昨日は楽しかった。
普段友達に話せないような話
ー転職中なんてことは
友達にだって、言っていない。
家族にだって今どうしているかは言えていない。
―だけど昨日はその人に転職中だということを話せたし、
それより過去のことも話せた。
大学卒業してからの私の経歴は、
とても世間的にほめられたものではなくて、
面接以外で人に話したことがなかった。
そんな私はもう既にあっぷあっぷに孤独を感じていて、
今後の職歴についてやライフプランについてなどなど、
誰かに相談したかった。
それでも誰にも言い出せずに、
1人明かりを求めて暗いところを手探りしている感じだった。
気づかないフリをして来たけれど、
自分に正直になると、限界だった。
このまま誰にも話せずに、
―話して、なんだと離れていかれるのがコワい。
今まで少なからず私にいい幻想を抱いて仲よくしてくださった方達がいる。
きっと今もそういう人がいるだろう、それでも友達、知り合いは少なくて。
誰を頼ることもできずに、
―この褒められない過去や、打開できていない現状(転職できていない)に、
心を開いて側に寄り添ってくれる人がいるとは、
思えないのだ。
周りにはいっぱい、支えあい愛し合う人達を見かけるのに
―アルバイトでも転職中でも支えてくれる人が側にいるということ。
私はそんな経験が家族からだってないからか、
自分にはそういう人が現れる気がしないし、
どうしたらそういうことになるのかもわからない。
自立できていない人にそれでも寄り添ってくれるという構図が、
私にはとてもうらやましいことであり、
それでも私には到底なし得ないのだと、
自分の価値のなさに打ちのめされる気分だ。
誰と苦楽を共にすることもできずに、
このまま一体どのように最後を向かえるのかと、
そして最後を迎えられるのかと、
近所のオールドミスや、
未婚のまま立派な一軒家で華道の先生をして一生を終えた親戚のおばさんに
思いを馳せては、
遠くなった気を取り戻してきて、
それでもどうすることもできない自分に
万策尽きて途方にくれていた。
もう随分できるだけのことはしたのだ。
可愛く見えるように身だしなみに気を使ったり、
メイクを研究したり―これは結構効果があって、
少しは男性に優しくしてもらえるようになった。
お世辞かもしれないけど、かわいいですねと言われたのは嬉しかった。
女の子らしい言葉遣いや仕草を心がけたり、
―これも上に同じ。最近はもうそんな年じゃなくなっていることが悩みだ。
どうすればいい?
性格を改善できるようにも努力した。
本をいぱい読んだりして、自分の心をある程度できるようにもなった。
これからもそれはがんばっていくけれど
それも限界がやっぱりあるのか。
あとできることというと、
やはりスキルを伸ばすこと以外に、
人から魅力的で価値ある人、慕っていたい人、大事にしたい人と思われる方法が
思いつかない。
魅力ある素質がある人がうらやましい。
容姿もそうだし、受け応え、自分の気持ちの伝え方などなど。
でも最近はもうあきらめてる。
お世辞でも社交辞令でも、かわいいですねと言ってもらえるところまできたのは、
私にとって大きな1歩でも2歩でもあった。
だけどそれ以上のことはいかない。
デートも誘われないし、
気軽になにかに誘われるということも滅多にない。
いまだにつき合ったと言えるような人にもめぐり合えていない。
女友達もそうだ。
憧れていますとかおしゃれさんですねとか言って最初は慕ってくれるけど、
やっぱり抱いていたイメージとは違うダメダメなところを知られてしまうと、
疎遠になる。
そのイメージを崩さないようにと、悩みや心のうちを出さずにつきあっていくのも
限界があるし、そんなつき合いはもういやだ。
受入れてもらえなくてもいいかなと思い始めている。
そうなると社会にも入っていかないことになる。
すると私はどうなるのか。
そんなことを思えるのは、まだ生きるだけのお金があるからだ。
貯金がつきてきたら、
私は1年半前のときのように
自分が驚く程、自分で制御できなくなって=鬱になって
自殺を考えるのかもしれない。
自分は必要とされていないという概念が頭の中を埋め尽くして、
体が重たくなって、不安をあれやこれやと考えたり、
どうやって死ぬかということをばかりを考える。
夕方頃に気分がよくなって、なんでもなくなり、
夜少し活動できると夜中になってやっと眠りにつき、
悪夢を見て、朝方うなされながら起きる。
目覚めの悪い朝が来て、体が重たく―これの繰り返しだ。
今はそんなことはない。
