仕舞いまでしてしまい、
あとから指摘されるとめんどくさそうにするというどうしようもない状態になっている。


私はそうならないように気をつけたい。
やる気回復へ取り組むために、このようにブログを書き、
今回の件を文章にして整理して、感情と切り離してみたりするうちに、
忘れていた自分に非がない点もあったことや、
指摘してきた人の方が落ち度が多かった点などを思い出し、
みんな大変なんだなぁと客観的な視点を取り戻せた。

そして来週がんばれたら初めてネイルサロンに行くというご褒美設定もしてみた。
これは結構前向きになれた。
お昼頃には今日行ってみたいと思っていたけれど、
シミュレーションしてみたら、来週末に来週がんばれたら行けるとした方が、
気分が回復したので、夕方になるころには、
当初購入を予定していたハンドクリームと、
デパ地下でお気に入りのハムを買って帰るだけで済んだ。
そんな自分をすこし好きになれたから、自尊心に回復にもつながってよかった。

ここ数日はだれかに話を聞いて共感を得ることで、
傷を癒そうとしていたけれど、それには限界があって、
自分自身でとことん癒すー傷を自分でペロペロなめるみたいにした方が、
賢いなと思った。
その方が確実に癒えるなと。
ペロペロなめるときみたいに、
自分で加減もわかるし、
相手は本当はこの話聞くのいやがってないかなとか余計なことを考えなくて済む。
余計にストレスを増やさなくて済む。
でもお金かかるよね。

会社に行ってなかった頃は、
とことんお金がかからなかった。
あれ?なんであんなに食費かかってたんだろうとか、
なんであんなに服を探しに街へ出かけることが多かったんだろうとか思ったけど、
会社に行くといろいろストレスがあるから、
自分を癒すために、好きな食べ物を買ってあげたり、
自分がよく見えるようにそのときそのときで必要だと思う服を探したり買ったりして
気を晴らし、自分に自信をつけてあげるようにしていた。
そんな目先のもので自分に自信をつけるのは、
根本的には自信つくことにならないことがわかっていても、
習い事も、本も、交流も大変お金が必要だから、ほしくてもがまんしていた。
人脈を広げるとそれだけ気苦労も増えし、自分を評価する相手が増えることだからコワい。
働きかけても人脈が広がらない=自分に魅力がないということを突きつけられる結果になる。
だから家でDVDを見たり、音楽を聞いたり、料理したり、インターネットをしてる方が
気が楽だった。
本は、買ったら家であんまり読まなかった、家でよく読んだらいまいちだったという
自分のバカさ加減をつきつけられるのがいやで、なかなか買わなかった。
本当はこっからここまで全部くださいと言いたいくらいなのに、
限られているお金で、自分で選んだ本が自分のためにあまりならなかったときの
自分の不甲斐なさを思い知らされるのを警戒した。
習い事はすごく気晴らしになると思うけど、
わかっているとおり毎月お金がかかるので手が出せなかった。
徹底的にそれもやって身になればいいけれど、私の場合は、習い事が徹底的にできるなら、
仕事にしていることも徹底的にできているだろうと、
仕事にしていることに関することに時間とお金を使えよと思い、
でも気晴らしにしたいから仕事と関係ないことがいいと矛盾が生じて、
結局なにもできないままだった。
食べ物や服や入浴剤など目先のもので気晴らししていた。

それにそのときは、まだやりたい仕事につけてなくて、
そのやりたいことに必要なパソコンやソフト、機器などを買うために
お金を貯めていた。
今、ありがたいことに全部集まっている。
貯まったお金で独学し、さらにそれでもやっぱり足りないと感じて学校へも通った。
そしてそれがまかりなりとも仕事となっている。
まだ肩書きだけの実力が不十分の者だけど、
がんばれば大きな仕事ができるところの近くにいる。
というか下手すると大きな仕事は来たけど、
期待に沿えなかったという残念なことになりかねないところまで来ている。
早く実力をつけなければ。

