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生きているのか

2013-05-26 15:58:14 | 無題
昨日は楽しかった。

普段友達に話せないような話

ー転職中なんてことは

友達にだって、言っていない。

家族にだって今どうしているかは言えていない。

―だけど昨日はその人に転職中だということを話せたし、

それより過去のことも話せた。

大学卒業してからの私の経歴は、

とても世間的にほめられたものではなくて、

面接以外で人に話したことがなかった。



そんな私はもう既にあっぷあっぷに孤独を感じていて、

今後の職歴についてやライフプランについてなどなど、

誰かに相談したかった。

それでも誰にも言い出せずに、

1人明かりを求めて暗いところを手探りしている感じだった。

気づかないフリをして来たけれど、

自分に正直になると、限界だった。


このまま誰にも話せずに、

―話して、なんだと離れていかれるのがコワい。

今まで少なからず私にいい幻想を抱いて仲よくしてくださった方達がいる。

きっと今もそういう人がいるだろう、それでも友達、知り合いは少なくて。


誰を頼ることもできずに、

―この褒められない過去や、打開できていない現状(転職できていない)に、

心を開いて側に寄り添ってくれる人がいるとは、

思えないのだ。


周りにはいっぱい、支えあい愛し合う人達を見かけるのに

―アルバイトでも転職中でも支えてくれる人が側にいるということ。

私はそんな経験が家族からだってないからか、

自分にはそういう人が現れる気がしないし、

どうしたらそういうことになるのかもわからない。

自立できていない人にそれでも寄り添ってくれるという構図が、

私にはとてもうらやましいことであり、

それでも私には到底なし得ないのだと、

自分の価値のなさに打ちのめされる気分だ。


誰と苦楽を共にすることもできずに、

このまま一体どのように最後を向かえるのかと、

そして最後を迎えられるのかと、

近所のオールドミスや、

未婚のまま立派な一軒家で華道の先生をして一生を終えた親戚のおばさんに

思いを馳せては、

遠くなった気を取り戻してきて、

それでもどうすることもできない自分に

万策尽きて途方にくれていた。


もう随分できるだけのことはしたのだ。

可愛く見えるように身だしなみに気を使ったり、

メイクを研究したり―これは結構効果があって、

少しは男性に優しくしてもらえるようになった。

お世辞かもしれないけど、かわいいですねと言われたのは嬉しかった。

女の子らしい言葉遣いや仕草を心がけたり、

―これも上に同じ。最近はもうそんな年じゃなくなっていることが悩みだ。

どうすればいい?


