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「ヒアアフター」と「ふしぎトーボくん」

2011年03月26日 | 日記
先日ツタヤに行った時、「週刊ポスト」を買ってきました。

380円。

普段は買わないのですが、震災のことについて、いろいろな人の意見が出ていたので、それを読んでみたいと思いまして。

でも、いちばん面白かったのは、松原照子さんという方のブログについての記事でした。

それによると、松原照子さんは、預言者・透視カウンセラーという、実にまゆつばものプロフィールをお持ちの方なのですが、今回の大地震のことを、かなり正確に、かなり詳細に、預言されていたとのこと。

ちなみに現在は、強烈にアクセスが集中しているようで、そのブログを見るのは困難のようです。

私は見たことがありません。

そこで思いだすのが、「ヒアアフター」です。

津波、預言者というキーワードは、それこそこの映画の核になっていましたので。

実際、今回の地震による津波の映像を見た時、まるで「ヒアアフター」みたいだ、と思いましたし。

「信じる・信じない」という点でいうと、私は信じる側です。

でも、だから何、という感じで、そのこと自体に特別な興味はありません。

その能力ゆえに、馬券を当てまくる、というのであれば話は別ですが。

それはなんというか、動物的な本能のようなものでないかと想像しています。

(追記 「愛犬、83歳女性救う」という記事を見つけました。犬と同じにしたら、怒られちゃうかな・・・。これは「聴力」か「嗅覚」か、どちらかの能力によるものだと思いますが。)

脳の可能性の一部分だとも思っています。

例えば、手塚治虫の恋愛観などはこれに近いのではないかと、常々思っています。

つまり、一目ぼれ(誰にでもありますでしょ)に近いような感覚ではないか、ということです。

そういう特別な能力は、誰しもが持っている、ということ。

実際、私のようなまぬけからしてみると、職場の同僚の誰もかもが、私などより優れているのです。

日々痛感しているのです。

まさに「そんなこと」が、それぞれの能力の差だと思うのです、

そうそう、私は「ふしぎトーボくん」が大好きです。

むろん、その能力が現実的だとは思っていません。

でも、「できること・できないこと」だけについて、信じるか信じないかのを論議するのは馬鹿げています。

思えば、マット・デイモン演じる「ヒアアフター」の主人公と、トーボくんって似ているんですよ。

存在自体がなんとも切なくて・・・。

この感じは、木村藤子さんをはじめてテレビで見た時にも受けました。

松原照子さんについては、「週刊ポスト」の記事以上のことはわかりませんし、その能力を云々するつもりはありません。

チャーミングな方だったらいいな、と思っています。

(追記 チャーミングな方だったとしたら、私なんかの言うことに、そう目くじらを立てず、笑って許して下さると思う)

人間は誰しもが本物で、誰しもが偽物です。同じです。

その能力の違いなんて、それほど大したことじゃありません。

大騒ぎするほどのことではないでしょ。

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