Facebookの友達が増えた。
申請を出してすぐに承認が来た。
さらに意外な人から友達申請が来た。
嬉しかった。
でも、もう既にちょっとFacebook疲れを経験した。
くだらないネタを思いついたのだ。
そしてそれのバージョンや、よりよい言い回しを考えていたら、夜が明けた。
眠れなかったのだ。
眠れなかった理由は他のこともあるが、気にならなかったわけではないことは確かだ。
先の記事にあったより親しい人たちと行っていた方が、
楽しかったというのはこのことだろうか。
ニュースフィードにあまり親しくない人のいいねが流れるのがいやだということが、
その記事には例の1つとしてあった。
ニュースフィードは今のところいやではない。
むしろいいなぁと思う人に申請を出したから、
その人たちのセレブリティな体験が早く流れないかなぁと思う。
確かに申請された側はなにか期待しているわけじゃないから、
あまり趣味じゃないニュースフィードが流れると、
Yahooのトップページのニュースを目撃したような感じになる。
それまでは自分好みの傾向のものが流れていて、
パーソナライズされた空間にいる感覚だった。
縁遠い人と友達になったわけだが、
そうすると、しやすいはずのいいね!もつかない。
友達がいるのにいいね!がつかない状況って、よく考えるとなんだかかなり悲しい。
ホントにくだらないことを投稿しようと思っていたがやめることにした。
まるで公衆の面前で大すべりするみたいで、
反応なくてもいいと思っていても、
そういうことが平気できてしまう自分がいやだし、
もしかしたら、そのあとすごい落ち込むかもしれない。
しかも今のところ、自分がつくったものに対していいね!されていなくて、
私が見聞きしに行ったことについては、いいね!がついている状況だから、
相対的に見てしまうと、
自分の作ったものがよくはないみたいに感じてしまう。
間違いなく確かに、クライアントさんからも、普段ほめない営業からも、
よいと喜ばれたものなのに。
やっぱり仕事のことは、広告ということもあって、
ステマみたいでいいね!とはしずらいのだろうか。
いいね!したら、じゃぁ参加してみてとか、買ってみてみたいになりそうみたいな。
いや、それだけじゃない。
私が最近気に入っている石鹸の写真をアップしたんだけど、
それにもいいね!はつかなかった。
私は友達のつくったものに対して、いいね!を押しているけど、
その友達は私が生み出したものに対して、いいね!としない。
そのイベントにはその人の憧れの人が出ている。
だから“そのイベントに参加した私がいいね”で、
私自身はいいねではないのだなと再認識させられる。
普段、私が連絡すると嬉しそうにするから、
尚更辛い。
むこうからは連絡あったもう随分ないしね。
“応援しています”といわれたとき、嬉しかった。
けれどもその言葉は嘘だったのかなと思ったりする。
先の講演であった、
その人にとっては「大きすぎる幸せ」だからいいねが押されないのだろうか。
Facebookに仲のいい友達がそこそこいて、うらやましいなと思う。
写真共有のためにどうしてもと誘われてやったけど、
今は、孤独をより強く感じる方面に進んだ。
一番悲しいのは、お世話になった方へメッセージや申請をしたけど、
保留にされていることだ。
とってもハートウォーミングな人達と感じていたから尚さらツライ。
昔の人と連絡取れるなんてうたい文句なの、
最近会えなくなったばかりの人たちの方が、メッセージを送らなくても、
すぐに承認してくれる。
―覚えているからね。
友達申請は来るのに、いいねが押されないのって、悲しいな。
SNSをやることで、クリエイティブな頭が活性化されるなと感じていたけれど、
簡単に反応を起こせる場で反応がないと、
さすがにツライ。
なんだかクリエイティビティな活性化が起こらなくなってきた。
このまま終わるのかな。
Twitterとかなら、リツイートしたりコメントするのは、
いいねよりハードルあるから、
なにもリアクションが起こらなくても平気だ。
私はファンができにくいなぁ。
簡単にファンができる人はなにかコツでもあるのかな。
明日はSNSが気にならなくなってますよ~に。