性格を改善できるようにも努力した。

本をいぱい読んだりして、自分の心をある程度できるようにもなった。

これからもそれはがんばっていくけれど

それも限界がやっぱりあるのか。



あとできることというと、

やはりスキルを伸ばすこと以外に、

人から魅力的で価値ある人、慕っていたい人、大事にしたい人と思われる方法が

思いつかない。

魅力ある素質がある人がうらやましい。

容姿もそうだし、受け応え、自分の気持ちの伝え方などなど。


でも最近はもうあきらめてる。



お世辞でも社交辞令でも、かわいいですねと言ってもらえるところまできたのは、

私にとって大きな1歩でも2歩でもあった。

だけどそれ以上のことはいかない。

デートも誘われないし、

気軽になにかに誘われるということも滅多にない。

いまだにつき合ったと言えるような人にもめぐり合えていない。


女友達もそうだ。

憧れていますとかおしゃれさんですねとか言って最初は慕ってくれるけど、

やっぱり抱いていたイメージとは違うダメダメなところを知られてしまうと、

疎遠になる。

そのイメージを崩さないようにと、悩みや心のうちを出さずにつきあっていくのも

限界があるし、そんなつき合いはもういやだ。



受入れてもらえなくてもいいかなと思い始めている。

そうなると社会にも入っていかないことになる。

すると私はどうなるのか。


そんなことを思えるのは、まだ生きるだけのお金があるからだ。

貯金がつきてきたら、

私は1年半前のときのように

自分が驚く程、自分で制御できなくなって=鬱になって

自殺を考えるのかもしれない。

自分は必要とされていないという概念が頭の中を埋め尽くして、

体が重たくなって、不安をあれやこれやと考えたり、

どうやって死ぬかということをばかりを考える。

夕方頃に気分がよくなって、なんでもなくなり、

夜少し活動できると夜中になってやっと眠りにつき、

悪夢を見て、朝方うなされながら起きる。

目覚めの悪い朝が来て、体が重たく―これの繰り返しだ。



今はそんなことはない。

毎日規則正しく起きて、朝からはつらつとしている。

転職に向けてできることをできるだけしている。



病院に行くにもカウンセリングを受けるにも、

お金がないと相手にしてくれなかった。

以前からある心の中の不安定な要素と折り重なって、

お金が底をつきかけているからこういう状態なのだ。

そう気づいた。

お金があれば、また自殺まで考えるほどにはならないだろう、

少なくともカウンセリングは受けられる

そう思ってもうアルバイトでもなんでもいいやと転職活動をはじめて、

たまたまいい経験をさせてもらえる職が見つかったのがよかった。

逆転して、未来に希望と目標を現実的もちながら、

バリバリ働いたのはたのしかった。

”生きている”という感じがした。

以前働いていたときにも感じたことがないことだった。


でもそんな職場も1年で消えてしまった。

夢のようだと思った矢先、本当に夢だったかのように消えてしまった。

一緒に働いていた人の一部の人とSNS上でつながりはある。

退職してから社会と切り離され、

バリバリ働いていたころの前向きな感覚を忘れるのがこわくて、

忘れたくなくて、尊敬していた人たちに申請を出した。


それでも今はもうただSNS上でつながっているだけの関係というのを、

まじまじと感じている。

現実味がない繋がりだ。

いつかまた話す機会があるのだろうか?

