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「このチケットでニューヨークに行きなさい」。20歳の左腕投手が球団から航空券を渡されたのは今から44年前のことだ。米国西海岸で半年近く生活し、カタコトの英語は話せるものの、初めての一人旅だった▲
大リーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1Aチームに所属していた村上雅則投手。村ニューヨークに着いた翌日の晩、いきなり大リーグのデビュー戦が待ち受けていた。試合開始5分前、あわただしくジャイアンツとの契約書にサイン。日本人大リーガー第1号の誕生だ▲
4点リードされた八回裏、ルーキー投手の出番が訪れた。動揺してはいけない。「うえを向ういて あーるこおおう」。口笛を吹きながらマウンドに向かった。最初の打者を見逃しの三振に仕留め、次の打者に中前安打されたが後続を断ち、この回のメッツの攻撃を0点に抑えた▲
日本人大リーガー誕生の舞台となったのは、この年オープンしたばかりのシェイスタジアムだ。観客席が可動式となっており、アメリカンフットボールのジェッツの本拠地としても共用できる当時としては画期的な最新式スタジアムだった▲
シェイスタジアムは、同じニューヨークのヤンキースタジアムと同様、今シーズン限りで姿を消し、隣接して建設中の新球場にバトンタッチすることが決まっている。日本人大リーガーにとっての「聖地」が姿を消すのは寂しい思いが残る▲
日本でもカープの本拠地、広島市民球場が今シーズン限りで51年の歴史に幕を閉じる。感動も、悔しさもたっぷり詰まった球場に足を運び、村上さんのように口笛を吹いてみたい気分に襲われる。「涙がこぼれ ないよおおに」
毎日新聞 2008年9月28日 0時03分
小父さんが高校生の頃、この左腕投手の写真の記憶がある。当時は日本への情報は何もなかったな、「うわぁー、アメリカでやっているのか」と、そのくらいの印象だ。もちろん村上氏もホームシックにかかっただろう。日本で実績もないのに大リーグで勝ち星を上げられたのが不思議だな。日米野球事情も変わってきたものだ。なにしろ日本企業スポンサーが球場に漢字の看板を掲げにいっしょに海を渡るのだから。
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主人知ってるかなあ マッシームラカミ
日本にも報道がほとんどなかった時代ですから、
アメリカでは誰も知らないのじゃないでしょうか。
もちろんご主人も・・・・。