毎日規則正しく起きて、朝からはつらつとしている。
転職に向けてできることをできるだけしている。
病院に行くにもカウンセリングを受けるにも、
お金がないと相手にしてくれなかった。
以前からある心の中の不安定な要素と折り重なって、
お金が底をつきかけているからこういう状態なのだ。
そう気づいた。
お金があれば、また自殺まで考えるほどにはならないだろう、
少なくともカウンセリングは受けられる
そう思ってもうアルバイトでもなんでもいいやと転職活動をはじめて、
たまたまいい経験をさせてもらえる職が見つかったのがよかった。
逆転して、未来に希望と目標を現実的もちながら、
バリバリ働いたのはたのしかった。
”生きている”という感じがした。
以前働いていたときにも感じたことがないことだった。
でもそんな職場も1年で消えてしまった。
夢のようだと思った矢先、本当に夢だったかのように消えてしまった。
一緒に働いていた人の一部の人とSNS上でつながりはある。
退職してから社会と切り離され、
バリバリ働いていたころの前向きな感覚を忘れるのがこわくて、
忘れたくなくて、尊敬していた人たちに申請を出した。
それでも今はもうただSNS上でつながっているだけの関係というのを、
まじまじと感じている。
現実味がない繋がりだ。
いつかまた話す機会があるのだろうか?
メルアドを知っているだけの仲のように、
やっぱりなにもなく何年も何十年も過ぎるだけなのか。
近況というより、最近はシェアやいいねしましたばかりが流れてくる。
会社でどんなことをやって、今どんな目標があって、
どんなことを勉強したり挑戦したり、
休日どんな風にすごしているかなんて、
ぜんぜん知り得ない。
つまりその人のアイデンティティが見えて来ないのだ。
一緒に働いていたときとは違う、外部感。
もう関係ない、関われない人なのだろうか。
信頼と尊敬を抱いていた人たちだけあって、その分悲しいし、
なんだか現実味がない。
私は、ふわ~、宇宙へ飛んでいって、宇宙の果てへ行ってしまうのだろうか。
普段友達に話せないような話
ー転職中なんてことは
友達にだって、言っていない。
家族にだって今どうしているかは言えていない。
―だけど昨日はその人に転職中だということを話せたし、
それより過去のことも話せた。
大学卒業してからの私の経歴は、
とても世間的にほめられたものではなくて、
面接以外で人に話したことがなかった。
そんな私はもう既にあっぷあっぷに孤独を感じていて、
今後の職歴についてやライフプランについてなどなど、
誰かに相談したかった。
それでも誰にも言い出せずに、
1人明かりを求めて暗いところを手探りしている感じだった。
気づかないフリをして来たけれど、
自分に正直になると、限界だった。
このまま誰にも話せずに、
―話して、なんだと離れていかれるのがコワい。
今まで少なからず私にいい幻想を抱いて仲よくしてくださった方達がいる。
きっと今もそういう人がいるだろう、それでも友達、知り合いは少なくて。
誰を頼ることもできずに、
―この褒められない過去や、打開できていない現状(転職できていない)に、
心を開いて側に寄り添ってくれる人がいるとは、
思えないのだ。
周りにはいっぱい、支えあい愛し合う人達を見かけるのに
―アルバイトでも転職中でも支えてくれる人が側にいるということ。
私はそんな経験が家族からだってないからか、
自分にはそういう人が現れる気がしないし、
どうしたらそういうことになるのかもわからない。
自立できていない人にそれでも寄り添ってくれるという構図が、
私にはとてもうらやましいことであり、
それでも私には到底なし得ないのだと、
自分の価値のなさに打ちのめされる気分だ。
誰と苦楽を共にすることもできずに、
このまま一体どのように最後を向かえるのかと、
そして最後を迎えられるのかと、
近所のオールドミスや、
未婚のまま立派な一軒家で華道の先生をして一生を終えた親戚のおばさんに
思いを馳せては、
遠くなった気を取り戻してきて、
それでもどうすることもできない自分に
万策尽きて途方にくれていた。
もう随分できるだけのことはしたのだ。
可愛く見えるように身だしなみに気を使ったり、
メイクを研究したり―これは結構効果があって、
少しは男性に優しくしてもらえるようになった。
お世辞かもしれないけど、かわいいですねと言われたのは嬉しかった。
女の子らしい言葉遣いや仕草を心がけたり、
―これも上に同じ。最近はもうそんな年じゃなくなっていることが悩みだ。
どうすればいい?
