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もやもやする

2012-01-18 03:17:53 | 無題
気持ちに整理がつかない。自分の必要性が感じないし、依頼されたところは一部だからそれだけをやっていればいいんだと思う。だけど今までは料金をもらわないで自分ができる役立つだろうことを100%以上やってきた。今までは応援できたから、気持ちだけで、やりたいと自分からあれこれやってきたけど、相手の行動から応援したい気持ちが沸かなくなってしまった。口だけの人を応援する気にはなれない。今度からは料金をいただきたいことを伝えた。

頼んできた人と話すと、確かに最初頼まれた部分については必要性を感じているみたいだけど、それ以外のことは特に必要性がないのではないかと思う。頼んできた人とは違うもう一人の人と話すと、いろいろ私の意見に賛同して同調してくれるし、いろいろ質問されるけど、でも話し終わったあとに、“私自信の必要性”を感じないという感覚になる。
考えてみると、使うだけ使って、ボロぞうきんのように捨てられる感覚だ。
同調して共感することで、いろいろと情報を引き出したり、仕事はさせるけど、
私に対してなにかがあるというわけではないことに気づいた。
そういえば、変な話だけど、お礼すら言われたことない気がする。
お礼を言う言わないなどということに、細かく気にするなんてやぼなことはしたくないけど、
“役に立った感”がないのだ。

つまり本当は必要としていないことを、私がわざわざやってあげてるという状態なのかもしれない。
そこで私は、“頼まれるまでなにもしない。”ということに打って出ることにした。

しかし、私はそこで苦しかった。
今まではタダで、あれやこれやとしてきたのに、
時期が重なって、
料金をもらい始めるときが、
”頼まれてもいないことをやらない”ことに徹する時期になってしまったのである。

そこで葛藤が生まれた。
料金をもらっているのに(相手からしたら、払っているのに)
職務怠慢じゃないかと思われないかtということ。

私はただ、相手が出した金額に見合った働きをすること決めただけだけど、
相手はその金額でどれだけのことをやってもらえるのかとは聞いてこなかった。
それでその金額に見合った作業以上の能力を発揮しないでいると、
相手はずっと、その先にあるものを見ないままで、知ることもなく、気づくこともなく、
私の必要性は感じずに過ごすということだ。


苦しい。

苦しい関係だからもう縁を切りたい。
必要とされていない気がする上に、
以前あったような本気で応援したい気持ちがなくなったものに対して、いいものは作れない。
そんな中途半端な気持ちでは、中途半端なものしか作れず。
そんな中途半端なものを排出していくなんてイヤだ。
この話はなかったことに・・・―と何度言おうと思ったことか。
それでも言わずにいるのは、相手を思って―というところは、もうとっくにすぎてなくなって、
この機会に自分のやりたいものをつくっておけば、こういうの作れるんですって
次に繋げられるかもれないと思ったからだ。

しかし、そう思ってこれまで思いなおしてきたけど、
そう割り切れないほど、なにかわだかまりがある状態になっている。
それがなになのかはっきりしないから、
解決策も、自分の気持ちの整理もつけれずに、もやもやしている。

自分を黙らせろ

2012-01-08 13:29:20 | 無題
最近、
調子のいいこと言ったり、
キツい口調で言ったり、
大きく出たりして、
そのあとに落ち込むことが多い。

言う前は言いたい衝動で、
言ったあとは消えてしまいたい、死にたいほど自分がいやになる。

なんでか考えたら、
たぶん思ったリアクションを相手から得られなくて、
むしろマイナスに働いたかもと思うからだと思う(実際そうでも、そうじゃなくても)

人から思ったリアクションを得るには、冷静にしていなきゃいけないし、
普段冷静な人の方が、聞く耳を持ってもらえる。
自分が落ち込まずにすごせるときはそうだ。

だけどなんでこの衝動があるのかわからない。
“人になにかいい影響を与えたい”という欲求があるんだけど、
それができていなくて、悪循環に陥っているのではないか。

落ち込むと、誰かに共感してもらったり、なぐさめてもらいたい衝動が起きる。

自分を大きく見せたいから、そういう態度になるのだと思う。
周りを敵に囲まれたみたいに、だれも味方はいないと感じているのかもしれない。
実際、生かすも殺すも周りの人間しだいだったりする。
比喩的ないみではなくて、生活が。

会社の人のどの人のどんな発言で立ち場はおいやられ、どの発言でクビになり、周りの人のどの発言で動揺し、体調を崩し、全てが重なる時、私は死にたくなる。
それは以前体験したことで、自分が必要とされていない、無能であり、なぜこの世の中に生きているのかわからなく、そんな自分もイヤで、自分で自分を嫌い、苦痛がつづき、死ねば苦痛はなくなりおしまいにできるということが、そのときになると、死ぬのはよくないとか、痛いだろうとか、普段なら働くような思考も働かず、ノンストップで極論が出る。