自分と戦う―いやな自分と戦う

2012-05-26 00:23:13 | 無題
自分の心象が悪くなって共感を得たくなっても、
社内の人に共感を求めない方がいい。

1人に言うと他の人にも相談したくなるし、
うまくいったと思ったら
さらに他の人に相談したりしまいには愚痴になってしまう。

本人じゃないと、見えている世界がどんなのかはわからなくて、
聞いてる方からすれば、こうすればいいのにと思うし、
何回もいつも聞かされてると、気持ちのよい話ではないので、
仕舞いにはあなたも悪いよとなる。
得たかった共感は得られないし、あの人文句や口答えが多いとなる。


こういうストレスってどこで発散すればいいのかな。

自分の理想像と現実の自分との食い違い。
できていないのがわかっていて、がんばっててアップアップなのに、
できていないことを他人から指摘を受ける。
まるで気づいていないでしょ的な指摘を受ける。
すべてあなたが悪い的な指摘を受ける。
すみません、そうですね、できてないですねと素直に受け入れる対応を取れるほど、
心に余裕があるといいけど、そんな余裕もないほど苦しんでがんばっているとき。

やり方がえぐい。
根掘り葉掘り聞いてくるから、答えたら、
それに1つ1つ、それは違うと指摘をしてくるという。
そんなの受け入れるキャパがあったら、
もっとパフォーマンスよい仕事してる。

精神的に崩壊寸前で、
だけど冷めた上の方の人達はそんなことに構っている暇はないとばかりに、
話も聞かずに、それは違うと指摘するばかり。
共感やねぎらいの言葉はない。

上の人たちにとって、下の下の人間のできなさ加減ややる気なさ加減までは
めんどうみきれないようで、
できない、やる気もない人たちの評価はそこそこ。
バシッと指摘するわけでもなく、
それがその人の力量として放置しておく。

一人前の口を聞く、できない人と比べれば、できるところが多い人には、
容赦なく、口答えさせないとばかりに指摘し続け、
できない人の分をカバーしたり、教えたりしている点についての評価はない。

でも、できない人ができるようになってもらわないと、
自分の仕事とプレッシャーが増える一方。

会社に直接貢献しない面でもがき苦しみ続けたあげく、
会社に貢献するべき点ができていないことを指摘され、
当初はあんなにその点と向かい合えていたのにと歯がゆく思う。
一緒に働いている人だからと、人材を失わないようにと、
上司の上司にまでは話を上げないように口止めしてきたのに、
この結果。
自分が苦しくなっただけだ。

やっぱり雇われているリーダーと、
雇ってる方のリーダーとでは違うんだな。
雇ってるリーダーの方には、意見も言えないし、
人間関係で悩んだ相談には乗ってもらえないんだな。

転職しても同じようなことが起こりそうで―自分の性格から
似たような経験をした気がして、自分はこうやって周りが見えないで、
理路整然と考えているようで、他人に情をわかすことで、自分を苦しめたり、
自分の立ち場を危うくするのかと思うと。

死ぬことが頭をよぎった。


Facebook女子とかFacebook登録とかSNSとか

2012-05-06 19:26:20 | 無題
なんかの調査結果で、
mixiとFacebookとTwitter使用女性の傾向があった。

Facebook女子は
海外旅行へ行くのが趣味で、
ちょっと高めのブランドを身につける傾向があり、
アウトドア派で行動力があるとあった。

それってFacebookは実名で、
実名で自分のしたこと思ったことをいろいろ晒せる人って、
お金持ちで、高学歴が多いと思う。
全面公開にしている人ほどそうだと思う。
自己顕示欲を満たしてくれて、
そのソースを持ってるということ。

Facebookを活用するには、
まず、載せられるものがなければならない。
実名が晒されているから、祭り状態になったり、非難をうけるようなことは慎むことになる。
すると残るもので発表するものは、自慢になることだ。
今日、こんなもの食べたとか、
どこどこへ行ったとか、
わざわざ他人の目がつくところへ載せるのだから、他の人も経験したようなことじゃ意味がない。
スーパー行ったとかいって、スーパーの写真載せる人はいない。
ブログと違って実名なので、テーマをあえて決めて更新というより、
自分がテーマになる。(もちろん自分の趣味のことだけをアップしてる人もいるだろうが。)