メルアドを知っているだけの仲のように、

やっぱりなにもなく何年も何十年も過ぎるだけなのか。

近況というより、最近はシェアやいいねしましたばかりが流れてくる。

会社でどんなことをやって、今どんな目標があって、

どんなことを勉強したり挑戦したり、

休日どんな風にすごしているかなんて、

ぜんぜん知り得ない。

つまりその人のアイデンティティが見えて来ないのだ。


一緒に働いていたときとは違う、外部感。

もう関係ない、関われない人なのだろうか。

信頼と尊敬を抱いていた人たちだけあって、その分悲しいし、

なんだか現実味がない。




私は、ふわ~、宇宙へ飛んでいって、宇宙の果てへ行ってしまうのだろうか。





バンドを終えて

2013-05-26 14:52:40 | 無題
昨日初めてバンドに参加した。


参加したっていっても、練習でだけど。

それでわかったことは、

やっぱり好きな音楽が合わないと一生懸命なところまではがんばれないってこと。


音楽全般好きだけど、

やっぱり音を出すなら、

普段自分が聴いていて楽しいなって思える曲じゃないと、

どこか無理が生じてくる。


転職活動中で他にやることで埋まっていた私は

ほとんど準備できないでいった。

一番まずかったのは、

課題曲を聞き込んでいなかったこと。

せめてそれくらいはできた。

でも私の携帯音楽プレイヤーは先週壊れてしまって。

移動時間の合間に聴くということもできなかった。


年代の違う人たちとのずれ。

初めて聴いた曲ばかりだった。

雰囲気はわかっていたけど、

私にとって気分がノルような曲ではなかったから、

聴くとなると集中して聴かなければならなかった。


ほとんど弾けない、本当に誰も見つからなかったときの

補欠要員でお願いしますといって申し出た。


私は本当に弾けなかった。

簡単な曲が少し慣れて、リズムにのって弾けるようになったと思っていた矢先、

ギターの人にもっと簡単な和音でいいとか、

裏乗りだよとリズムが間違っていることを指摘された。

そのあとなおしたつもりだけど、

音の聴こえ方は言われる前と変っていなかった。

なおせていないのか、最初から本当は裏でリズムが取れていたのかわからないけど、

そのあとも間違っていたのに言わないでいてくれたのなら―

どちらにせよ気まずかった。


終わったあと、

打ち合せと称してごはんと飲みにいった。


お酒は苦手だ。

でもみんな楽しい人たちで、

なによりもその募集を募った人が、

2年前に一緒に学机を共にした人だったから、

ひさしぶりにお話したくて、ついていった。


本当は練習のときから消えてしまいたい気分で、

途中ですみませんといって帰ろうかとも思っていた。


でもこんな機会でないと、なかなかそんなひさしぶりの人

―しかも年が離れた人だから

ご一緒する機会もないだろうと、

私は苦手なタバコの中、2件目もご一緒した。


すごく楽しくて、

最初はできなくても大丈夫だよとみなさん優しい言葉をかけてくれた。



でもやっぱり平気ではなかった。

すごく咳き込んでしまった。

帰るころには全身が痒くなっていて、

タバコの煙に巻かれたときにいつも出るミミズ腫れのようなものも出ていた。


でもタバコ苦手なのでーとはみんなの前で言い出せなかった。

すごく楽しそうだし、

楽器も下手で、あまりにも下手だから難しい曲では歌ってと言われたけど、

聴き込んでこなかったその初めて聴く洋楽は、

練習中に4回も聴かせてもらったのに、歌えもしなかった私に、

練習中も楽しみの一環として吸うタバコをやめてほしいなんて

言える勇気が沸いて来ない。言えなかった。

私のためにみんなががまんするなんて。


私がバンドをやめた方がいいと思った。


やめる理由はタバコだけど、

他にも実際にやってみて思うことがあった。



音楽は普段聴いている曲をやった方がより楽しいかも。

音楽の方向性の違いっていうけど、

やっぱりそういうのあるんだなぁと思った。

方向性違いっていうほどずれていたわけじゃないのに、

それでもあまりにも普段聴かない曲で、

自分がキャッチーに感じてのれる曲じゃないと、

長くやっていく上で無理が生じるなと思った。

これをずっとやっていくんじゃつまらない。


でもやっぱりタバコがなかったら、

捉え方も違ったのかな。


それでもやっぱり誘ってくれた人意外の人達は、

なんで来たの?という感じがたまに見てとれて、

大変申し訳ないなという気持ちと、

消えてしまいたい気持ちが先行して、

どんなに大丈夫だよゆっくりやっていけばと言われても、

続けていく気持ちが沸かなくなった。


みんなもう既にだいたい演奏できて、

おかしなところなんてなかった。

ベース、ギター、ドラムだけで成立していたし、

課題曲自体元々キーボードがない曲だった。

それでも募集を募った人はおしゃれバンドなるものをやっていきたいということで、

それにはどうしてもキーボードがいるのだとか。

レベルが違いすぎる上に、

足手まといだと感じているというのが少なからず伝わってきたし、

それでも必死にがんばっていきたいというほど、

そのみんなが共通して好きな曲が、私にはそんなに熱中するものでなくて、

練習中も、

これだったら1人で黙々と作業している方が楽しい。

そう思った。


自分でも驚いたのが、

帰って来てパソコンを広げ。

気が向いてちょっとデザイン関係の手直しをやったことだ。

楽しかった。

コレだよ。―そう思った。

そこで私はハッとした。

楽しい。1人で、だれにも迷惑をかけずに

クリエイティブに向かうという作業。

これだったんだ。


バンドセッションもそれなりに楽しいものだった。

でも私は、

自分が思う程心が頑丈でないことを知った。

人に迷惑がかかっていないか、

みんなの顔色、

タバコで自分の体が保たない、

そこまで好きになれない曲、

そんなちょっとしたことが重なって、

私には重荷になるのだった。


転職活動中の私は、

社会と接点がなくなりつつあった。

このままじゃいけないなぁと思っていた矢先、

募集がタイムラインに流れて来た。

ひさしぶりに会いたい人からだった。

私は人恋しかった。

なによりその方が、私にとって特別な時期や空間、集まりを共にした人だった。

学友というか。

自分が自分らしく出せる人の数少ない内の人の一人だった。


だから体的には無理をして、

くっついていってしまった。


飲みながら、小さい頃習っていたのはクラシックピアノだった話になった。

ジャズはやらないの?と聞かれて、

そうだ!と思った。

私はジャズが弾けるようになったら楽しそうだなぁと強く思っていたことがあったのだ。

ジャズやボサノバが好きでよく視聴もしていた。

即興で気持ちのいいメロディーを弾くってどんな感じだろう?