性格を改善できるようにも努力した。
本をいぱい読んだりして、自分の心をある程度できるようにもなった。
これからもそれはがんばっていくけれど
それも限界がやっぱりあるのか。
あとできることというと、
やはりスキルを伸ばすこと以外に、
人から魅力的で価値ある人、慕っていたい人、大事にしたい人と思われる方法が
思いつかない。
魅力ある素質がある人がうらやましい。
容姿もそうだし、受け応え、自分の気持ちの伝え方などなど。
でも最近はもうあきらめてる。
お世辞でも社交辞令でも、かわいいですねと言ってもらえるところまできたのは、
私にとって大きな1歩でも2歩でもあった。
だけどそれ以上のことはいかない。
デートも誘われないし、
気軽になにかに誘われるということも滅多にない。
いまだにつき合ったと言えるような人にもめぐり合えていない。
女友達もそうだ。
憧れていますとかおしゃれさんですねとか言って最初は慕ってくれるけど、
やっぱり抱いていたイメージとは違うダメダメなところを知られてしまうと、
疎遠になる。
そのイメージを崩さないようにと、悩みや心のうちを出さずにつきあっていくのも
限界があるし、そんなつき合いはもういやだ。
受入れてもらえなくてもいいかなと思い始めている。
そうなると社会にも入っていかないことになる。
すると私はどうなるのか。
そんなことを思えるのは、まだ生きるだけのお金があるからだ。
貯金がつきてきたら、
私は1年半前のときのように
自分が驚く程、自分で制御できなくなって=鬱になって
自殺を考えるのかもしれない。
自分は必要とされていないという概念が頭の中を埋め尽くして、
体が重たくなって、不安をあれやこれやと考えたり、
どうやって死ぬかということをばかりを考える。
夕方頃に気分がよくなって、なんでもなくなり、
夜少し活動できると夜中になってやっと眠りにつき、
悪夢を見て、朝方うなされながら起きる。
目覚めの悪い朝が来て、体が重たく―これの繰り返しだ。
今はそんなことはない。
毎日規則正しく起きて、朝からはつらつとしている。
転職に向けてできることをできるだけしている。
病院に行くにもカウンセリングを受けるにも、
お金がないと相手にしてくれなかった。
以前からある心の中の不安定な要素と折り重なって、
お金が底をつきかけているからこういう状態なのだ。
そう気づいた。
お金があれば、また自殺まで考えるほどにはならないだろう、
少なくともカウンセリングは受けられる
そう思ってもうアルバイトでもなんでもいいやと転職活動をはじめて、
たまたまいい経験をさせてもらえる職が見つかったのがよかった。
逆転して、未来に希望と目標を現実的もちながら、
バリバリ働いたのはたのしかった。
”生きている”という感じがした。
以前働いていたときにも感じたことがないことだった。
でもそんな職場も1年で消えてしまった。
夢のようだと思った矢先、本当に夢だったかのように消えてしまった。
一緒に働いていた人の一部の人とSNS上でつながりはある。
退職してから社会と切り離され、
バリバリ働いていたころの前向きな感覚を忘れるのがこわくて、
忘れたくなくて、尊敬していた人たちに申請を出した。
それでも今はもうただSNS上でつながっているだけの関係というのを、
まじまじと感じている。
現実味がない繋がりだ。
いつかまた話す機会があるのだろうか?
メルアドを知っているだけの仲のように、
やっぱりなにもなく何年も何十年も過ぎるだけなのか。
近況というより、最近はシェアやいいねしましたばかりが流れてくる。
会社でどんなことをやって、今どんな目標があって、
どんなことを勉強したり挑戦したり、
休日どんな風にすごしているかなんて、
ぜんぜん知り得ない。
つまりその人のアイデンティティが見えて来ないのだ。
一緒に働いていたときとは違う、外部感。
もう関係ない、関われない人なのだろうか。
信頼と尊敬を抱いていた人たちだけあって、その分悲しいし、
なんだか現実味がない。
私は、ふわ~、宇宙へ飛んでいって、宇宙の果てへ行ってしまうのだろうか。