申請を出してすぐに承認が来た。
さらに意外な人から友達申請が来た。
嬉しかった。
でも、もう既にちょっとFacebook疲れを経験した。
くだらないネタを思いついたのだ。
そしてそれのバージョンや、よりよい言い回しを考えていたら、夜が明けた。
眠れなかったのだ。
眠れなかった理由は他のこともあるが、気にならなかったわけではないことは確かだ。
先の記事にあったより親しい人たちと行っていた方が、
楽しかったというのはこのことだろうか。
ニュースフィードにあまり親しくない人のいいねが流れるのがいやだということが、
その記事には例の1つとしてあった。
ニュースフィードは今のところいやではない。
むしろいいなぁと思う人に申請を出したから、
その人たちのセレブリティな体験が早く流れないかなぁと思う。
確かに申請された側はなにか期待しているわけじゃないから、
あまり趣味じゃないニュースフィードが流れると、
Yahooのトップページのニュースを目撃したような感じになる。
それまでは自分好みの傾向のものが流れていて、
パーソナライズされた空間にいる感覚だった。
縁遠い人と友達になったわけだが、
そうすると、しやすいはずのいいね!もつかない。
友達がいるのにいいね!がつかない状況って、よく考えるとなんだかかなり悲しい。
ホントにくだらないことを投稿しようと思っていたがやめることにした。
まるで公衆の面前で大すべりするみたいで、
反応なくてもいいと思っていても、
そういうことが平気できてしまう自分がいやだし、
もしかしたら、そのあとすごい落ち込むかもしれない。
しかも今のところ、自分がつくったものに対していいね!されていなくて、
私が見聞きしに行ったことについては、いいね!がついている状況だから、
相対的に見てしまうと、
自分の作ったものがよくはないみたいに感じてしまう。
間違いなく確かに、クライアントさんからも、普段ほめない営業からも、
よいと喜ばれたものなのに。
やっぱり仕事のことは、広告ということもあって、
ステマみたいでいいね!とはしずらいのだろうか。
いいね!したら、じゃぁ参加してみてとか、買ってみてみたいになりそうみたいな。
いや、それだけじゃない。
私が最近気に入っている石鹸の写真をアップしたんだけど、
それにもいいね!はつかなかった。
私は友達のつくったものに対して、いいね!を押しているけど、
その友達は私が生み出したものに対して、いいね!としない。
そのイベントにはその人の憧れの人が出ている。
だから“そのイベントに参加した私がいいね”で、
私自身はいいねではないのだなと再認識させられる。
普段、私が連絡すると嬉しそうにするから、
尚更辛い。
むこうからは連絡あったもう随分ないしね。
“応援しています”といわれたとき、嬉しかった。
けれどもその言葉は嘘だったのかなと思ったりする。
先の講演であった、
その人にとっては「大きすぎる幸せ」だからいいねが押されないのだろうか。
Facebookに仲のいい友達がそこそこいて、うらやましいなと思う。
写真共有のためにどうしてもと誘われてやったけど、
今は、孤独をより強く感じる方面に進んだ。
一番悲しいのは、お世話になった方へメッセージや申請をしたけど、
保留にされていることだ。
とってもハートウォーミングな人達と感じていたから尚さらツライ。
昔の人と連絡取れるなんてうたい文句なの、
最近会えなくなったばかりの人たちの方が、メッセージを送らなくても、
すぐに承認してくれる。
―覚えているからね。
友達申請は来るのに、いいねが押されないのって、悲しいな。
SNSをやることで、クリエイティブな頭が活性化されるなと感じていたけれど、
簡単に反応を起こせる場で反応がないと、
さすがにツライ。
なんだかクリエイティビティな活性化が起こらなくなってきた。
このまま終わるのかな。
Twitterとかなら、リツイートしたりコメントするのは、
いいねよりハードルあるから、
なにもリアクションが起こらなくても平気だ。
私はファンができにくいなぁ。
簡単にファンができる人はなにかコツでもあるのかな。
明日はSNSが気にならなくなってますよ~に。