いいなぁと思っていた。


そうでなくても最近、会社に通いながらでも通いやすいピアノのレッスンの広告を

ネットで見かけて、

就職できたらここでピアノを習おうかなと思っていた。

そこは他の楽器の人とセッションする機会もあるようだった。

それでそういう発表会もあったらいいなぁと思っていた。


そうだ―私はまず黙々と自分でなし得るになろうと思っていたんだった。

質問をされたときそれを思い出して、

自分が今少し無理をしていることに気づいた。


家で録音して歌った音源をアップするのもやってみたい。

そういうのもあった。

音楽に対しては、まだまだ1人で挑戦してみたい課題がたくさんあったのだ。

みんなの足をひっぱったり、

目の前で恥をかきながら、

気まずい思いをして役に立てないことを重にに感じる必要のない、

そんなジャンルが私は。


私はマイペースが一番なのだ―…


小学校の通信簿のコメントの欄に、

マイペースですと書かれたことを思い出した。

結局そういうことなのだ。

それがよいことなのかわるいことなのかは、

人によって違うだろうけど。

原点はマイペースで。


マイペースできることが、

植物が水を得て風に靡くように、

私にとって自然でいれる状態なのだ。


それがバンドに参加してみてわかったことです。






ピアノーバンドを終えて綴る

2013-05-26 11:57:02 | 無題
私は幼稚園に入る前に引っ越して、

そこの近所の同じ年の男の子のお母さんが、音大を出ていて、

自宅でピアノのレッスンをしていた。


母が誘われて、ピアノならう?と聞かれて、うんと答えたんだったと思う。

それから毎日30分練習して、毎週ピアノのレッスンに通った。

通ったといっても、1分もない目と鼻と先だったから、通いやすかった。

幼馴染み(慶應の子とは別の)男の子のお母さんだったけれど、

毎回緊張した。少し厳しい雰囲気のある綺麗なお母さんだったからだ。

普通に普段、その子の家に遊びに行くときもあるのに。


表現力があると先生に言われたと母は言っていた。

素質があるとかじゃなくて、表現力という一部分で抽象的なその言葉に、

私は嬉しいような、歯がゆいような、首をかしげた。

それってどういうこと?と。

肯定的な言葉というのは分かったから、その面では嬉しかった。

でも今思うと、先生も商売し近所のお母さん同士なんだから、

続けさせる言葉か、お世辞として言ったのかもしれない。


音大に行けるようなレッスンはしなかったからだ。

聴音も少しだけ。

聴音が残念なこと

作曲できるような手だてもおしえてくれなかったし、

初見でさっと弾けるようになる訓練も―ましてや初見で大まかに弾けるようになるという

項目があることさえ知らなかった。

(でもそれができるとピアニストとして、どんな場面でも大変有利なのだ。)

なにか期待されていたような課題はなかった。



発表会では暗譜をしなければいけなかった。

私は1、2ヶ月程で先生が選んだ曲を暗譜した。

すると先生が、

「もう暗譜できてしまったの?」と言うので、

まだ完璧に弾ける訳ではないと(ミスタッチをするし)