マズローの段階欲求で一番高く、一番満たしにくい、
自己顕示欲、認められたいという欲求を、
写真と文を手軽に一つアップするだけで、
いいね!という、肯定的な意見がもらえる。
いいね!と押す側も別にコメント文を考えることもないし、見たよ程度で押す人もいるから、
特に苦にはならないだろう。

そして、そういう人達の友達同士は、
さくっとした付き合いができるように思う。
ネチネチ考えないで、スマートにおつきあいという一つのライフワークをこなすのだ。
(もちろん中には、いいね!押したのに自分には押してくれないとか、いろいろ考えてしまったり、
また自慢かよとかとかとかで、はらわた煮えくり返ってる人もいるかもしれない。)

それはさておき、登録する時点から自己顕示欲解消ツールになっている。
実名で、学歴、会社、生年月日、住んでいる地域などなどを
入れるところがある。
学校名を入れると同級生とつながれるかもしれないし、
当時は知り合いじゃなかった人と新しい縁ができるきっかけになるかもしれないという期待がある。
と、同時に、同級生以外の人にも学歴をわざわざ晒せるほどかと考えてしまう。
自慢できる高学歴なら、迷わず、むしろ逆に、自分の札とばかりに出すだろう。
自慢できるか微妙だったりすると、出さないと低学歴って勝手に思われるかもとか、
いろんな考えが巡って、結局Facebookへの登録をやめてしまう。

そこからはじまり、
Facebookは自慢したい人達の巣窟なのだ。
高学歴の人はお金持ちが多いという調査結果があることは昔からよくいわれている。
高学歴以上ということで足切りされ、高学歴の人たちが登録する率が上がると、
お金持ちの率も高く、海外旅行へ行ったという投稿は多いにありえるのだ。
海外旅行へ行ったは、いいね!も押されやすい。
だから趣味は海外旅行としておけば、
なにしょっちゅう海外旅行いったこと書いてるのとならない。
実際はもっと日常的に行っていることが仕事以外にあるかもしれない。
海外旅行が趣味なんて、そりゃぁたいそうな趣味だと思う。
日々楽しみにやることではなく、パーッと遊んでくることが趣味とはね。
しかも困ったことに、
旅行を計画してーとかのくだりがあるから、そこがスキルあって自分すごい的な節がある。
いろんな欲を一気に叶えてくれるのが海外旅行なのだ。
裕福と思われたい
行動派な自分ステキ
ツアーで行かない、自分でしたいようにする、計画立てられる自分ステキ
おしゃれなところにいる自分ステキ
いろんな体験を積む自分ステキ
こんな幸せな私を見て
見られてもっと幸せ
いいね!っていわれてもっと幸せ


自分も幸せを目指したいし、
写真を共有するためとか、どうしてるかわからないじゃないですかとかで、
登録してくださいよとか言われて、
始めてみたいなと思うけど、
やっぱり最初のいろいろと自分のデータを登録する項目で、いろいろ考えてやめてしまう。


現実でも、なにも知られていない状態の私の方が、社会に受け入れられてるし、評価も得られてる。
0からだから現在の自分を見て、評価される。
そして自分でもそう思えるから、精神衛生上たいへんよい。
もしデータを晒していたら、~だからだと思われてるとか、変に勘ぐって疲れてしまうし、
実際、データを素にふと浮かんだ、感じた考えを正当化させることは行われている事だし、
言われたこともある。
~学校卒だから、~学校卒なのに、~歳だから、~歳なのに。
いわゆる、男の子なんだから、女の子なんだから的なところで、
評価の軸がそっちにいってしまうのだ。
接し方もそれに沿って変わってしまう。