かもいに掛かるハンガーや、引っ掛けられるものを見ては、あそこに首を通せば楽になれると思うのだ。しかし同時に、そこまでくると体も、重力が何倍になったのではないかというくらい動かなくなり、実行できない。それが回復してくると同時に、気分も若干落ち着いてくるので、しなずにすむというわけだ。
もし、動かせる元気があって、気分の回復がずれれば、きっとそのまま死ぬのだろう。
それでそこが自殺する人の分かれ目になるのだと思う。

だからすごく恐ろしい。死の淵を見た。
死ぬ死ぬといってしなないパターンかもしれない、やるといったらやるタイプなので、一度失敗したら本気になって用意周到に死ぬかもしれない。
自分がどの行動を取るのか、これに関しては予測がつかないから、怖い。


それで話は戻るけど、最近気分にムラがあるから、そのような症状をぶり返さないか心配だ。
それは急激にやってきて、突然コロッと代わるから心配だ。
急に落ち込み、急にこの世の終わりがやってくる。
それがよくいう冗談のような状態ならいいのだけど、冗談にならない感覚襲われるから、自分でどうしたらいいのかわからない。

今とっても、解決策、解消策を探し中だ。


だれかに電話したい衝動―でも共感してもらえなきゃより悪化するからダメだ。
だれかに慰められたい衝動―そんな人は周りにいない。
呼吸が浅くて息苦しい。
まぁいいじゃんといって、リラックスして紅茶でも飲んでのんびりする時間すらない。することをしないと週明けには立ち場は益々悪くなるからだ。―もしならないとわかっているなら…
もう悪くなりかけている。
そして今日一日なにもしないで過ごしたら、夜私は自分を殺したくなり、朝自分を殺したくなり、現実から逃れたくて布団から出ないだろう、そしてまた一日が過ぎて…
だけど今日できることも限られていて、それをしても目標の結果までできないから、既にもう死にたいというわけだ。


もっと女の子らしくなりたい

2012-01-03 19:35:24 | 無題
あけましておめでとうございます。

私の今年の目標は“もっと女の子になりたい”です。

女の子らしいというより、女の子でいたい内面でいたいということです。
誰かと話しているとき、笑いや、出たがりな性分を最優先せずに、
もっと他のことに興味があるようになりたいです。

もっと人からどうみられるかとか、人からの評価とか気にしないで、
内面を見ていたいです。
もっといえば、内面の世界で一生懸命生きている―そんな世界、感覚になりたいです。

他の人の役に立っているかとか、そういうことを一生懸命考えるのではなく、
自分のやりたいことをやりたいように、一生懸命することで、無我夢中でしているうちに、
人の役にも立ってたくらいが、ちょうどいいようで,

―というのも、輝いている女の子って、そういう感じだなって思う。
一生懸命自分のことができていて、他のことにも気を配れる、
そんな人になりたい。

自分のこともできてないのに、人のことに気を配るなんて、自分のことをまず先にしなよって感じ。
だからダメなんだなぁ。
人の思惑や欲求に応えて、振り回されて疲れる。

手に入らないものは、手に入らないで、きっぱり断絶→するのではなく、流せるように。


ツヤのある髪に、
ツヤのある肌。
女の子らしいメイクに、
女の子らしい言葉遣い、
女の子らしいしぐさ。

なにかするとき私は、男らしいなにかをカッコよく感じるので、それを体現してしまおうとする。

好きな人が見つかるといいなぁ。
その人が見つかった時、振り回されないように自分を持ってたらいいなぁ。
その人が見つかった時、自分に自信があれるようになっていたらいいなぁ。


最近、映画もドラマもアニメもあんまり楽しめなくなってる。
そういうのないもんなぁって思うし、
周りの人を見ると、みんなそれぞれの形で、現実にもそういうストーリ上のできごとを持って生きているように見える。
だけど私は、どの一つも持っていないように思う。
あったとしても、極一瞬で、それは星のまたたきのように、消え過ぎ去って行くできごとなんだ。
なにかの恋愛ストーリーみたいに続いて行くことはなく、
なにかの武勇伝のような活躍ややりとげもなく尻すぼみ、
仕事も、友達も、恋も、気になる存在なまま、不安定と捉えたままなんだ。

満足することのない、欲求芯が、どんどん目標を高め、達成されない自分が自己評価を下げ、その繰り返しの中で、イライラで苦しみ、辛さばかりを感じ取ってるように思う。

ふさぎこんでる

もう自分の救い方も分からないよ。


本当はこれは心が痛むことなんじゃないかということも、痛みを感じなくなってきてる気がする
それが恐い

"怒"ると"恐"いっていう字似てるなっていまさら思った。