「いやぁ・・・。」というと、

「暗譜できてしまったわね。」と言って、

もう一曲弾けるかもと新しい曲を用意してくれるのだ。

私はええ!?と驚いた。

まず、暗譜が早いというのがわからなかった。

みんなもこれくらいだろうし、

もっとできる人(同じレッスンに通う他の人)は

もう暗譜できているのだろうと思っていたからだ。

そして発表会1ヶ月前なのに、

もう1曲足す、足せるという先生の判断もどうかしてるんじゃないのかと思った。

弾きこなせるとも思えないし、

1曲目をやっと覚えて、これからもっとミスタッチをなくしたり、

表現力豊かに弾けるように練習しなければと思っていたところなのに。



表現力ーこれが私には不思議だった。

テレビやコンサート、世に出ている曲は表現力豊かに、

こちらの感情までも同調させるほどなのに、

私や、同じくレッスンに通う子たちの演奏はなぜ、

あんな風にならないのか?と。

毎回出された課題の曲を

なんとか感情的になるように弾こうとするのに、

喜びも悲しみも怒りや荒々しさも、

やはりどこかつたない、幼い子が弾くそれになってしまうのだ。

ピアノをはじめたばかりの大人とも同じく。



感情を込めるというのは、

本当に自分がそういう気持ちになって弾けばできるのではなく、

技巧的にどういう風にすれば、

その感情に聴こえるのかということを研究したり、知って、

それを自由に操れるようになる練習が必要なのだった。

―ということを、もう大学を卒業して

1人で歌の練習をしているときに分かった事だった。

この幼い頃に知っていたら、知らせてくれていれば、

音楽の取り組みが、どんなにか違ったことだろう。

意外なことに誰もそれを教えてくれなかったし、

世の中の音楽を享受している本やサイトやテレビでも、

この一番大事なことをいっていないのだ。



私は楽譜を瞬時に読んで、どんなメロディーかわかるわわけではかった。

簡単な練習用のメロディーなら、

この音符はこの長さだから、タ~ン、タンだなといったおぼつかない感じながら、

練習しながらできたが、

伴奏とメロディーが込み合った曲だと、

メロディーがあっているのか不安で、

レッスンの最初に先生が1、2度弾いてくれるときにメロディーを覚えた。

キャッチーな曲ばかりだったからか、

今思えばよく覚えたなと思う。


帰って来て楽譜をまじまじと見ると、

あのフレーズはこの音符の並びだったのかぁと、

予想と違うことが多くて驚き、

また、脳内のメロディーや音と、楽譜上での記号との一致してなさ加減に、

自分にその道の才能がないのだなと思ったものだった。


脳内のメロディーが、楽譜に置き換えられ、瞬時に弾けたら、

また楽譜を瞬時に読み取って、パソコンでブラインドタッチできるように、

ピアノも弾けたら、

どんなに楽しいことだろう。








私と合奏と指揮者ーバンドを終えて綴る

2013-05-26 02:55:51 | 無題
小学校~高校のとき、行事で複数人で音楽をやる機会があった。


小学校

運動会の鼓笛隊

―他の楽器がいっぱいあるのに、なぜか音楽の授業でも吹けるピアニカをやった。

実は指揮者がやりたっかったけど、先生が選んでくれなくて3年間ともできなかった。


他の部活と唯一掛け持ちすることができた合唱部の合唱コンクール。

ー私はメゾソプラノパート。

募集は締め切っていたけど、本当はどうしても入ってみたくて、でも、

音楽の先生がコワい先生で、ひっこみじあんに申告できずにいた。

顔見知りやクラスメートの男の子も何人か入部しているのを知って、

どうしても入りたくなった。

私でも驚くけど、先生がコワいのでその男子に頼んで、

入部志願に一緒に行ってもらった。

それくらいどうしても入りたかったのだ。

「私も入りたいんだけど・・・。」そういった私に男子は、

「え!?ダメだよ。もう練習(期間)はじまちゃってるし。」

「う~・・お願い!」

「もう・・しょうがないjなぁ。じゃぁ、先生に言ってみれば。」

「一緒に行って~。」

もうしょうがないなぁという感じに、練習に行くときに一緒についていって、

先生のところまで行って口利きをしてくれた、その男子2名には、

今でも感謝している。きっと本人たちはもう覚えてないだろうけど。

ソロパートはもらえなかったし、

先生には指導受けるばかりで褒められなかったけど、

赤いベレー棒をかぶって出たコンクールはいい思い出になった。

男子が参加していたということもすごいことだと思う。




音楽の授業でグループをつくってセッション。

―ツルの恩返しだったか、私のアイディアがすごく音楽の先生に褒められた。嬉しかった。



卒業生を送る会でのクラスの出し物として合奏団。

―指揮者をやった。

立候補してジャンケンで勝ったのだ。




中学校

毎年クラス対抗で合唱コンクールがあった。

―私は1年と3年、課題曲か選曲どちらかの指揮者。歌うときはメゾソプラノ。

これも立候補。2年のときはじゃんけんに負けてしまった。

1、3年は優勝して、2年は3位入賞もできなかった。

クラス替えは毎年あるから、私が指揮者だと優勝すると思って、

誰もそんなこと気づいていないし思ってないだろうけどと、私は一人密かに鼻が高かった。



なぜ指揮者が大事か。

それを知ったのがちょうど指揮者をはじめる前のときだった。

それまでは指揮者って必要かな?とか、

いろんな動きをして決まりがないけど、指揮の上手い下手ってなにで決まるのかな?とか、