そんなのいやだ。
そして、めんどくさい。


ブログ→mixi→Facebook、Twitterと来て、
またFacebookやTwitterが下火になることがあるのだろうか。
そうしたら、アップした写真とかを移動させるの面倒だし、
そういう流れに振り回されるのもいやだ。
今だって、Facebookの仕様変更にいい大人が振り回されてるを横から見てるのに。

登録してからのよい未来が現実味もって描けない。
むしろ逆に、昔の知人ーいじめてられた苦手な人に絡まれたり、
苦手な人に友達申請されていやだという思いをするだけで、
ステキライフを送れる気がしない。
メールとかなら、フェードアウトできるけど、
Facebookはそういうことできないからいやだ。
そして、だれが閲覧してるのか、してないのか分からないからイヤだ。
ぜんぜん知らない人に見られるならまだよくて、
知ってる人が閲覧したのに、そのことは自分は知らないとか。
他人が、他でほくそえむみたいな感じで気持ちが悪い。

実際、昨日お茶をした女友達が、好きな人に返信するしないで騒いでいて、
相手のFacebookを見て、~ってコメントしてる、落ち込んでるのかなぁ
とか言ってるのを目の前で見た。
そういうふうに相手に直接言わないけど、
公共の場で、うさばらしなのかなんなのか本音を言っちゃうみたいな、
気分よくないことに巻き込まれるのもイヤだ。
わざとそうする人もいるだろうし。
本人には言えないけど、気づいてほしくて、ネットでそれを示唆することを言うような。

それって見てしまった本人側にとっては、ショックが大きいし、
どうしたらいいか分からないだけだ。
弁解や意見の場も与えられずに、相手の欲求を飲むしかないのかとか、
肯定的だったのに実はそうだったのかという裏切られた感じとか、
見なかったことにするという、味の悪い行動を自分のために取らなきゃいけないのかとか、
はっきりさせるために、見たんだけどという直接対話をしかけるにしても、普段いい人だから、
なんと言ったらいいのか、逆にショックを与えないかとか。
そもそも、いったい、どういうつもりなのかとか。
この公共の場で、陰口を叩くという状態、なんなのかとか。
モヤモヤばかり増していく。



趣味に対するいいわけ

2012-05-06 17:50:53 | 無題
よく趣味を見つけるといいという。
その通りだと思う。
でも私にはジレンマがある。
趣味の先に人と繋がれるかもという欲求や期待があって、
それを得なかったときに、それでもその趣味を充実したものとして、
フラストレーションが溜まらずにやっていけるのかと。

反対に、
熱中できる趣味ができて、
自分よりスキルがある人や、詳しい人が現れた時、
ついていけない感や、ライバル心から張り合って、
相手とは仲良くなれないという状況に陥らないかと。

そんな体験をしたことがあるから、
趣味を公言して、仲間をつくってっていうのができない。
一人でやって、写真とか撮っても、大して人に見せることもなく終わる。
一人でできる趣味ばかりだし、
複数人でも可能なことでも一人でこなしてしまう。
一人でやった自分すごい的なところがあるから、男の人には引かれてしまうし。
自分はめんどくさい人間だ。

自分の気持ちの流れがめんどくさくて、自分をやめたくなるときがある。
気が強い言動に出るのに、ショックを受けやすくて困る。
気が強いからなんでも言ってくると思いきや、
急にこう思われてたらどうしようとか、傷つけたらどうしようとか相手の気持ちを汲み取ろうとしだすから、めんどくさい。

気が強いし、一人でも大丈夫そうだから、ほおっておくし、なんならたまに関わりたくないと思うときもあるし、イヤなことや要望があったら言ってくるだろうと思うのに、
急になんにも言わなくなるし、なんなら避けだすし、ちょうどいいやと思ってると、すごい思い悩んでる話されるし、助けてあげると、一人でも大丈夫だ、仕事ができないわけじゃないみたいに強がるし、なんならにらまれるし、もう知らない疲れたと思う。
―だろうなって、思うんだ。他人も私と関わるなんてめんどくさいと思ってるだろうなって。


映画見るのが結構楽しい。
期待したような、人との馴れ合いがあって、
映画の中でしかないような爽快なストーリーが繰り広げられる。
登場人物の影でがんばってるところも見れるから、同調できるし。
影でがんばってるのに、見れる状態なんだよ。
こんなの現実じゃ、ありえないよね。
たまたま目撃とかならありえるし、聞いたことならあるけど、
それって策士かもしれないし、策士と思われるかもしれないということで、
必死にがんばってるところは隠すから、結構ちゃんと隠れて見えない。
がんばってるところを隠すことは、抜け目なくできる。
抜け目があったときは、それはどこかで、気づいてほしいなってときだ。
がんばってる自分見てほしいみたいな。

前の記事で自分は影響されやすいって書いたけど、
映画を見て、俳優さんの仕草に影響されていつの間にか取り入れてると、
それって現実では、変に写るんじゃないかなと思うし、
こうしてこの流れっていうのが頭にあるのに、
そうならないと、あれ?おかしいなみたいなフラストレーションが起きる気がする。
そうしていつの間にか余計なストレスを抱えこむような。

ここ1年、メディアを見てなかったから、なんにも影響されないでいたんだけど、
そうしたら、目の前の相手の反応をよく見るようになった。
前から見てたけど、自分の欲求をそれでも押し付けるっていうことがなくなった。
歩調を合わせながら、探りながら、欲求を出してもいいのか、下げた方がいいのかみたいな。
1年くらい前からそういう人に何人か出合ったんだ。
それですごいなぁって思って。
そういう人といると気持ちいいし、できた人なんだなぁって尊敬もする。
だから、そういう人になりたいなぁって思った。

それでなれた、なれかけてたんだけど、
自分のキャパいっぱいになったり、好きな人でできたりが重なると、
あっという間に、溺れたようになって、私のイメージは崩れさった。

好きな人ができる=強い欲求
自分のキャパいっぱいになること=自分がイメージする状態にすぐもっていけてない早く持っていきたいという欲求

解消されない欲求がかさなると、自分で気持ちをうまくコントロールできなくなる。
気持ちをコントロールできないと、行動や言動もうまくコントロールでいなくなって、
相手をよく見れなくなる。
見れても、あなたは私の欲求を解消してくれないでしょと(実際、頭でそう思ってなくても)
攻撃的な態度になってしまう。
まったくヒドい状態だ。
そんな自分にまた失望する。
そして落ち込む。

一度崩れ去ったイメージを、また持ってもらうなんて難しく、たいへん根気づよい時間がいる。
今、どうやって素敵な人のイメージを再構築するか、作戦会議中だ。


今観たい映画3選
・メイン・イン・ブラック3 3D版
・ホタルノヒカリ
・テロマエロマエ

悩みごとが多くて困る

2012-05-06 15:36:29 | 無題
悩みごとが多くて困る。

悩みごとというより、心配事のような気もする。


悩みごと
◯気のそこそこ合う人、気の知れた人と、高原か森へ行きたいけど、
◯相変わらず人付き合いが苦手

誘える人がいないわけじゃないけど、いつもその人っていうのも悪いし。
人付き合いって偏りがない方が、それぞれうまくいきなっていうのは経験で分かった済み。

だから、気の知れた人を増やしたいんだけど、
ここ半年で、そんな友達候補が4人消えた。
ちょっと距離置いてつき合う方がいいなぁとか、
いつ合っても愚痴ばっかりだなぁとか、
そのくせ私の話はあんまり聞いてないなぁとか、
同調しない、されないなぁとか。

それにここ最近わかった。
私って結構、影響されやすい。
前は、我が道を行くってタイプだと思ってたし、周りからもそう言われてきた。
でも、つき合う友達とか、見るドラマ、アニメ、映画、テレビ番組とかによって、
自分のカッコのつけ方が変わって来てると思った。