他の人も思う普通の疑問と指揮者に対するズルい的な感情を持っていた。

でもきっとなにかあるんだ。―そう思っていたある日、

クラシックの好きな曲を連続でオーケストラ違いのを聴いていた。

すると、これ好きと思っていたフレーズが、

まったく違ってー違う感情だったり、盛り上がり具合が違ったりして、

いまいちと感じたのだ。


よいと思った盤の演奏者名を見た。

オーケストラ名と指揮者の名前、

それが有名なオーケストラと、小沢征爾だったのだ。

イージリスニングなどに入っていた同曲は、

先のそれと比べて盛り上がりに欠けたり、抑揚が足りなかったりして、

感情の盛り上がりやゆさびられ加減が違ったのだ。

他にも聴きくらべた。

同オーケストラで、違う指揮者のもの。

するとやはり違うのだ。同じ曲なのに。


それで私は知った。

指揮者が違うと、曲のできばえが変る。

私はきっとそうなんじゃないかと思っていたことが、

はっきりと偶然にも自分に証明され、

そして憧れていた指揮者に、はったりではなく間違いなく憧れる要素があることを知って、

嬉しかった。



中学の音楽の授業の記憶があまりない。

1年の授業のはじめに、さっそく1人ずつ前でリコーダーをワンフレーズずつ

吹かなければいけないのが緊張したということと、

3年の夏休み明けに、

何人でも何でもいいのでなにかを前に出て演奏するという課題があったことくらいだ。

ピアノですばらしい演奏を見せる者、

何人かでセッションする者、

ペアで演奏する者がいる中で、

私は誘う友達もいなくて、

1人で「星に願いを」をリコーダーで吹いた。

―小さい頃にピアノを習っていたから、音楽に対して少なからずこだわりがあることと、

それなのに自分がそれほど楽器を演奏できないこと、

誘った相手の方がうまくて自分は気まずい感じになったらやなこと(負けず嫌い)

誰かと夏休み中に合わせたりするためのやりとりがめんどくさかったこともあって、

1人でいいやとも思っていた。いろいろめんどくさかったのだ。


緊張で、か細くそれでいて確かに音が出て、慎重に演奏することとなった私の「星に願いを」は、

クラスの人たちに、”きれい”と聴こえたようだった。

無記名で全員が評価欄と感想メモををつけて演奏者に渡すのも授業の一環だった。

感想の欄に”きれいだった”と書いてあるもの多くて、

私は感動した。

―中には”感動した”と書いてあるものもあった。

私はいつもクラスではアウェイなのに。

私が緊張していたのを見抜いた友達はがんばったねと感想をくれた。

無記名が原則なのに名前を書いてくれていた。


私はほっこりして嬉しかった。

私にいつも冷たいクラスが無記名のそれでは、そのような感想をくれた。

夏休み中にがんばって練習した甲斐があったなと充実感の嬉しさもあった。

人に演奏でなにかを届けられたのも嬉しかった。


私はそれまで自分の歌や演奏で、人の感情を動かせたことがなかった。

ピアノを習って発表会で弾くまで至っても、

感動したとか、きれいとかいう感想はもらったことがなかったし、

自分でも感情を揺さぶる演奏ができたということがなかった。



バンド―高校生のとき

2013-05-26 01:45:11 | 無題
今日、初めてバンドに参加した。


高校生のときクラスメートに誘われて、

軽音楽部の仮入部に行ったことがあった。


私はヴォーカルがやりたくて、くっついていったんだけど、

ぜんぜんそんな感じじゃなくて、

友達はベースを一生懸命、防音室の前の廊下で練習はじめた。

部室である防音室の中をチラ見したとき、

先輩らしい人たちのバンドがステージ位置でガンガン弾いていて、

とても中に入って練習するという感じじゃなかったらしい。


私はどうして廊下で?と思いながら、

友達の横に座って、私はどうすればいいの?と聞いた。

友達はこれ練習すればいいんじゃない?と譜面とギターを渡してくれたけど、

私にはちんぷんかんぷん。

友達はもう、少し弾けるのに、私はギターの弾き方さえわからなかった。

友達は黙々と練習し続けている。

つまんない。―そう思った。


黙々と弾く友達の隣りで、ギターの持ち方もわからず、

私はその友達へのからみ方もわからなくなった。

どうやって持つの?どうやって弾くの?

今思うと聞けば教えてくれたかもしれない。

でも聞くのがコワかった。既に弾ける友達にそんなのもわからないのと

あきれられ、自分の練習の邪魔をされるのがいやだという顔を見るのがこわかった。


2回目も友達は行こうよ、行かないの?と誘ってくれた。つきあいで2回目。


私は2回行っただけで、行かなくなった。

ヴォーカルやりたいって言い出せる雰囲気じゃなかったし。

もう1グループできていた1年のバンドの方がより本格的で、

―というのもパート(ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム)が揃っていた。

イケイケの感じがこわかったのもあった。

同じ1年なのに、いい練習場所を確保していて、そこへ私たちは入っていける感じじゃなかった。

友達はラルクの熱狂的なファンで、

それでも黙々と練習していける感じみたいだった。

一人でも平気みたいだった。

一緒の演奏できたら、一緒にライブできたら

―そう思った。

でもヴォーカルやるならバンドはギターかベースが弾けないとダメみたいなのを感じて、

私はやめた。

ラルクやGLAYといったバンドも詳しくないし、

当時はそんなに好きではなかった。



私は誰かと一緒に音楽がしたかっただけだった。