最近テレビをほとんど見なくなったから、
おもしろいこと言って笑わせたいみたいな、
他人の都合を考えないでどんどん話かけたりする病的なところが直ったし、
そのことで、一つ悩みがなくなった気がする。
他の人のバカにしたボケにノらなくてもいいし、ノリツッコミやツッコミする必要ない。
疲れるし、相手が調子に乗ると、ギャグって分かってても嫌な気分になる。
私もそういう傷つけ方したくないって恐くなった。
そういう人たちといると、なんかのときにおかえし(いい意味でも悪い意味でも。)
したくなって、自分まで同レベルの人を傷つける人になってしまう。
だから、そういう人とはつき合わない。

それで2人気の知れた仲になれそうだった候補だった人がなくなった。

他に別々に2名知り合いがいて、よくお茶したり、美術館行ったりしてたけど、
いろいろとあったみたいで、心の傷が癒えてないみたいだし、
一人は病院に通いだした。
私自身も本当は病院行った方がいいんじゃないかってところがあるし、
すごくいつも頼りたい気分になることがあって、
自分を癒したり、自分をシャンとさせることに精いっぱいだ。
そんな人たちに自分の悩みや、ただ聞いてほしいことの話をするのはためらいが
いつも生じるし、しても私が癒される反応は得られないし、
私もそいうことあったとか、私の方が辛いことあった的な話とか、
分かった口でそういうことは気にしないことだよとか、
話してる最中は手遊びしたり、違うとこみてたりで聞いてないって感じで、
愚痴や悩みはいっぱい聞かされるし、勝手にうらやましがられたりで、
逆に疲れる。
ただ単に周りの環境の違いとかだと思うし、悪い人たちじゃないと思う。
そう思うから、私は勝手に気をつかって、疲れる(接待疲れみたいな)。
だから距離を置いた。

それでここ半年で、4人の人と縁を切る訳じゃないけど、
自分から誘ったり、メールしたり、働きかけるのをやめた。
メール来たら返すし、誘われて本当に自分本位にして都合がよかったら乗る。


愚痴や悩みを聞くのってスキルがいると思う。
聞いてほしい立ち場としては、期待してる反応がいくつかパターンあると思う。
◯ただ、うんうんと聞いてもらうと快適な気分になる
◯同調してもらうと快適な気分になる
◯肯定してもらうと快適な気分になる
◯個人的にその人の意見が本当にほしい
◯一般的にまともな意見が知りたい
◯自分で選びそうになってる方を勇気づけてほしい
◯同じような体験をしている話をされると、同士を見つけた気分でがんばれる気がする

聞いてる立ち場としては、
◯どれをを求めているのか冷静に見極める
◯ちゃんと聞いてる態度をとる
◯結局それって悩みのように見えて、現状維持しかないじゃんというようなもともこもない話でも、
聞いてあげる
→話たくなるってことは、キャパオーバーで心配事があふれだして自分で抱えきれないから、
解決はしなくても、解決できるようなことじゃないくても
とりあえず聞いてほしいという状況がある。
◯聞いたことを他言しない、この人は他言しないだろうと信頼できる存在
→話したあとに、他言された、されたかも、愚痴を話されたと他で愚痴られてるかもと思うと、
余計心配事が増えたり、立ち場が危うくなったりして、
話すんじゃなかったというジレンマに陥る。
◯おせっかいやきすぎない
→イヤなことは忘れて楽しめてる時間や、もう終わったことかもしれない。


私の友達で、悩みごと、愚痴を聞くスキルが高い人がいる。
すごいなぁって思う。
でも、その人だけだよりになったら、いくらその人でも疲れちゃうと思うんだ。
そうしたら疎遠になっちゃう。
気も合う人だから長くつき合えたらなって思うけど、
来年には遠くへ引っ越しちゃう。
そういうこともあって、気の合う、気の知れた人を他に探しているけど、
難しいんだなぁって、ひさしぶりに感じたーというか、難しいことなんだったって思い出した。